2010-11-09 | |
テーマ:お寺 |
関連:金閣寺(鹿苑寺) / 大護摩供奉修(金閣寺・不動堂) / 養源院(上京区) / 長得院 / 真如寺 / |
相国寺
山外塔頭(さんがいたっちゅう)とするお寺
相国寺(しょうこくじ)をご紹介します。
相国寺は、室町幕府三代将軍
足利義満(あしかがよしみつ)によって創建されました
義満と言えば、北山文化ですよね~。
金閣寺や能面、能楽、狂言などなど公家文化の華やかさと
武家文化の雄大さが融合した独特の文化です
こちらは総門の左隣にある勅使門になります。
さて、こちらの相国寺は臨済宗のお寺になります。
臨済宗といえば・・五山制度ですよね!
京都の臨済宗の主な5つの寺院をランク付けした「京都五山」によると・・・
別格:南禅寺
1位:天龍寺
2位:相国寺
3位:建仁寺
4位:東福寺
5位:万寿寺
こちらの相国寺は、その第2位になります
もちろんこれに漏れた臨済宗のお寺も山ほどありますので5位でも実はスゴいんです。ちなみに、京都五山は足利義満によって制定されたのです。
気付くと、京子も京都五山の別格を入れた6つのお寺のうち
5つを取り上げた事になります~!
嬉しいっ。
でも、あとひとつの万寿寺は非公開のお寺という事で・・残念です(泣)
気を取り直して
歩く!
歩く!
さて、見えました~っ
法堂(はっとう)
さて、この中には何があるのかと言うと
臨済宗っと聞いてピーンときた方はスゴい!
そうなんです・・
中には
八方睨みの龍ですね~
( ´Д`)残念ながら中は撮影禁止(泣)
法堂を別のアングルからどうぞ~!!
八方睨みの龍とは
天井に描かれた龍で、どこから見ても、こちらを睨んでいるような龍なんですね。
しかーし、この相国寺はそれだけではないのです。
この八方睨みの龍はまたの名を
「鳴き龍」と言い
八方睨みの龍が描かれている絵の下辺りで
パーン
と、手を鳴らすと
天井がドーム型になっているので
反響してグワァァァァァン!と、音が鳴り響きます
これには京子、ビックリしました~
(・∀・)ノ龍が鳴いたらもしかするとこんな声がするのかもしれませんね。
そして次に
ご紹介するのは法堂の左手にあります
経蔵(きょうぞう)
一切経などの経典を納めておく蔵ですね。
では法堂の右手には何があるのかと
言いますと~っ
鐘楼です。
その名も「一名洪音楼」と言います
・・・なんだか名前が美しい。
必殺技の名前みたいですね~♪
こちらは、1843年、再建のものだそうです。
宗旦稲荷(そうたんいなり)
こちらには宗旦狐と呼ばれる狐の像がありまして
この相国寺には、昔、古狐が住んでいたそうなんです。
この狐は夜寒の頃になると、茶人である「千宗旦(せんのそうたん)」という人に化けて、夜ごと近所の茶人の宅へ行き、茶を飲み菓子を食い荒らし、帰って行ったそうです。
そんな事が度々あって
初めて気付かなかった人々も、徐々に気付き始め、この宗旦に化けた狐を
宗旦狐と名付けて皆で一緒に化かされ遊んだという
微笑ましいエピソードがあります
さて、ここで相国寺を作った
室町幕府三代将軍「足利義満」ってやっぱりどう考えてもスゴイんですよね~
なんといっても偉い&賢い
天皇になろうとした一般庶民!!!!
こちらは浴室で宣明(せんみょう)と言います。
蒸気浴をしながら、ひしゃくで湯を取り、体に掛けます。
奥ではこうして大釜でお湯を沸かします。妙心寺の明智風呂にも似ていますね~
水はけをよくする為に床を斜めにしているんですね。
ちなみに、
アニメ一休さんの相手をしている足利将軍は
この義満だそうですね。
以前、金閣寺を取り上げた時にもご説明しましたけど
南朝と北朝に分かれていた朝廷を一つにまとめあげたり!
公家の最高職「太政大臣」にもなり!
武士の最高職「征夷大将軍」にもなり!
出家して「准三后」にもなり!
※太皇太后、皇太后、皇后の三后(三宮)に准ずるという意味を持つ称号の事です。
明との国交を樹立し勘合貿易を行ったり!
明帝からも「日本国王」の称号をもらったり!
つまり、足利義満は天皇の座に着こうとした人物だったんですね~っ。
※没後は朝廷より「太上天皇」の尊号を贈られるも息子の義持が拒否しちゃいますけどね~。
さて、お話を相国寺に戻しまして
こちらは・・
開山塔(かいざんとう)
相国寺は足利義満により作られ、そこを任されたお坊さんが夢窓疎石(むそうそせき)。
開山塔の中には彼の像が安置されていました
そして、この開山塔から見えるお庭というのが・・・
開山堂枯山水庭園です。
広々とした枯山水庭園でしばしひと時瞑想にふける
京子であります
こちら庫裏(クリ)ですね。大きい切妻破風が大迫力でした~
そして、更に更に京子は歩きますと・・・
こちらには承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)があります
もちろん、館内の写真はないですけれど
中には
なんとびっくり
あの、金閣寺の「夕佳亭」が復元されていたり
国宝や重要文化財を展示公開していました~っ
ちなみに室町時代と呼ばれるようになったきかっけは、この三代将軍「足利義満」にあるんですね~
え
足利尊氏から室町時代が始まったから
尊氏に関する事から室町になったんじゃないの?
と思っている方が多いようですけど
実は、足利義満作った足利将軍が住む邸宅の名前だったのです。
その名前が室町殿(むろまちどの)と言われるものだったんですね!
※京都の通りのひとつ、室町通に面して正門が設けられたことからこう呼ばれました。
庭には多くの花が植えられていたので
「花の御所」とも呼ばれていました
という事で、この事から
足利将軍の時代を室町時代と名付ける事となったんですね
そんな相国寺の場所はコチラ↓
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