メモ2013-09-13
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その216

今回は京都検定の過去問を

4つご紹介したいと思います~


では早速1問目!

【問題】

西本願寺

西本願寺(にしほんがんじ)では、今年(2011年)4月から来年1月にかけて、宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)(   )大遠忌法要(だいおんきほうよう)が行われている。

ア.700回

イ.750回

ウ.800回

エ.850回

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

イ.750回


親鸞聖人は

鎌倉時代に活躍した僧で

浄土真宗を開いた人として有名です。


そんな彼を偲び

50年毎の命日には

『大遠忌』と言う法要が行われるんですよ。


第750回大遠忌では法要に加えて

声明(しょうみょう・お経に節やリズムをつけた声楽)や

西洋音楽を取り入れた音楽法要が行われたそうです


ちなみに西本願寺

正式名称を『本願寺』といい

親鸞聖人の廟堂(びょうどう・霊を祀る所)を起源とするお寺です。

※詳しくは、西本願寺の記事をご覧下さい。


続いては2問目です。

【問題】

金閣寺龍安寺(りょうあんじ)、仁和寺(にんなじ)の三つの寺を結ぶ(  )は、観光道路として知られている。

ア.きぬかけの路(きぬかけのみち)

イ.千代の古道(ちよのこどう)

ウ.半木の道(なからぎのみち)

エ.哲学の道(てつがくのみち)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

ア.きぬかけの路


きぬかけの路は

衣笠山(きぬがさやま)の麓にある

約2.5kmの道で

正式名称を

『市道衣笠宇多野線(しどうきぬがさうたのせん)』と言います。


『きぬかけ』という名前の由来になった衣笠山は

宇多天皇(うだてんのう・第59代天皇)が

夏に雪を見たいと言った時に

山全体を白い絹で覆い

雪景色のように見せた事にちなんでいるそうですよ


1963年に開通してからは

『観光道路』と呼ばれていましたが

1991年、募集した公募により

現在の名称に決まったそうですよ


きぬかけの路付近には

金閣寺

金閣寺

※詳しくは、金閣寺(鹿苑寺)の記事をご覧下さい。

龍安寺

龍安寺

※詳しくは、龍安寺 その1、龍安寺 その2の記事をご覧下さい。

等持院

等持院

※詳しくは、等持院の記事をご覧下さい。

仁和寺

仁和寺

※詳しくは、仁和寺 その1、仁和寺 その2の記事をご覧下さい。

など、有名な観光スポットが数多くあるんですね。


それでは3問目です。

【問題】

能、舞、茶道、華道などに用いる伝統的工芸品に関する塚で、五条大橋畔にあるのは何か。

ア.筆塚(ふでづか)

イ.刷毛塚(はけづか)

ウ.扇塚(おうぎづか)

エ.帯塚(おびづか)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

ウ.扇塚


扇塚

かつてこの辺りで数多くの扇子が作られていた事を記念して

1960年、御影石(みかげいし)で扇の碑が作られたそうです。


この地で扇が作られるようになったのは

一ノ谷の合戦(1184年)で

平敦盛(たいらのあつもり・平清盛の甥)が亡くなった時

その妻が『新善光寺(しんぜんこうじ)』で出家し

寺の僧と共に扇を作ったのが始まりと言われています。

それ以来、この地には扇職人が集まったと言われています


新善光寺で作られた扇は

『御影堂扇(みえいどうおうぎ)』と言い

近世では最上の扇として有名だったそうですよ。

※御影堂とは新善光寺の別称です。


付近には

五条大橋の牛若丸と弁慶像

五条大橋で戦ったと言われている

弁慶と牛若丸の銅像も建っているんですよ

※弁慶と牛若丸のエピソードについて詳しくは、五條天神宮の記事をご覧下さい。


では最後の問題です。

1級からの出題になりますので選択肢ではありません!

ズバリでお答え下さい。


【問題】

高倉錦小路(たかくらにしきこうじ)の青物問屋に生まれ、独自の花鳥画を完成、特に鶏図を得意とした江戸中期の画家は誰か。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)


彼は江戸時代に活躍した狩野派に

絵を習ったと言われています。


当初は家業を継いでいましたが

20代後半で絵に没頭し

40代になると家督を弟に譲り

本格的に絵師として活動し始めたそうです


雪梅雄鶏図(下半分)の立て看板

両足院に残る

『雪梅雄鶏図(せつばいゆうけいず)』は

その頃の作品と言われています。


色彩の魔術師とも言われる彼は

『鳳凰』を描いた際

金色を表現するのに

白色と黄色、そして黒色しか使用せず

金色を表現したそうですよ

※伊藤若冲の素晴らしさについて詳しくは、両足院 その3の記事をご覧下さい。


という事で、本日も4問出題させていただきました~!!

皆さんは何問正解されましたか?





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