2016-01-10 | |
テーマ:祭り・イベント |
禅寺の美-大本山が誇る天井龍
今回ご紹介するのは
京都駅前地下街ポルタの
ポルタプラザで行われたイベント
禅寺の美-大本山が誇る天井龍
(ぜんでらのび だいほんざんがほこるてんじょうりゅう)です!
昨年2015年12月29日から今年2016年1月11日まで
京都駅前地下街ポルタのポルタプラザで
京都にある臨済宗(りんざいしゅう)の大本山7つの
天井に描かれた龍、天井龍をテーマに
パネル展示されていたんですね~
7つの大本山の龍図
これは、今年2016年が
臨済宗の開祖、臨済義玄(りんざいぎげん)の
1150年遠諱(おんき)や
日本の臨済宗を中興した
白隠彗鶴(はくいんえかく)の
250年遠諱にあたる事にちなみ
京都の通常非公開の寺院や
寺宝を特別公開等の
様々な催しが行われる事に先駆けて
開催されたんですね
※遠諱というのは、宗祖や中興の祖等の没後50年毎に行われる大法要の事。
最終日が近いという事で
慌てて見に行ってきた次第です
普段は写真撮影が
禁止されている場所ばかりですから
興奮気味で写真に収めてきました
ちなみに臨済宗のお寺には
龍の絵が描かれていたり
龍の瓦があったりするんですけれど
これは臨済宗では、龍が仏法を守る存在と
考えられているからなんだそうです
龍は空想上の動物なんですけれど
その姿は頭はラクダ、角は鹿、耳は牛、目は兎
首は蛇、鱗は鯉(こい)
お腹は蜃(しん)、掌は虎、爪は鷹といわれています
※蜃とは、蜃気楼を作るとされる空想上の生き物。巨大なハマグリのような形。
それでは早速、それぞれの天井龍をご紹介しましょう
※50音順です。
■建仁寺(けんにんじ)の双龍図(そうりゅうず)
建仁寺は、建仁2年(1202年)に
鎌倉幕府2代将軍である
源頼家(みなもとのよりいえ)が土地を寄進し
創建された京都最初の禅寺で
建仁寺派の大本山です
そんな建仁寺の
法堂(はっとう)の天井龍は
2002年(平成14年)に
建仁寺開創800年を記念して
日本画家の小泉淳作
(こいずみじゅんさく)が
約2年かけて描いた龍です。
大きさは横15.7メートル、縦11.4メートルもあり
これは畳108枚分にもなるそうですよ
他の禅寺では1体の龍が描かれるのに対して
建仁寺の龍は、阿吽(あうん)の
2体の龍が描かれているのが特徴的です
■相国寺(しょうこくじ)の蟠龍図(ばんりゅうず)
相国寺は、1382年に
室町幕府第三代将軍である
足利義満(あしかがよしみつ)によって
創建された禅寺で相国寺派の大本山です
山外塔頭に、金閣寺(鹿苑寺)や
銀閣寺(慈照寺)がある事でも知られています
そんな相国寺の法堂の天井龍である
蟠龍図(ばんりゅうず)は
1605年(慶長10年)に法堂が再建された際に
狩野派の基礎を確立した
狩野永徳(かのうえいとく)の長男
狩野光信(かのうみつのぶ)が描いた龍です!
ドーム型になっている天井に描かれ
絵の中心付近で手を叩くと
カラカラと音が反響して龍が鳴いている様に聞こえる為
通称『鳴き龍(なきりゅう)』とも
呼ばれているんですね~
■大徳寺(だいとくじ)の雲龍図(うんりゅうず)
大徳寺は、1315年(正和4年)に
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が
創建した禅寺で大徳寺派の大本山です
天下の茶人と知られる
千利休(せんのりきゅう)のお墓や
利休の子孫によって受け継がれている茶道流派
『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』
の菩提寺になっている事でも知られています
そんな大徳寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
1636年(寛永13年)に再建された法堂に
江戸狩野派の礎を築いたとされる
狩野探幽(かのうたんゆう)が
35歳の時に描いた龍です。
こちらも相国寺と同じくドーム状になっており
絵の下で手を叩くとズウンと音が返ってくる事から
『鳴き龍』と呼ばれています
■天龍寺(てんりゅうじ)の雲龍図(うんりゅうず)
天龍寺は、室町幕府初代将軍である
足利尊氏(あしかがたかうじ)が
後醍醐天皇(ごだいごてんのう・第96代天皇)を
弔う為に建てた禅寺で天龍寺派の大本山です
そんな天龍寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
1997年(平成9年)に
法堂を移築して100年である事と
夢想国師(むそうこくし)650年遠諱を
記念して、日本画家の加山又造
(かやままたぞう)が
70歳の時に完成させた龍です。
直径9メートルにも及ぶ大きなもので
どの位置から天井を見上げても
こちらを睨んでいるように見える事から
『八方睨みの龍(はっぽうにらみのりゅう)』
と呼ばれるんですね
■東福寺(とうふくじ)の蒼龍図(そうりゅうず)
東福寺は、1236年(嘉禎2年)に
摂関家である九条道家(くじょうみちいえ)が
九条家の菩提寺として創建した禅寺で
東福寺派の大本山です
お寺の名前は
東大寺の規模の大きさ
興福寺から教えの素晴らしさを習って
東大寺と興福寺から一字ずつ取り
東福寺と名付けられたといわれているんですね
そんな東福寺の本堂の天井龍である
蒼龍図(そうりゅうず)は
1934年(昭和9年)に再建された本堂に
日本画家である堂本印象
(どうもといんしょう)が
約17日で描いた龍です!
大きさは、東西約22メートル
南北約11メートル
畳にすると150枚分なんだとか
■南禅寺(なんぜんじ)の瑞龍図(ずいりゅうず)
南禅寺は、1289年(正応2年)に
亀山法皇(かめやまほうおう・第90代天皇)が
無関普門(むかんふもん)を開山に迎えて
創建した禅寺で南禅寺派の大本山です
足利義満によって制定された
京都五山では別格に位置づけられているんですよ
※詳しくは、京都五山の記事をご覧ください。
そんな南禅寺の法堂の天井龍である
瑞龍図(ずいりゅうず)は
1895年(明治28年)に焼失した法堂が
1909年(明治42年)に再建された際に
日本画家である今尾景年
(いまおけいねん)が描いた龍です!
■妙心寺(みょうしんじ)の雲龍図(うんりゅうず)
妙心寺は、1337年に
花園法皇(はなぞのほうほう・第95代天皇)が
花園離宮を禅寺として
関山慧玄(かんざんえげん)を開山に
創建した妙心寺派の大本山です
かつて財政難に陥った時から
徹底した組織経営をして
日本最大の禅寺といわれるまでになった事から
俗に『算盤面(そろばんづら)』と呼ばれています
※詳しくは、京都の禅面の記事をご覧下さい。
そんな妙心寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
妙心寺の開山、関山慧玄の
300年忌に建てた法堂に伴って
探幽が55歳の時に8年かけて
完成させた龍です。
直径12メートルと巨大なもので
どこからみてもこちらを見ている様に
描かれた龍である事から
『八方睨みの龍』と、呼ばれています
という事で禅寺の美-大本山が誇る天井龍を
ご紹介しました
今回ご紹介した7つの大本山はコチラ↓
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