2011-10-13 | |
テーマ:史跡 |
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薩摩藩邸址(二本松藩邸)
さて、本日は
幕末、薩摩藩に関する史跡をご紹介したいと思います。
それが・・・
薩摩藩邸址(二本松藩邸)です。
さて、まず始めに
京都において、薩摩藩邸があった場所は3つあるんですね。
1つ目が京都伏見の・・・
「伏見藩邸(ふしみはんてい)」
※写真は伏見藩邸址に建つ石碑です。
そして2つ目は・・・
京都御所から1キロほど南の「錦小路藩邸(にしきこうじはんてい)」
最後に3つ目が
今回ご紹介する・・・
「二本松藩邸(にほんまつはんてい)」なんですね♪
石碑は、ちょうど京都御所のすぐ北側で
同志社大学の西側門の側に建っています。
建てられたのは1862(文久二年)年。
ん!?・・・この年と言えば
(・∀・)ノ文久の改革(ぶんきゅうのかいかく)の年です!
島津家(薩摩藩)が主導で行った『文久の改革』は
島津久光が、薩摩より京へ上がり
朝廷の勅許を得て行った改革です。
※文久の改革については大黒寺の記事をご覧下さい。
その年に、こちらの薩摩藩は建てられました。
どうやら錦小路藩邸が
手狭になったからという理由だそうです。
そういう事もあり、こちらの薩摩藩邸は
広さは、なななーんと5805坪(19000㎡)もあり
9棟の建物による巨大な敷地を有していたんです!
ちなみに、この場所で行われたのが・・・
坂本龍馬や中岡慎太郎の尽力により実現した
薩長同盟(さっちょうどうめい)ですよね。
※『薩長同盟』に関しては木屋町界隈の史跡 その1をご覧下さい。
ちなみに、その後こちらの薩摩藩邸は
どうなったのかと言いますと・・・
1875年には無くなり
新島襄(にいじまじょう)という人物により
同志社大学が建つ事となりました。
薩摩藩の西郷隆盛が
西南戦争で亡くなったのが1877年です。
こうしてみると
建物ひとつとっても、幕末から明治にかけての
時代の移り変わりを感じますね~。
そして、もうひとつご紹介したいのが
『薩藩戦死者墓』です。
場所は相国寺の東門を出て更に東へ進むと見えてきます。
こちらのお墓には
禁門の変(蛤御門の変)と、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)で
亡くなった72名の薩摩藩士が合葬されています。
※禁門の変については木屋町界隈の史跡 その1を、鳥羽・伏見の戦いに関しては城南宮 その2をご覧下さい。
今回ご紹介させていただいた2つは
距離も近いので
是非セットでご覧になってみてはいかがでしょうか?
薩摩藩邸址(二本松藩邸)はコチラ↓
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薩藩戦死者墓はコチラ↓
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伏見藩邸はコチラ↓
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1 ■ん~
薩摩藩も京都にゆかりあるんですね~自分は西郷隆盛さん歿後100年後に生まれたんですね~
今度京都に行くときは行って見よう。
匿名さん 2011-10-13 20:12:23
2 ■Re:ん~
>匿名さん
そうですね、京都にもゆかりは沢山ありますよ。
特に伏見の寺田屋は薩摩藩御用達の宿屋だったみたいですからねヾ( ´ー`)
京子 2011-10-14 19:22:55
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