2010-05-14 | |
テーマ:お寺 |
関連:六波羅蜜寺萬燈会(六波羅蜜寺) / 空也踊躍念仏(六波羅蜜寺) / 皇服茶(六波羅蜜寺) / |
六波羅蜜寺
こんにちは、京子です。
さて、昨日は
平清盛が作ったとされる若一神社について
書きましたがいよいよ…本日は
重要文化財「平清盛坐像」が眠る、寺。
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。
そして、この六波羅蜜寺には
もうひとつ重要な立像があります。
この六波羅蜜事の創立者でもあり
後醍醐天皇の皇子でもある
そうです…
空也(くうや)
皇子でありながら、庶民的な空也
初めて農民にも広く仏教(浄土教)を説いたとされているお人で
市の聖(いちのひじり)という名前もあり
その布教の仕方が、踊念仏と言われ
踊りながら念仏を唱え広めていたそうです。
この立像をご覧頂ければお分かりかと思いますが
ん??
何やら空也の口元から出て来ているのが
分かると思います。
その数
1
2…3、4…
5
6つも!
なんとそのひとつひとつが阿弥陀なのです。
空也が「南無阿弥陀仏」と唱えると
その言葉が阿弥陀になって現れたという伝説があります。
すごい。。空也。。
それでは境内へ行ってみましょう~
十一面観音菩薩像
空也上人が自ら刻んだ十一面観音菩薩像を車に積んで市中を回って歩いたそうです
まずはすぐ正面に本堂が見えます。
絵馬にも本堂が描かれています
江戸時代まではもっと広い敷地だったようですが
今はこの本道と弁財天堂、そして
空也上人立像や平清盛坐像が眠る宝物館だけが残されています。
これは塚です。
清盛ほどの人も、お墓がなかったそうです。
そこでこの平清盛公乃塚が作られたそうです。
一願石といって
丁度、文字の上にある円形の石を回す事によって
願いが叶えられると言われています。
他にも
参拝された方々が、それぞれ願い事を石に書いた
ものもありました。
ちなみにこの白い文字の中央の石には
「平凡からの脱出!」とありました(汗)
そして
ん
清盛塚の隣にも
もうひとつ塚がありますが
これは??
阿古屋塚。
平家一門は壇ノ浦で滅亡したのですが
平家残党の「悪七兵衛景清」の行方を追って
奥さん(想い人)の阿古屋さんの
元に尋ねた源氏の代官、畠山重忠。
この、畠山重忠という人は
板東武士(関東の武士)の鑑(かがみ)とも称えられた程の
立派で信頼のある方だったそうで
義経でお馴染みの「一ノ谷の戦い」で
崖を走らせる馬を不憫に思い
なんと
…馬を背負って走った!
といわれる程アツいハートの持ち主の畠山重忠。
後に乱を起こし、鎌倉幕府軍に立ち向かい滅亡しましたが
時の権力者に歯向かいながらも今も武勇の誉れ高く
清廉潔白な人柄として伝えられているそうです♪
なぜ乱を起こしたのかについてはいろんな説がありますが
詳しい方がいらっしゃればよければ教えてくださいっ
あ!少し、話がそれてしまいましたが・・
そんな畠山重忠は阿古屋を問い詰めるのですが
「悪七兵衛景清」の行方を隠している事を知りながらも
その一点の乱れもない、見事な琴の音に感動し
彼女を釈放したというエピソードが書かれています
そして、今回の一番の見どころ
六波羅蜜寺の宝物館ですが、撮影禁止だった為に
写真がないので残念ですが、合計で15体の像がありました。
テレビや、本では見た事があった
「空也上人立像」や
「平清盛坐像」に出会えた時は感動しました( ´Д`)
そして、
平安、鎌倉に活躍した
仏師の運慶(あの奈良、東大寺の東大寺金剛力士像を作った人です!)や
その息子の湛慶の坐像など
平安・鎌倉時代に作られた重要文化財の木像が並んでいます。
館内の方のお話によると、賽銭入れなどもあるのですが
なんと・・・
平清盛坐像の前には、一万円札が2枚置かれていたり
する事もあるみたいですよー
(;゚д゚)スゴイ
やはり、平家の末裔の方なのでしょうか。
そんな六波羅蜜寺の場所はコチラ↓
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