2013-11-14 | |
テーマ:その他 |
京のユニークな地名 その10
今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です
京都に残る、一味違った
ユニークな地名や町名、通りの名前を
ご紹介したいと思います
では、早速いってみましょう~。
・墨染(すみぞめ)
墨?墨汁で染めた町!?
と、思わずそんなエピソードがあるんじゃないかなって
頭をよぎっちゃう、この『墨染』とは
京都の伏見区にある地名で
この地に咲く『墨染桜(すみぞめざくら)』に由来するんですね。
どうして、このような呼び名がついているのかと言いますと
墨染の地に残る、ある伝承によるものです。
平安時代前期、初代関白で知られる藤原基経(ふじわらのもとつね)の
死を惜しんだ、歌人・上野峯雄(かんつけのみねお)が
この地(深草・ふかくさ)に咲く桜を前に
以下のような歌を詠みました
※墨染は、深草エリアの中にあります。つまり、伏見区>深草>墨染という事です。ですので、町名などは『伏見区深草墨染町』と表記します。
「深草(ふかくさ)の 野辺(のべ)の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け」
つまり・・・
『深草に咲く桜よ。お前にも心があり
藤原基経が亡くなり悲しんでいるのであれば
今年くらいは、白やピンクではなく
墨染め(すみぞめ・墨で染めた色で、灰色の事)色に咲いてみよ。』
と桜に対して、詠んだんですね
※喪の色(喪に服す色)と言えば、現在では白と黒ですが、その昔、平安貴族などは喪服には灰色のものが用いられたそうです。
すると深草の桜が
墨染め色に染まったと言われています。
※このお話について詳しくは、墨染寺の記事をご覧下さい。
こうした伝承から墨染桜と呼ばれるようになり
やがて地名となったんですね。
・乙訓(おとくに)
京都府の南部に位置する乙訓(郡)の名前の由来には
とても悲しいエピソードが残されています。
そもそも、乙訓と呼ばれる前は、なななんと・・
『堕国(おちくに・墜国)』と呼ばれていたと言われています!
なんか怖いですよね(汗)
じゃぁ、いったい誰が落ちた(堕ちた)の?と言いますと
竹野媛(たけのひめ)という女性です。
彼女は開化天皇(かいかてんのう・第9代天皇)の妃(きさき・皇后に次ぐ地位)として
迎え入れられたそうですが
なんと・・・美人ではないという理由で
親元に送り返されてしまったんですね
乙訓のお寺で、有名なのがこちらの乙訓寺(おとくにでら)です。境内には2,000株もの牡丹(ぼたん)が植えられている事から別名『牡丹寺』とも言われているんですよ。詳しくは乙訓寺 その2の記事をご覧下さい。
彼女は、この事をたいへん恥じたようで
親に対して、どう顔向けしたらいいのか分からず
・・・道中で輿(こし・位の高い人が移動する乗り物)から落ちて
死んでしまったと言われています。
つまり自ら死を選んだというワケです。
この事から『竹野媛が落ちた(墜ちた)国(地)』という意味で
その場所を『堕国』と呼んだ事が、由来だと言われています。
※一説では開化天皇ではなく、垂仁天皇(すいにんてんのう・第11代天皇)だとも言われているそうです。
この他にも諸説があり
乙訓郡は、葛野郡(かどのぐん)から分離した地であった事から
葛野郡を兄国(あにくに)、乙訓郡を『弟国(おとくに)』と呼んだ事が
由来とも言われているんですよ
・膏薬図子(こうやくのずし)
初めての人は絶対に、正しく読めないですよね(笑)
この膏薬図子について、まず最初に説明しますと
膏薬図子とは『道』の名前です
図子(ずし・辻子とも書きます)とは
京都独特の呼び名で、『○○通』と呼ぶほど大きな道ではない
細い通り(簡単に言うと路地裏の道)を指す言葉なんですね。
※この膏薬図子は、西洞院通(にしのとおいんどおり)と新町通(しんまちどおり)の間にある図子で、四条通(しじょうどおり)から綾小路通(あやのこうじどおり)までの約120メートルを南北に通る道です。
では、膏薬(こうやく)という言葉はドコからきたのかと言いますと
『空也供養(くうやくよう)』が訛ったものだと言われています。
※空也供養・・つまり空也を供養する祠がこの地にかつてあったと言われています。
くうやくよう→くうやく→こうやく
となったようですね。
空也とは平安時代中期のお坊さんで
初めて民・百姓にも広く仏教(浄土教)を説いた人物として知られています。
空也の口から6体の阿弥陀様が出ている『空也上人立像』は
教科書にも掲載されていますので、ご存知の方も多いかもしれません
※空也については、空也踊躍念仏(六波羅蜜寺)の記事をご覧下さい。
空也上人立像が安置されている六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。
すぐ近くには空也町(くうやちょう)という町名もある事から
この近辺は空也にゆかりのある土地だったのかもしれませんね。
・衣笠(きぬがさ)
衣が関係してるって事は想像がつきますけど・・・
あるとんでもないものに、衣をかけちゃったんですね
それが・・
この地にそびえる衣笠山(きぬがさやま)です
でもどうして山にかけちゃうの!?
と言いますと
これは宇多天皇(うだてんのう・第59代天皇)にまつわる伝承で
夏のある日、宇多天皇が突然『雪景色が見たい!』と言い出したそうで
家臣たちは、宇多天皇に雪景色を見せる為に
山の一面に白い布(衣)を被せたそうです
こんなわがままを言うのもスゴいですけど、対処の方法もスゴいですよね。
衣笠には、宇多天皇が出家し、30年余りを過ごした『仁和寺(にんなじ)』があります。境内には、遅咲きの桜で知られる『御室桜(おむろざくら)』が植えられているんですよ。詳しくは仁和寺 その2の記事をご覧下さい。
この事から衣笠山という名で呼ばれるようになったんですね。
ちなみに、衣笠山のふもとを通る約2.5キロの公道には
『きぬかけの路(みち)』という名が付けられています。
これは1991年、募集した公募により新たに付けられた呼び名だそうですよ。
という事で今回は京のユニークな地名をご紹介させていただきました。
場所はこちら↓
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