2014-12-08 | |
テーマ:その他 |
関連:京都の国宝3大唐門 / 龍華の三具足 / |
京都の禅面
ご紹介するのは
京都の禅面(ぜんづら)です
禅面というのは
臨済宗(りんざいしゅう)のお寺で
それぞれの特徴から
俗に『○○面(づら)』と呼ばれるお寺の事をいいます
ちなみに○○面と呼ばれるお寺は
それぞれが大本山なので
境内はとっても大きいんですよ!!
では早速、ご紹介したいと思います。
※順序は50音順で紹介しています。
■建仁寺の学問面(けんにんじのがくもんづら)
開山堂です。
場所:京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584
建仁寺は
臨済宗建仁寺派の大本山で
1202年(建仁2年)に栄西(えいさい、またはようさい)が
鎌倉幕府2代目将軍
源頼家(みなもとのよりいえ)より
この地の寄進を受けて創建した
京都で最初の禅寺なんですね~
ちなみにお寺の名前は
当時の元号から名付けられたそうですよ。
江戸時代初期の画家
『俵屋宗達(たわらやそうたつ)』が描いた
風神雷神図(ふうじんらいじんず)屏風が
伝わっている事でも知られ
本坊(ほんぼう)にはレプリカが飾られています
そんな建仁寺は
俗に『学問面』と呼ばれているんですね。
これは栄西をはじめ
漢詩や漢文に秀でた僧を多数輩出した事から
そう呼ばれているんだそうです。
■相国寺の声明面(しょうこくじのしょうみょうづら)
場所:京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
相国寺は
臨済宗相国寺派の大本山で
1382年に室町幕府第3第将軍である
足利義満によって
創建されたお寺です。
相国寺の山外塔頭なんですよ
境内には
承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)もあり
金閣寺の『夕佳亭(せっかてい)』が復元されていたり
茶器や絵画、屏風など
国宝や重要文化財を数多く展示公開しています
そんな相国寺は
俗に『声明面』と呼ばれているんですね。
これは2代目住職である
春屋妙葩(しゅんおくみょうは)の
生まれ持った美しい声で
独特の声明(お経に節やリズムをつけた声楽)を
奏でた事からそう呼ばれるようになったんだそうですよ。
■大徳寺の茶面(だいとくじのちゃづら)
三門です。
場所:京都市北区紫野大徳寺町53
大徳寺は
臨済宗大徳寺派の大本山で
1315年(正和4年)に
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が
創建したお寺です。
一時は応仁の乱で焼失してしまうんですけれど
アニメ一休さんでおなじみの
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)によって再建されました
そんな大徳寺は
俗に『茶面』と呼ばれているんですよ。
これは天下の茶人と知られる
千利休(せんのりきゅう)のお墓や
利休の子孫によって受け継がれている
茶道流派『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』の
菩提寺になっている事
また、境内にある23もの塔頭寺院の
ほとんどに茶室がある事などから
そう呼ばれるようになったんだそうです
■東福寺の伽藍面(とうふくじのがらんづら)
三門です。
場所:京都市東山区本町15丁目778
東福寺は
臨済宗東福寺派の大本山で
1236年(嘉禎2年)に
摂関家である九条道家(くじょうみちいえ)が
九条家の菩提寺として創建したのが
始まりといわれています。
お寺の名前は
東大寺の規模の大きさ
興福寺から教えの素晴らしさを習って
東大寺と興福寺から一字ずつ取り
東福寺と名付けられたんだそうですよ
また、東福寺は京都でも屈指の
紅葉の名所として知られ
通天橋から見る紅葉は
『通天もみじ』とも呼ばれ
境内の中でも人気のスポットです
そんな東福寺は
俗に『伽藍面』と呼ばれています。
これは創建当時
壮大な大伽藍を有していた事から
そう呼ばれたそうですよ。
■南禅寺の武家面(なんぜんじのぶけづら)
三門です。
場所:京都市左京区南禅寺福地町86
南禅寺は
臨済宗南禅寺派の大本山で
1289年(正応2年)に
亀山法皇(かめやまほうおう・第90代天皇)が
無関普門(むかんふもん)を開山に迎えて
創建しました。
室町幕府3代目将軍
足利義満(あしかがよしみつ)によって制定された
京都五山では
別格に位置づけられています
※詳しくは、京都五山の記事をご覧ください。
また、南禅寺と言えば
境内にある水道橋『水路閣(すいろかく)』が
ある事でも知られていますよね♪
※ちなみに水路閣には琵琶湖疏水が流れています。
そんな南禅寺は
俗に『武家面』と呼ばれているんですね。
これは武家と関わりの強い事から
そう呼ばれているそうです
少しご紹介しますと
お寺の山門は
徳川家の家臣であった藤堂高虎(とうどうたかとら)の
手によって再建されていますし
南禅寺の住職の中には
徳川家康(とくがわいえやす)のブレーンで
方広寺鐘銘事件(ほうこくじしょうめいじけん)に
関与した『崇伝(すうでん)』がいたりするんですね~
※方広寺鐘銘事件について詳しくは、方広寺や天得院の記事をご覧ください。
■妙心寺の算盤面(みょうしんじのそろばんづら)
三門です。
場所:京都市右京区花園妙心寺町1
妙心寺は
臨済宗妙心寺の大本山で
1337年に花園法皇(はなぞのほうほう・第95代天皇)が
花園離宮を禅寺として
関山慧玄(かんざんえげん)を開山に
創建したんだそうです。
そんな妙心寺は
俗に『算盤面』と呼ばれているんですね
妙心寺は応仁の乱で
焼失してしまったんですけれど
当時の住職である雪江宗深(せっこうそうしん)が
再建したと伝わっています。
その際に財政面からの再建を重視し
『米銭納下帳』を付け
お金の計算、会計を厳重にし
経済安定を計ったんですね~
その後、明治時代まで
帳簿は毎年作成されたみたいで
この事から算盤面と
呼ばれるようになったんだそうです!
1度、消失をしている妙心寺ですけれど
今では日本最大の禅寺と言われています
という事で今回は京都の禅面をご紹介しました。
禅面の詳しい場所はコチラ↓
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