2013-12-24 | |
テーマ:その他 |
京のユニークな地名 その16
今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です。
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名、通りの名前を
ご紹介したいと思いますっ
では、早速いってみましょう~!
・土手町通(どてまちどおり)
京都の南北を走る通りです。
通りは途中で一時中断しますが
丸太町~二条通までと
上珠数屋町通(かみじゅずやちょうどおり)~七条通を
それぞれ結ぶ通りなんですよ
さて、名前の由来にもなっている土手ですが
これは一体何の土手なのかと言いますと・・・
天下人である秀吉が築いた
御土居(おどい・京を囲む全長、約22.5km土塁)の事なのです。
※写真は、廬山寺のすぐ側に残されている御土居址です。御土居について詳しくは廬山寺 その1の記事をご覧下さい。
土手町通の名前は
この御土居を切り崩して通りにした事に
由来するんですね~。
・羽束師(はづかし)
京都の人なら、免許証の更新で訪れる場所として有名な
伏見区(京都市南部)にある地名です
※羽束師に、京都府警察自動車運転免許試験場があるんですよ。
漢字を見ただけでは、なかなか読めないですよね~。
さて、この羽束師とは何なのか?
羽?鳥に関する何かかな?それとも矢?
などと考えた人もいるかもしれませんが・・・
羽束師とは技術者を指す言葉で
このあたりで採掘される粘土を使って
土器を作っていた人の事をそう呼んだそうです
地理的には近くに川が流れ、良質の土を手に入れる事が出来たみたいですよ。
こちらは、羽束師からも程近い田中神社です。近くの川とは桂川の事で、この田中神社は羽束師から川を隔てた向かい側にあります。
さらに、この名前を細かく読み解いてみると
『つか』・・・塚(土が小高く盛り上がる場所)
『かし』・・・河岸(川の岸辺)
などの言葉が入っていると言われているんですね。
・御陵上御廟野町(みささぎかみごびょうのちょう)
こちらは京都市山科区(やましなく・京都市東部)にある地名の1つです。
御陵(ごりょう)と書いて『みささぎ』と呼びます。
※みささぎは、御陵の古い読み方だそうです。
御陵といえば、天皇のお墓(天皇陵)の事ですよね
さて、この山科には
誰のお墓があるのかと言いますと・・・
天智天皇(てんじてんのう・第38代)です!
この天智天皇陵があった事から『御陵』や『御廟野』という地名が
付けられる事となったんですね。
※御廟(ごびょう)とは御魂を祀る建物の事を指します
ちなみに、町名には
御陵上御廟野町と御陵下御廟野町という2つが存在しています。
この他にも京都のいたる所に、天皇陵は存在します。
なので『御陵』という付く名前の町名は、山科以外にも
京都府京都市西京区御陵
京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町(りょうあんじごりょうのしたちょう)
があるんですよっ。
右京区龍安寺御陵ノ下町にある『龍安寺』です。世界遺産にもなっているお寺なんですよ。龍安寺に関しては龍安寺 その1、龍安寺 その2の記事をご覧下さい。
京都以外にも天皇陵はありますから
『御陵』の地名はいろんなところで
使われているかもしれないですね。
・百足屋町(むかでやちょう)
思わず背中がゾクっとしちゃいますよね(汗)
だって・・あのムカデですから~!
こちらの百足屋町は祇園祭の山鉾の1つである
『南観音山』の保存会がある町内としても知られています
※ちなみに、近い距離にもう1つ百足屋町というのが存在しますが、今回は南観音山保存会のある方の百足屋町についてご紹介します。
単純に町名の由来を考えたら
ムカデがかつてこのあたりに生息していたから!?
なんて思っちゃいますけど
実は、そうではなく
『百足屋』と呼ばれる屋号(お店)が由来となっているようです
なんと江戸時代初期より、『百足屋』と呼ばれるお店が
このあたりにあったようで
以後、町名として受け継がれる事となりました
さて、この『百足屋』がどんな店だったのか!?
実はそこまでは分かっていないそうなんですけど
『百足(ムカデ)』というのは
縁起の良い言葉だった事から屋号に
使われたのではないか?と言われています。
ムカデは足がたくさんある事から『客足がつく』つまり
お客さんがたくさん来るといった意味や
お金(銭)の事をそもそも「足」と呼んでいた事から
お金が集まる=商売繁盛と考えられていたみたいですよっ
※なぜ、お金の事を「足」というのかと言いますと、お金はあたかも足が生えているかのように、行ったり来たりする事が理由だそうです。
という事で今回は京のユニークな地名をご紹介させていただきました!
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