2013-06-06 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その184
今回は京都検定の過去問を解説と写真付きで
お送りしたいと思います。
是非、チャレンジしてみて下さい。
では1問目です
【問題】
明治17年(1884)の葵祭の再興や、御所の保存に尽力したのは誰か。
ア.西園寺公望(さいおんじきんもち)
イ.山県有朋(やまがたありとも)
ウ.岩倉具視(いわくらともみ)
エ.伊藤博文(いとうひろぶみ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.岩倉具視
岩倉具視は江戸時代(幕末)から
明治時代にかけて活躍した公家であり政治家です。
彼が1883年に『賀茂祭旧儀御再興ノ事』を提言した事から
翌年の1884年から葵祭が再興されたと言われています
約500名の行列が平安装束に身を包み
1大パレードなんですよ
※詳しくは、葵祭 2012(上賀茂神社・下鴨神社)の記事をご覧ください。
続きまして2問目です。
【問題】
千利休の帰依を受けてから茶道との関わりが深く、「茶面(ちゃづら)」とも称される寺院はどこか。
ア.大徳寺(だいとくじ)
イ.東福寺(とうふくじ)
ウ.建仁寺(けんにんじ)
エ.妙心寺(みょうしんじ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.大徳寺
大徳寺は1315年
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう・僧)により建てられたお手です。
応仁の乱で焼失しますけれど
『一休さん(アニメ)』でおなじみの
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)により再建されるんですよ
千利休は『わび茶』というスタイルを完成させた茶人で
織田信長や豊臣秀吉に仕えた人物です。
茶面と言われるのは
千利休のお墓や彼の子孫によって受け継がれている
茶道流派『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』の菩提寺になっている事などから
『大徳寺の茶面』と呼ばれています。
3問目に行ってみましょう。
【問題】
「きぬかけの路」の名前の由来ともなった衣笠山は、( )が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い、雪景色に見せたという故事にちなむ。
ア.嵯峨天皇(さがてんのう)
イ.宇多天皇(うだてんのう)
ウ.一乗天皇(いちじょうてんのう)
エ.村上天皇(むらかみてんのう)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.宇多天皇
きぬかけの路は衣笠山のふもとにあり
宇多天皇(平安時代前期)は
光孝天皇(こうこうてんのう・平安時代前期)の勅願で建築が始まった
仁和寺を888年に完成させた人です
897年には天皇の座を譲り出家し
仁和寺に御室(おむろ・宿坊)を作り
約30年間、修行に励んだそうですよ
※仁和寺について詳しくは、仁和寺 その1、仁和寺 その2の記事をご覧ください。
ちなみに、きぬかけの路付近には
■金閣寺
※詳しくは、金閣寺(鹿苑寺)の記事をご覧ください。
■龍安寺
※詳しくは、龍安寺 その1、龍安寺 その2の記事をご覧下さい。
■等持院
※詳しくは、等持院の記事をご覧ください。
■仁和寺
※詳しくは、仁和寺 その1、仁和寺 その2の記事をご覧ください。
などの名所が多数、存在しています。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません
ズバリでお答え下さい!
【問題】
親鸞(しんらん)上人の教えに対し、さまざまな異説が現れたことを嘆き、弟子の唯円(ゆいえん)が師から聞いた教えを記したとされる書物は( )である。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
歎異抄(たんにしょう)
唯円は鎌倉時代の僧で
河和田(かわわだ・現在の茨城県水戸市)にお寺を開いた事から
『河和田の唯円』と呼ばれていたそうです
歎異抄は18条からなる書で
親鸞が亡くなった後、誤った教えが説かれるのを嘆き
唯円が記したと言われています。
前半部分には親鸞の言葉が
後半部分には唯円の言葉が記されているそうですよ。
こちらの西本願寺は親鸞上人が亡くなられた後
その廟堂(びょうどう・霊を祭る所)から発展したお寺です。
※詳しくは、西本願寺の記事をご覧ください。
という事で本日も4問出題させていただきました
皆さんは何問正解されましたか?
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