2013-12-26 | |
テーマ:その他 |
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京ゆかりの言葉 その13
今回ご紹介するのは・・・
古都・京都ゆかりの言葉です
今でも使われる『言葉』の語源には
1200年の歴史を持つ京都ゆかりのものが
多数、存在しています。
今回は、そんな『京ゆかりの言葉』を
いくつかご紹介させていただきます。
・七夕(たなばた)
7月7日、短冊に願い事を書く行事であり
この日に、一度だけ織姫と彦星が出会うんですよね~
そんな『七夕』は
宮中で行われていた行事が起源となっているんです!
こちらは『縁結び』のご利益で有名な地主神社で行われている七夕祭の様子です。詳しくは七夕祭 2013(地主神社)の記事をご覧下さい。
現在、行われている『七夕』は
日本古来の文化と、中国の文化が混ざり合ったものだと言われています。
古来、日本ではお盆の前に
棚機(たなばた)と呼ばれる禊(みそぎ)の行事が
行なわれていました
この『たなばた』が現在の七夕になったんですね
『棚機』は祖先の為に捧げる『絹』などを織る儀式で
織り上げたものを7月7日に
織り棚に備えていました。
一方、中国では7月7日を『乞巧奠(きこうでん)』と言い
この日に、裁縫が上達するように祈願する文化がありました。
7月7日に祈願したのは
織姫と彦星にまつわるエピソードが起源となっているからなんですよ。
つまり、天の川のお話は、中国の乞巧奠がベースになっているようです。
お話に関して詳しくは
よければチェックしてみてくださいね!
・弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
その道のプロでも、時には失敗するという意味の言葉です。
この『弘法』とは一体何なのかと言いますと・・
弘法大使『空海(くうかい)』の事なんですね!
※写真は紅葉の名所で知られる善峯寺にある弘法大使像です。
この空海は、平安時代の高層で
唐にも渡った事のあるとてもすごい人なのです。
それと同時に『書』に長けていた事で知られ
『三筆』の一人にも数えられています。
※三筆とは、嵯峨天皇・空海・橘逸勢(たちばなのはやなり)の3人を指します。
彼に関する書のエピソードを1つ紹介しますと・・・
唐に渡る際、海が荒れ、本来の行き先ではなく
中国の福州(現在でいう福建省あたり)に
辿り着いてしまったそうです
この時、空海は
海賊と間違われてしまいました
しかし、その達筆な筆さばきで上申書を書くと
「こんなにも、字が綺麗な奴が海賊なワケがない!」と
周囲を納得させ
自らの疑いを晴らしたそうですよっ
※空海の書に関するエピソードは東寺の記事をご覧下さい。
・御曹司(おんぞうし)
名家の跡取り息子だったり、大企業の社長の息子なんかを
御曹司と呼んだりしますが
この言葉の起源は・・・宮中にあるのですっ!
こちらはかつて宮中が置かれていた京都御所です。門の奥には紫宸殿(ししんでん・正殿)が見えます。
『曹司』とは、もともと『部屋』を意味する言葉で
平安時代、宮中に設けられた詰所や
貴族の邸宅にある子供(若君・わかぎみ)の部屋を『曹司』と呼んでいました。
その後、次第に
曹司(部屋)にいる若君の呼び名として
『御曹司』が用いられるようになったんですね
現在はこうした貴族文化はありませんが
その呼び名は残ったという事みたいですよ~っ
・すき焼き(すきやき)
『すき焼き』という言葉は江戸時代末期に誕生したもので
その語源というのは
農具の鋤(すき・農具)の金属部分を鉄板代わりにして
そこで魚や豆などを焼いて食べていた事に由来します。
日本では肉食が公的に禁じられていましたが
江戸時代の後期・幕末頃から
徐々に牛肉も食べられるようになりました。
※牛や馬は、大切な労働力であり食べるものではないと考えられていたからです。
そんな中、京都の三条河原に、日本初の『すき焼き屋』がオープンしたんですね!
三条河原とは、京都の鴨川に架かる三条大橋の河川敷を指します。ここは処刑が行われたり、さらし首が置かれたりした場所でもありました。こちらの瑞泉寺は、その三条河原から程近い場所に建つお寺です。境内には、さらし首にあった、豊臣秀次(ひでつぐ・秀吉の養子)のお墓などがあります。
以降、明治になると一般庶民にも
牛肉を食する文化がさらに広がったと言われています。
ちなみに
関西は『すき焼き』ですが、関東では『牛鍋』と呼んでいたそうです
ではどうして現在のように
全国的に『すき焼き』と呼ばれるようになったのか?
そのきかっけとなったのが
1923年に起きた関東大震災だと言われています。
この時に『牛鍋屋』の多くが潰れてしまい
それに代わって関西の『すき焼き屋』が関東に進出した事が
理由みたいですよ
という事で、本日は京ゆかりの言葉を紹介させていただきましたっ!
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