2011-09-09 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その4
では、先週よりスタートしています京都検定過去問。
本日も2問出題しています。
是非、試験勉強の足しにしてみてください♪
(・∀・)ノでは、引き続きいってみましょう~。
【問題】
紫野にある( )は、茶道と関わりが深く、俗に「茶面(ちゃづら)」と呼ばれる。
ア.東福寺(とうふくじ)
イ.相国寺(しょうこくじ)
ウ.大徳寺(だいとくじ)
エ.南禅寺(なんぜんじ)
・・さて、一体どれでしょうか??
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム♪
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
ウ.大徳寺(だいとくじ)です。
では、解説にいってみましょう。
こちらが大徳寺です。
1315年に建てられますが、その後応仁の乱で焼失。
再建したのが、アニメ一休さんでおなじみの
一休宗純なんですよ♪
この図からもわかるように境内はとても広く
23もの塔頭・寺院が所狭しと立ち並んでいます。
どうして、茶面と呼ばれているのかと言いうと・・・
これら数々の塔頭の殆どに茶室がある事や
その塔頭のひとつである聚光院(じゅこういん)は
千利休のお墓をはじめ、彼の子孫によって今なお残る
茶道流派『三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)』の
菩提寺になっている事から
「大徳寺の茶面」と言われているんですね!
この他にも、大徳寺には
利休切腹の原因にもなったと言われている
三門などもあります。
(・∀・)ノちなみに『○○面』と呼ばれるお寺は
京都にいくつかあります。
『東福寺の伽藍面(がらんづら)』
紅葉の名所でも知られる東福寺は創建当時
壮大な大伽藍(寺院の主要建物の事)を有している事から
そう呼ばれるようになりました。
その名の通り、境内の規模も大きく
見事な大伽藍を見る事が出来ますよ。
『建仁寺の学問面(がくもんづら)』
建仁寺は京都、祇園にあるお寺で
臨済宗の寺格・官寺制度である「京都五山」の第三位の寺院です。
五山の僧侶たちの中でも、
漢詩や漢文に秀でたお坊さんを建仁寺は多数輩出し
鎌倉~室町にかけて五山文学をリードした事から
そう呼ばれるようになりました。
『南禅寺の武家面(ぶけづら)』
武家との関わりの強いお寺で知られ
当時、徳川家臣であった藤堂高虎(とうどうたかとら)が三門を再建。
歴代の住職には、家康のブレーンで
方広寺鐘銘事件に関与した崇伝(すうでん)などがいます。
徳川幕府の力により、再興が行われ
武家との関わりが深いお寺です。
『妙心寺の算盤面(そろばんづら)』
算盤・・つまり、お金や計算を意味する言葉です。
応仁の乱で、焼失してしまった寺院を住職であった
雪江宗深(せっこうそうしん)が再建。
その際に、財政面からの再建を重視し「米銭納下帳」を付け
お金の計算、会計を厳重にし経済安定をはかりました。
その後明治時代まで帳簿は毎年作成されたそうですよ。
この事から算盤面と呼ばれるようになりました。
『相国寺の声明面(しょうみょうずら)』
声明とはお経に節やリズムをつけた声楽の事で
二代目住職である春屋妙葩(しゅんおくみょうは)は
生まれ持った美しい声で、独特の声明を奏でた事から
そう呼ばれるようになりました。
禅宗では声明の事を梵唄(ぼんばい)と呼ぶ事から
相国寺の梵唄とも言われます。
という事で、京都検定の過去門から2問出題させていただきました。
参考になりましたでしょうか?
是非、京都検定合格にお役立てくださいね♪
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1 ■あのー
もっと、レベルの高い問題もお願いできるかなー。
こんなのへべれけに酔っ払っていても出来るよ。
源義経が東北に旅立つときに立ち寄ったことがその名の由来となっている神社とかは、だと少し難しいか…?
うむむ…。
もっと骨のある問題を…。
ヨロシク!
ぽちさん 2011-09-09 20:56:58
2 ■Re:あのー
ぽちさんには確かに簡単すぎるかもしれませんね・・(><;
難しい問題も、この先やっていくかもです!
長い目で見てやってくださいませっ。
義経が東北に行く際に立ち寄った神社って調べてみたら幾つかあるんですね。勉強になりました♪
今度、ぽちさんじきじきに解説してください~っ。
京子 2011-09-10 22:41:08
3 ■ありがとうございます!!
いつも、丁寧で分かり易い解説ありがとうございます!!
京子さんのブログを読むと京都を散策している気分になります。
大徳寺さんには行ったことがないので今度行ってみようかな!
ぽこにゃんさん 2011-09-12 00:52:51
4 ■Re:ありがとうございます!!
>ぽこにゃんさん
私もそうなんですけれど、
情景を思い浮かべながらですと
理解度も更に増しますよね( ´艸`)
京子 2011-09-12 14:05:56
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