2013-12-18 | |
テーマ:その他 |
京のユニークな地名 その15
今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名、通りの名前を
ご紹介したいと思いますっ。
では、早速いってみましょう~!
・井伊掃部東町(いいかもんひがしまち)
イイカモン!?なんだか漢字は難しいですけど
不思議な響きを持つこの町名は
京都市伏見区(南部)にあります。
そもそも『井伊』とは何なのかと言うと・・・
幕末の大老として有名な
『井伊直弼(いいなおすけ)』を輩出した
井伊家の事を指しています!
『安政の大獄』や『桜田門外の変』と言えば
お分かりですよね~?
こちらは、井伊直弼の恋人であり密偵と呼ばれた『村山たか女(むらやまたかじょ)』が眠る圓光寺(えんこうじ)です。井伊直弼や彼女については、圓光寺の記事をご覧下さい。
そんな井伊直弼の祖先にあたるのが
井伊直孝(いいなおたか)という人で、近江彦根藩の第2代藩主でした。
※井伊直弼は15代目にあたります。
そんな彼の屋敷が、この伏見の地にあった事から
この名が付いたとされています。
※何故、伏見にあったのか?というと、当時、秀吉に仕えていた事から、伏見城のあるこの付近に屋敷を構えていたようです。
ちなみに『掃部』は
『掃部頭(かもんのかみ)』という官職名の1つで
代々、井伊家が世襲していたそうですよ
※掃部とは宮中での掃除や、儀場の設営などを担当する役職で、掃部頭はそれを束ねるリーダーといった感じです。実際のところ、こうした官職名は『家の呼び名』として残っていったようです。
こうした事から
彼の屋敷跡であるこの地を
井伊掃部東町と言うそうですよ
・塩小路通(しおこうじどおり)
京都市内の東西の通りの1つで
平安京があった頃は、八条坊門小路(はちじょうぼうもんこうじ)と
呼ばれていたこちらの通り。
※この『塩小路通』という名前も、かつて平安京にあった通り名の1つですが、現在の塩小路通とは別の道になります。
さて、この塩小路通という名前の由来ですが
ドコからきているのかと言うと・・
平安時代中期の貴族・源融(みなもとのとおる)の邸宅である
『河原院(かわらのいん)』にて
塩を焼いた事に由来するとも言われています。
当時、難波(大阪)から船で海水を運ばせていたそうですよ。
百人一首にも詠まれている河原院ですが
現在は残念ながら跡地を示す石碑が建つのみです
そんな河原院にあった庭園の趣向を
取り入れて作庭されたと言われているのが
渉成園(しょうせいえん)で
江戸時代初期、家康の家臣であった石川丈山(いしかわじょうざん)の手によって
作られました
詳しくは渉成園の記事をご覧下さい。
・醍醐僧尊坊町(だいごどどんぼうちょう)
ほとんど濁点っ!なんともインパクトのある町名ですが
こちらは秀吉が花見をした事で有名な醍醐(だいご・京都市伏見区)にある町名の1つです。
もちろん近くには
醍醐寺が建っています。
※醍醐寺に関して詳しくは、醍醐寺 その1、醍醐寺 その2の記事をご覧下さい。
さて、町名に関してですが
この『坊』という字はお坊さんの住まいを指す言葉なんですね。
※お寺に宿泊する事を『宿坊(しゅくぼう)』なんて言ったりしますよね。これも、寝泊りする施設を意味する『坊』という字が使われています。
つまり、この醍醐僧尊坊町にはかつて
醍醐寺に関係するお坊さんは、この付近に建つ坊で、寝泊りをしていた事に由来すると言われているそうですよ
・岩戸山町(いわとやまちょう)
こちらは下京区にある町名の1つですが
この『岩戸』と聞いてピーーンと来た方は、さすがですっ
そうです、日本神話に出てくる天岩戸(あまのいわと・洞窟)の事なんですね。
古事記にも出てくるこの洞窟は
乱暴をはたらく素戔嗚尊(すさのおのみこと)を嫌い
天照大神が、一時期、隠れてしまった洞窟なんですね
ちなみに天照大神は『太陽神』とも言われていて
彼女が隠れてしまった事によって
天上界は暗闇に包まれたと言います。
神々は困り果て、何かいい案は無いかと練った挙句
宴を開き、天宇受売神(あめのうずめのかみ・芸能の神様)が
天岩戸の前で、賑やかに舞を踊った事によって
天照大神を外に誘い出す事に成功し
世界は、再び光を取り戻したと言われています
そんな岩戸山町は、これらの故事に基づいた
祇園祭の山鉾の1つ『岩戸山(いわとやま)』が建つエリアで
この山鉾を管理している事から、岩戸山町という名前が
付いたそうです
岩戸山には素戔嗚尊の姿なんかもばっちりあるんですよ
という事で今回は京のユニークな地名をご紹介させていただきました。
場所はコチラ↓
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