2014-01-04 | |
テーマ:その他 |
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京ゆかりの言葉 その14
今回ご紹介するのは・・・
古都・京都ゆかりの言葉です
今でも使われる『言葉』の語源には
1200年の歴史を持つ京都ゆかりのものが
多数、存在しています。
今回は、そんな『京ゆかりの言葉』を
いくつかご紹介させていただきます。
・三日天下(みっかてんか・みっかでんか)
わずかの期間しか、その地位や権力保持出来ない事や
どうせその権力はすぐに終わってしまうと揶揄したりするのに
使う言葉ですよね。
この語源になった人がいる事をご存知ですか?
それが・・・
明智光秀なんですね
え?彼って天下獲ったっけ?と思われているかもしれません。
それが一瞬だけあります。
そうです、本能寺の変(1582年)です!
本能寺の変が起こった場所には、現在石碑が建てられています。
この時、主君の織田信長を討ったんですよね
結果的に、その13日後に秀吉との戦いに負け
最後は、落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺し殺され命を落としたと
言われています。
※『本能寺の変』について詳しくは阿弥陀寺の記事をご覧下さい。
13日後?じゃぁ、この三日というのは?というと
これは光秀が京都で政務を執った期間だと言われています。
それが三日間だったんですね。
つまり
『政務を執った期間』=『天下を獲った期間』
という事みたいですよ。
・勝てば官軍 負ければ賊軍(かてばかんぐんまければぞくぐん)
どんな理由や道理であれ、最終的に勝った方が正義(正しい)であり
負けた方が悪者になってしまう、といった意味の言葉です
この『官軍』とか『賊軍』って何かご存知ですか?
『官軍』とは薩摩藩士を中心とした新政府軍(朝廷軍)
『賊軍』とは旧幕府軍(徳川幕府)の事なんです。
※つまり賊軍とは、官軍の反語で、朝廷や新しい政府にそぐわないものを賊軍と呼んだというワケです。
この言葉は、幕末に起こった
『鳥羽・伏見の戦い(1868年)』を語源とする言葉で
新政府軍と旧幕府軍の戦いで、負けた旧幕府軍が
賊軍扱いとなった事に由来するんですね
『鳥羽・伏見の戦い』において新政府軍(朝廷軍)が本陣を置いた御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に建つ石碑です。
実際にこの時、旧幕府軍は
天皇に歯向かうつもりで戦っていたわけではなかったですが
新政府軍が『錦の御旗(天皇の軍隊である事の証明)』を
持ち出した事によって
天皇に刃を向けたのだと感じた旧幕府軍に
動揺が走り、戦意喪失した者が続出したと言います。
※詳しくは明治維新 伏見の戦跡の記事をご覧下さい。
・おやつ
おやつと聞くと『お菓子』をイメージする人も多いでしょう
『3時のおやつ』なんて言葉もありますが・・
この語源は・・なんと
本願寺(西本願寺)にあったんですね~!
※現在の西本願寺は通称であり、後に分かれて出来た真宗本廟(しんしゅうほんびょう・通称 東本願寺)と分かりやすく区別する為、西本願寺と呼ばれています。
この『おやつ』という言葉はそれぞれ
『お』+『やつ』に分ける事が出来ます
まず、『やつ』とは何か?と言いますと
『八つ刻(やつどき・現在の14~16時の間)』
を意味する言葉なんですね。
この間に、間食をする事を『八つ刻に小昼(こびる)』なんて言ったそうです。
では『お』が付いた理由は何かと言いますと
本願寺で『八つ刻』に鳴らされていた太鼓を
檀家さんや地元の人が『お』を付けて
『お八つの太鼓』と呼んでいた事がきっかけだそうです。
※本願寺では修行の合図として、毎日、八つ刻にこの太鼓を鳴らしていたそうです。
こうして『やつ(八つ刻)』に『お』が付けられるようになり
『八つ刻に小昼』が結果的に『おやつ』という呼び方に変わったという事みたいですね。
・大御所(おおごしょ)
すでに引退していても、大きな実権を握っている人を指す言葉として
使われていますが、元祖・大御所とも言うべき人こそ・・・
徳川家康!
ご存知、江戸幕府の初代将軍です
彼が、1605年に将軍職を、息子の秀忠に譲り、隠居した際に
『大御所様』と呼ばれるようになりました。
ちなみに、この御所というのは、ご存知かと思いますが
京都御所の事です
こちらが京都御所です。門の奥には紫宸殿(ししんでん・正殿)が見えます。
それ以前、鎌倉時代より親王(天皇の子供)が
鎌倉幕府に迎え入れられましたが
謀反の疑いなどで、京に戻されたりしたようです。
この際、帰ってきた親王が入る所を『大御所』と呼んだんですね
※室町時代より天皇家以外でも、足利義満や足利義政は大御所と呼ばれていたそうです。
現在の『大御所』という言葉の意味は
徳川家康によるところが大きく
引退(将軍職を譲る)しても、その威力は絶大であった事が
理由にあるそうですよ。
とう事で、本日は
京ゆかりの言葉をご紹介させていただきました。
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