2014-02-26 | |
テーマ:その他 |
京のユニークな地名 その21
今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です。
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名、通りの名前を
ご紹介したいと思いますっ
では、早速いってみましょう~!
・千本通り(せんぼんどおり)
京都の南北を走る通りです。
もともと千本通りは
平安京を右京と左京に分ける
ど真ん中の道
朱雀大路が通っていた道なんですよ
朱雀大路の南端に置かれた門・羅城門の跡地です。
それがいつ頃からか
千本通りと呼ばれるようになったんですね。
でも、どうして千本通りと
呼ばれるようになったでしょうか?
調べてみると・・・
諸説あり定まってはいないようなので
一番有名な説をご紹介しますね
千本通りは
北にある蓮台野(れんだいの)に続く道で
道すがらに死者を弔う木札である卒塔婆(そとば)が
たくさん並んでいたからだと言われています。
※蓮台野は、かつて風葬(ふうそう・死体を雨風にさらし葬る方法)が行われていた場所です。
そういった理由から、千本通りは
『あの世に続く道』と言われていたそうですよ。
ちなみに千本通りには
千本ゑんま堂(引接寺)というお寺があり
千本ゑんま堂の本尊・閻魔法皇です。
その辺りの地名を
『閻魔(えんま)前町』と言うそうです。
こちらもユニークな地名ですよね
・上七軒(かみしちけん)
上七軒は、上京区にある
北野天満宮の東側あたりの地名で
京都で最も古い花街として有名です
お茶屋発祥の地と言われているんですよ。
地名の由来は
何かが七軒あったから上七軒なんじゃないの?
と思った方、するどいです!
そうなんですね、こちらは
『七軒茶屋』が由来になっています。
こちらは北野天満宮の三光門と梅です。
室町時代、北野天満宮が火事になると
足利義植(あしかがよしたね・室町幕府第10代将軍)が
細川勝元(ほそかわかつもと)に命じて
社を再建させます。
その時に余った材料を使って
7軒の茶店が建てられました。
これが地元の人から『七軒茶屋』と呼ばれ
後の上七軒の地名へと繋がっていくんですね
ちなみに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が開いた
北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)のときには
七軒茶屋は、秀吉の休憩所にも使われたそうですよ。
※北野大茶湯について詳しくは、北野大茶湯之址をご覧下さい。
上七軒を通る、ずいき神輿。
北野天満宮の秋祭りである
ずいき祭の神輿も通るんですね。
・祇園(ぎおん)
続きましては誰もが知っている
京都の地名・祇園です。
しかし祇園という地名・・・
そもそも何で祇園って言うのでしょうか?
もしかして『八坂神社』に関係が?
と、そこにピーーンと来た方は、さすがですっ
そうなんです!祇園という地名の背景には
八坂神社が大きく影響しているんですね。
八坂神社がその昔
祇園社と呼ばれていた事にちなんでいます。
祇園社の祭神は
『素戔嗚尊(すさのをのみこと)』なんですけれど
インドの神様であり祇園精舎の守護神
『牛頭天王(ごずてんのう)』と
同一視されています。
※祇園精舎とはお釈迦様が説法を行った場所です。
そこから祇園という名前をとり
祇園社といったそうなんですよ。
その後、明治の神仏分離令によって
神様と仏様が分けられると
祇園社は無くなり
八坂神社と名前を改めました
ちなみに祇園精舎といえば
平家物語でも登場しますよね。
「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす」
という一節が有名ですよね~。
・饅頭屋町(まんじゅうやまち)
え?饅頭屋?
もしかして有名な饅頭屋さんがあったから
饅頭屋町という名前になっちゃったんじゃないかなって
思っちゃいますよね・・・
答えはそのとおりなんです
現在はその名前の由来になった饅頭屋さんはありませんけれど
かつてはここに大変有名な饅頭屋さんがあったんですね。
日本に饅頭が入ってきたのは古く
室町時代、建仁寺の僧と一緒に
中国から渡来し、帰化した林浄因(りんじょういん)に
よってもたらされたそうです。
その後、林浄因の末裔が
京都のこの辺りで饅頭屋
『塩瀬(しおぜ)』を営み
大変栄えたと言われているんですよ。
19代まで続いたそうですけれど
現在は無くなり、地名だけが残っているというわけです
和菓子と言えば京都といった
いかにも京都らしい地名ですよね。
ちなみに東京に塩瀬総本家を名乗る分家が
今でも和菓子店を営んでいます。
という事で今回は京のユニークな地名をご紹介させていただきました。
場所はコチラ↓
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