今回ご紹介するのは

京都駅前地下街ポルタの

ポルタプラザで行われたイベント


禅寺の美-大本山が誇る天井龍

禅寺の美-大本山が誇る天井龍
(ぜんでらのび だいほんざんがほこるてんじょうりゅう)です!


昨年2015年12月29日から今年2016年1月11日まで

京都駅前地下街ポルタのポルタプラザで

京都にある臨済宗(りんざいしゅう)の大本山7つの

天井に描かれた龍、天井龍をテーマに

パネル展示されていたんですね~


7つの大本山の龍図

7つの大本山の龍図


これは、今年2016年が
臨済宗の開祖、臨済義玄(りんざいぎげん)の
1150年遠諱(おんき)や
日本の臨済宗を中興した
白隠彗鶴(はくいんえかく)の
250年遠諱にあたる事にちなみ
京都の通常非公開の寺院や
寺宝を特別公開等の
様々な催しが行われる事に先駆けて
開催されたんですね

※遠諱というのは、宗祖や中興の祖等の没後50年毎に行われる大法要の事。


最終日が近いという事で

慌てて見に行ってきた次第です


普段は写真撮影が
禁止されている場所ばかりですから
興奮気味で写真に収めてきました


ちなみに臨済宗のお寺には

龍の絵が描かれていたり

龍の瓦があったりするんですけれど

これは臨済宗では、龍が仏法を守る存在と

考えられているからなんだそうです


龍は空想上の動物なんですけれど

その姿は頭はラクダ、角は鹿、耳は牛、目は兎

首は蛇、鱗は鯉(こい)

お腹は蜃(しん)、掌は虎、爪は鷹といわれています

※蜃とは、蜃気楼を作るとされる空想上の生き物。巨大なハマグリのような形。


それでは早速、それぞれの天井龍をご紹介しましょう

※50音順です。


建仁寺(けんにんじ)の双龍図(そうりゅうず)


建仁寺の双龍図(そうりゅうず)

建仁寺は、建仁2年(1202年)に

鎌倉幕府2代将軍である

源頼家(みなもとのよりいえ)が土地を寄進し

創建された京都最初の禅寺で

建仁寺派の大本山です


そんな建仁寺
法堂(はっとう)の天井龍は
2002年(平成14年)に
建仁寺開創800年を記念して
日本画家の小泉淳作
(こいずみじゅんさく)が
約2年かけて描いた龍です。


大きさは横15.7メートル、縦11.4メートルもあり

これは畳108枚分にもなるそうですよ


他の禅寺では1体の龍が描かれるのに対して

建仁寺の龍は、阿吽(あうん)の

2体の龍が描かれているのが特徴的です


相国寺(しょうこくじ)の蟠龍図(ばんりゅうず)


相国寺の蟠龍図(ばんりゅうず)

相国寺は、1382年に

室町幕府第三代将軍である

足利義満(あしかがよしみつ)によって

創建された禅寺で相国寺派の大本山です


山外塔頭に、金閣寺(鹿苑寺)や

銀閣寺(慈照寺)がある事でも知られています


そんな相国寺の法堂の天井龍である
蟠龍図(ばんりゅうず)は
1605年(慶長10年)に法堂が再建された際に
狩野派の基礎を確立した
狩野永徳(かのうえいとく)の長男
狩野光信(かのうみつのぶ)が描いた龍です!


ドーム型になっている天井に描かれ

絵の中心付近で手を叩くと

カラカラと音が反響して龍が鳴いている様に聞こえる為

通称『鳴き龍(なきりゅう)』とも

呼ばれているんですね~


大徳寺(だいとくじ)の雲龍図(うんりゅうず)


大徳寺の雲龍図(うんりゅうず)

大徳寺は、1315年(正和4年)に

宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が

創建した禅寺で大徳寺派の大本山です


天下の茶人と知られる

千利休(せんのりきゅう)のお墓や

利休の子孫によって受け継がれている茶道流派

『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』

の菩提寺になっている事でも知られています


そんな大徳寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
1636年(寛永13年)に再建された法堂に
江戸狩野派の礎を築いたとされる
狩野探幽(かのうたんゆう)が
35歳の時に描いた龍です。


こちらも相国寺と同じくドーム状になっており

絵の下で手を叩くとズウンと音が返ってくる事から

『鳴き龍』と呼ばれています


天龍寺(てんりゅうじ)の雲龍図(うんりゅうず)


天龍寺の雲龍図(うんりゅうず)

天龍寺は、室町幕府初代将軍である

足利尊氏(あしかがたかうじ)が

後醍醐天皇(ごだいごてんのう・第96代天皇)を

弔う為に建てた禅寺で天龍寺派の大本山です


そんな天龍寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
1997年(平成9年)に
法堂を移築して100年である事と
夢想国師(むそうこくし)650年遠諱を
記念して、日本画家の加山又造
(かやままたぞう)が
70歳の時に完成させた龍です。


直径9メートルにも及ぶ大きなもので

どの位置から天井を見上げても

こちらを睨んでいるように見える事から

『八方睨みの龍(はっぽうにらみのりゅう)』

と呼ばれるんですね


東福寺(とうふくじ)の蒼龍図(そうりゅうず)


東福寺の蒼龍図(そうりゅうず)

東福寺は、1236年(嘉禎2年)に

摂関家である九条道家(くじょうみちいえ)が

九条家の菩提寺として創建した禅寺で

東福寺派の大本山です


お寺の名前は

東大寺の規模の大きさ

興福寺から教えの素晴らしさを習って

東大寺と興福寺から一字ずつ取り

東福寺と名付けられたといわれているんですね


そんな東福寺の本堂の天井龍である
蒼龍図(そうりゅうず)は
1934年(昭和9年)に再建された本堂に
日本画家である堂本印象
(どうもといんしょう)が
約17日で描いた龍です!


大きさは、東西約22メートル

南北約11メートル

畳にすると150枚分なんだとか


南禅寺(なんぜんじ)の瑞龍図(ずいりゅうず)


南禅寺の瑞龍図(ずいりゅうず)

南禅寺は、1289年(正応2年)に

亀山法皇(かめやまほうおう・第90代天皇)が

無関普門(むかんふもん)を開山に迎えて

創建した禅寺で南禅寺派の大本山です


足利義満によって制定された

京都五山では別格に位置づけられているんですよ

※詳しくは、京都五山の記事をご覧ください。


そんな南禅寺の法堂の天井龍である
瑞龍図(ずいりゅうず)は
1895年(明治28年)に焼失した法堂が
1909年(明治42年)に再建された際に
日本画家である今尾景年
(いまおけいねん)が描いた龍です!


妙心寺(みょうしんじ)の雲龍図(うんりゅうず)


妙心寺の雲龍図(うんりゅうず)

妙心寺は、1337年に

花園法皇(はなぞのほうほう・第95代天皇)が

花園離宮を禅寺として

関山慧玄(かんざんえげん)を開山に

創建した妙心寺派の大本山です


かつて財政難に陥った時から

徹底した組織経営をして

日本最大の禅寺といわれるまでになった事から

俗に『算盤面(そろばんづら)』と呼ばれています

※詳しくは、京都の禅面の記事をご覧下さい。


そんな妙心寺の法堂の天井龍である
雲龍図(うんりゅうず)は
妙心寺の開山、関山慧玄の
300年忌に建てた法堂に伴って
探幽が55歳の時に8年かけて
完成させた龍です。


直径12メートルと巨大なもので

どこからみてもこちらを見ている様に

描かれた龍である事から

『八方睨みの龍』と、呼ばれています


という事で禅寺の美-大本山が誇る天井龍を

ご紹介しました


今回ご紹介した7つの大本山はコチラ↓

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