2013-04-24 | |
テーマ:ゆかりの地巡り |
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源氏物語ゆかりの地巡り
今回は、源氏物語ゆかりの地をご紹介します
『源氏物語』は平安時代中期に
紫式部によって書かれた恋愛物語です。
話の大部分を占めるのが
光源氏(ひかるげんじ)を主人公としたお話で
数々の女性と恋愛を繰り返しながら
京都を舞台に、彼の生涯を描きます
後半は『宇治十帖(うじじゅうじょう)』と題された物語で
宇治を舞台にした薫(かおる・光源氏の息子)のお話です。
今回は、そんな源氏物語に登場する
京都の様々な神社仏閣を中心にご紹介したいと思います。
・京都御所(きょうとごしょ)
京都府京都市上京区京都御苑3
源氏物語は、彼の生活の場であった
内裏(だいり)からスタートします。
桐壺帝(きりつぼのみかど)の第2皇子として生まれた
光源氏は、幼い頃から学問や芸事に優れていた
少年だったようで、後に臣下として朝廷に仕えます。
美男子であった事から多くの女性と浮世を流すんですね。
※光り輝くように美しい源氏という事から光源氏と名付けられました。
最初の恋愛は、彼が17歳の時でした。
亡き母の面影を持った5歳違いの継母である
藤壺(ふじつぼ)と恋に落ち、子供まで作ってしまうんですね。
※ちなみに、この時の子供は桐壺帝の第10皇子として扱われました。彼は後に冷泉帝(れいぜいのみかど)として再び登場します。
この後、光源氏は
葵の上(あおいのうえ)と結婚します
当初は高飛車なお嬢様育ちだった葵の上と
すれ違いの生活が続く事となります。
・廬山寺(ろざんじ)
京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
作者の紫式部が源氏物語を執筆した邸宅跡に
建てられたお寺です。
源氏物語の中では、光源氏と1度だけ関係を持った
空蝉(うつせみ・人妻)の住まいが
この辺りに設定されているそうです。
外見は地味で、小柄な女性だったようで
作者である紫式部自身をモデルにして描かれたとの
説もあるそうです。
結婚生活が上手くいっていなかった光源氏は
拠り所を探して
この後も様々な女性を愛する事となります
ある日、光源氏が乳母の見舞いに行った際
隣の垣根に咲くユウガオの花が気に入り
使いに採りに行かせました。
すると、その邸宅の住人であった
夕顔(ゆうがお)が、素敵な和歌で返して来たそうです。
これに感動した光源氏は
すぐに彼女と恋に落ちてしまいます。
※ちなみに、夕顔は葵の上の兄・頭中将(とうのちゅうじょう)の側室でした。
2人は互いに身分を隠したまま逢引を繰り返しますが
これを知った
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の恨みを買ってしまいます。
※六条御息所との出会いは詳しく作中には書かれていませんが、光源氏がかつて関係を持ってしまった女性の1人のようです。嫉妬深く、プライドの高い女性として描かれています。
六条御息所は夕顔に激しく嫉妬し
生霊となって取り憑き
ついに彼女を殺してしまったのです。
・清水寺(きよみずでら)
京都府京都市東山区清水1-294
ある夜、寂しさに暮れる光源氏が
夕顔の亡骸が葬られた東山の寺から見た
清水寺が作中に登場します。
彼の心情とは対照的に、清水寺には
多くの参拝客で賑わっている様子が描かれています
・鞍馬寺(くらまでら)
京都府京都市左京区鞍馬本町1074
作中に登場する『なにがし寺』のモデルになったと
言われているのが鞍馬寺です。
光源氏が、なにがし寺で出会ったのが
源氏物語のヒロインと言われる
紫の君(後の紫の上・当時10歳前後)です。
初恋の相手であった藤壺にとても似ていた事や
彼女の面倒を見ていた祖母が亡くなった事から
彼女を寵愛し、自分好みの女性に仕立て上げる為に
引き取り、育てたんですね
・葵祭(あおいまつり)
葵の上とは、夫婦生活を続けていく上で
10年かけて、ようやく
お互いを分かり合えるようになりかけていました
そして、とうとう葵の上は
光源氏との間に子供を妊娠したのです。
やっとの事で幸せを迎えた2人でしたが
葵祭にて事件が起こります。
それは御禊の儀(れつぎょのぎ)において
光源氏が参列すると聞き
見物に訪れた
葵の上と六条御息所が
見物する場所を巡って車争いを始めたのでした。
※御禊の儀は神様に仕える斎王(さいおう)が身を清める神事で、現在も斎王代以下女人列御禊の儀として行なわれています。詳しくは斎王代以下女人列御禊の儀 2012(上賀茂神社)をご覧下さい。
光源氏を巡った
女同士の争いというヤツですね!
六条御息所の車のもとに
後から来た葵の上の車がやって来て
強引に割り込み、場所を横取りしたのです。
これに怒った六条御息所は
夕顔と同様、激しい嫉妬の上
・・葵の上に生霊として取り憑くんですね。
結果的に、葵の上は子供を出産した後
死去する事となります。
ここで悲しみに暮れる光源氏のはずですが
この後、すぐに紫の君(当時15歳)と関係を持ってしまい
以後、彼女と長期間、過ごす事となります。
※身分の違いからか、結婚はしなかったようです。
この頃も作中には様々な女性が登場し
光源氏と関係を持ちます。
中でも末摘花(すえつむはな)に関しては
顔も見ずに夜這いをかけていたりする始末・・。
朝になって、光源氏は仰天したそうですよ(汗)
・野宮神社(ののみやじんじゃ)
京都府京都市右京区嵯峨野宮町1
そして、とうとう光源氏との結婚をあきらめた
六条御息所は、娘と一緒に伊勢へと下る事を決めます。
その前に、娘が伊勢の斎宮(神前に仕える女性)となる為に
この野宮神社で禊(みぞぎ)を行なったのでした
状況を知った光源氏は
2人もの女性を殺されたにもかかわらず
伊勢へと下る彼女を哀れに思い
野宮神社に籠もっていた六条御息所に会いに行ったんですね。
優しい男ほど罪作りなんですよね~
・雲林院(うんりんいん)
京都府京都市北区紫野雲林院町23
光源氏(当時25歳)の父親であった
桐壺帝が崩御した後、彼は再び藤壺に接近しますが
関係を拒まれ
雲林院に数日間、籠もるシーンが作中に描かれています。
※藤壺は、これをきっかけに『自分の子供が光源氏との間に出来た子供だ』と世間にバレる事を恐れ、出家してしまいます。
ちなみに光源氏は
雲林院に籠もっていた間にも、女官であった
朧月夜(おぼろづきよ)と関係を持ってしまいます。
・・・ハングリー過ぎます光源氏。
そして、この事が彼女の父親(太政大臣)の怒りを買い
須磨・明石へと左遷される事となるんですね。
※この後、左遷先でも女性と浮世を流し、ちゃっかり子供まで作っています。
・清凉寺(せいりょうじ)
京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
光源氏のモデルの1人と言われているのが
嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)です。
この清凉寺は、彼の別荘跡地に建てられたお寺です。
源氏物語の中においても
数年ぶりに帰京した光源氏は『嵯峨の御堂』を建てるんですね。
いよいよ、物語も後半に入り
葵の上との間に出来た息子『夕霧(ゆうぎり)』が元服したり
養女として迎え入れていた
六条御息所の娘が
冷泉帝(藤壺との間に出来た息子)と結婚したりと
彼の周囲は徐々に賑やかになものとなり
光源氏も太政大臣に出世します!
この頃が、どうやら絶頂期だったみたいですね
・河原院跡(かわらのいんあと)
京都府京都市下京区木屋町通五条下ル東側
源融の邸宅・河原院があったとされる場所です。
源氏物語の中では
六条院(六条御息所から拝領した敷地に建てた邸宅)の名前で
登場しています
この六条院で鷁首舟(げきしゅせん)を浮かべ
皆と宴を楽しんだと描かれています。
※写真は嵯峨天皇の離宮でもあった大覚寺で行なわれた『観月の夕べ』でのショットです。詳しくは観月の夕べ 2011(大覚寺)の記事をご覧下さい。
・大原野神社(おおはらのじんじゃ)
京都府京都市西京区大原野南春日町1152
物語の中では、冷泉帝が大原野へ
鷹狩りの為に行幸します。
この時、同行した玉鬘(たまかずら・夕顔の娘)は
光源氏と冷泉帝がそっくりな事に
気付くシーンが描かれています。
※冷泉帝は、光源氏の息子である事は隠され、冷泉帝の皇子として世間に公表されていました。
こちらの大原野神社は、その際に参拝したようですね。
さて、物語はここから更に展開します。
なんと光源氏は40歳にして
・・・新しい奥さんをもらいます!
それは15歳になった
女三宮(おんなさんのみや)という女性です。
※光源氏の兄・朱雀帝(すざくのみかど)が出家するに伴い、娘であった女三宮を、弟(光源氏)のもとへ嫁がせたんですね。
事実上、光源氏にとって『紫の上』が奥さんでしたが
身分の違いから
女三宮が光源氏の正室となってしまいました。
これによって
紫の上は戸惑い、深い嫉妬の後
・・・とうとう出家してしまいます。
更に、正室の女三宮にまで浮気されていまう始末。
因果応報と言えるのではないでしょうか(汗)
そして、六条御息所や紫の上も死んでしまい
とうとう光源氏も出家し、彼のお話は、ここで終了です。
※ちなみに、この後の続編である『宇治十帖』によると、光源氏はこの2~3年後に死去したとの記述があります。
宇治に建つ『紫式部像』です。
さて!ここからは『宇治十帖』のお話となります。
あれから数年経ち、舞台を宇治に移します。
主人公は薫(かおる)という17歳の男の子です
母親は女三宮で、父親は光源氏となっていますが
・・実は、女三宮の浮気相手であった
柏木(かしわぎ・頭中将の息子)という人物です。
※頭中将は『葵の上』のお兄さんでしたよね。
薫は一言で言えば、ネクラであり
出生に関して疑念をいだいているようで
母親の事を信頼していない様子。
そして、若い時から出家願望のある男の子です。
そして、もう1人の重要な人物が
光源氏の孫・匂宮(におうのみや)です。
こちらは薫とは対照的に、活発的な男の子で
薫のライバルとして描かれています。
宇治十帖は、そんな彼らが
3人の女性を供に繰り広げるお話がメインとなっています。
では、お話を進めながら、ゆかりの地をご紹介します!
薫は仏門に入っていた
『宇治八の宮(うじはちのみや・光源氏の弟)』に惹かれ
都から宇治へと、足繁く通っていました
・宇治神社(うじじんじゃ)
京都府宇治市宇治山田59
こちらの宇治神社は、応神天皇の皇子である
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀っています。
作中に登場する『宇治八の宮』のモデルになった人物と
言われているんですよ。
・橋姫神社(はしひめじんじゃ)
京都府宇治市宇治蓮華46
宇治へと通う薫は、ここで運命的な出会いをします。
それが『宇治八の宮』の娘である
大君(おおきみ)です。
彼女に恋をした薫は『橋姫の伝説』になぞらえ
和歌をプレゼントするんですね。
※橋姫は、夫をとある女性に取られ、嫉妬のあまり、その女を殺す為に貴船の山奥に籠もり、鬼となった女性です。詳しくは貴船神社や命婦稲荷神社の記事をご覧下さい。
「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹(さお)のしづくに袖ぞ濡れぬる」
橋姫のように、山里(宇治)で暮らすあなたを見ていると
私は涙で袖を濡らしてしまいます。
・・と詠んだんですね。
ちなみに、お話の中では
彼女とは上手くいかず・・フラれてしまいます。
光源氏のように上手くは行かないみたいです(笑)
そして、彼女の妹である
中君(なかのきみ)にも思いを寄せますが
ライバルの匂宮に取られてしまう始末(汗)
・平等院(びょうどういん)
京都府宇治市宇治蓮華116
ちなみに、こちらの平等院は
もともと源融の別荘があった場所とされています。
作中でも
光源氏の息子である夕霧が、宇治に大きな別荘を構えているんですね。
さて、そんな中いよいよ登場するのが
ヒロインである浮舟(うきふね)です
彼女もまた『宇治八の宮』の娘にあたる女性です。
※大君や中君とは異母姉妹になります。
この女性がまた悲しい運命を背負っていて
薫は彼女を大君の身代わり(風貌が似ていたそうです)として愛し
匂宮は、薫に対するライバル心から彼女を愛し横取りしようとします。
そんな2人の男性の間で揺れる浮舟は
悩み苦しんだ挙句・・・
宇治川に身を投げて投身自殺を計ります!
結局、お話の最後では
浮舟は奇跡的に生きながらえ
どちらの男性を選ぶ事もなく、出家したという結末なんですね。
・三室戸寺(みむろとじ)
京都府宇治市莵道滋賀谷21
宇治八の宮は、話の中で山寺に籠もります。
その山寺のモデルとされるのが三室戸寺です。
境内には『浮舟之古跡』と書かれた石碑もあるんですよ。
・・という事で突然ですが、源氏物語はここで終了です。
途切れるように終わってしまう最後は
研究者の間でも様々な意見があり
結末は読者に委ねたのか?
もしくは、書き終える事なく紫式部が息絶えたのか?
などと、言われているそうですよ。
興味がある方は一度、読んでみてはいかがでしょうか?
そんな源氏物語ゆかりの地巡りの場所はコチラ↓
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