2011-01-25 | |
テーマ:神社 |
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上賀茂神社 その2
こんにちは京子です
さて、本日は・・・世界文化遺産にも指定されている神社っ。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)です
以前にも一度、上賀茂神社に関してこのブログでご紹介させて頂きましたけれど
今回は更に詳しくお伝えしたいと思っています~。
以前、ご紹介出来なかった社殿などを中心に
これまでに撮影した上賀茂神社の写真とミックスして
お送りさせていただきます
ではまず、はじめに~!!
ご存知の方も多いかもしれませんけれど
「上賀茂神社」というのは通称なんですよね。
正式名称は・・・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)と言います。
むむむ、なかなか長い名前ですよね~。
この名前は、ドコから来たのかと言いますと
上賀茂神社の祭神で、日本の氏族、賀茂氏(かもし)の氏神である・・・
(・∀・)ノ賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)なのです。
なるほど、だから賀茂別雷神社と言うんですね
それらを「賀茂神社」と呼びます。
それでは中へレッツゴー!
こちらは、上賀茂神社の入り口である「一の鳥居」ですね。
境内の入り口である「一の鳥居」をくぐると・・・
参道が広ーいっ&長い!!
奥に見えるのは「二の鳥居」です、その距離約160メートルもあるんですねっ。
もう、学校のグラウンドを遥かにしのぐほどの広大な土地が
広がっています~(・∀・)ノ
そして
この長い参道を使って毎年5月5日に行われるのが
賀茂競馬(かもくらべうま)っ!
これは、京都三大祭のひとつと言われ、賀茂神社で行われる葵祭(あおいまつり)より前に行われる神事です。
ちなみに、葵祭は、賀茂氏と朝廷の祭りでした。
平安京を作った際も、賀茂氏は朝廷に多大なる協力があり、天皇と賀茂氏との深い繋がりを示しています。
そして葵祭は
あの源氏物語(げんじものがたり)でも描かれている有名な祭りのひとつなんです。
さて、そんな「賀茂競馬」が一体どんな神事なのか、簡単にご説明しますと・・・
約160メートルの参道を2頭ずつ平安装束の姿に身を包んだ騎手が馬に乗り
速さを競うものなんです
左方右方に分かれ2頭ずつ走り、勝敗を決します、この賀茂競馬。
一本道を綺麗に左右に分ける為に使われる
「埒(らち)」と呼ばれる馬場(馬が走る所)を区切る柵は
「埒が明かない」の語源にもなっています。
※「埒」が明かないと、この後に行われる葵祭が出来ないという意味!
三大随筆のひとつである吉田兼好(よしだけんこう)の「徒然草」にも
この賀茂競馬の様子は描かれているんですよね~。
そして、「二の鳥居」のちょうど手前には
「神馬舎(しんめしゃ)」があります
この神馬とは何かと言うと
神社に奉納された馬で、昔は祈願のために馬を奉納する
習わしがありました。
神事の際には、実際にここに馬が入る事となります。
その神馬舎の斜め向かい側には「御所舎」。重要文化財ですよ~!
さて、「一の鳥居」から「二の鳥居」を抜け、中へ入っていく京子。
次に目にしたのが・・・
2つの立砂(たてずな)
※ちなみに、この奥にある細殿は改装中でシートがかかって見る事が出来ませんでした・・残念
そして立砂なんですけど
大きいんですコレっ。BIG
1メートルほどはあります。
ちょっと雪がかかっているので、以前撮影した立て砂をどうぞ
見にくいかと思いますけど
この立砂のてっぺんに挿してあるのは
二股になった松葉なんです。
上賀茂神社の立砂は北の方角にそびえる山、「神山(こうやま)」をかたどったもので、この神山は依り代(よりしろ)、すなわち・・・神様が招き寄せられて乗り移るものとされている神聖な山なんですね★
神様が降臨する際の目印として、松葉が挿してあるとの事です
ちなみに、
あ、これどこかで見た事ある!?と思ったら
「清めの砂」に似てませんか?
実は、その起源にもなっていると言われているのが
こちらの立砂なんですね。
上賀茂神社以外でも、この立砂はよく見ますけれど
とにかく、この上賀茂神社の立て砂は
作るのに4時間かかるという事です!!
一仕事ですよね~
そしてこの2つの山が陰と陽を表しているんですね。
陰陽道に携わる者を陰陽師といいます。
陰陽師と言えば、
・・・安倍晴明(あべのせいめい)
彼の師と言われるのが賀茂氏の人間なんです。
更に、毎年9月9日に
この立砂の前で行われるのが「烏相撲(からすずもう)」
この「烏」は、日本神話に出てくる三本足の八咫烏(やたがらす)の事で神武天皇を助け勝利に導くシンボルとして描かれている生き物です。
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の事であるとも
言われていてます
烏相撲の内容はと言いますと
(・∀・)ノ児童により行われる相撲!
カーカーカー、クークークーと鳴く神事が有名なんですね。
今年はタイミングが会えば、是非参加してみたいと思います
さて、
この立て砂の奥は
現在改装中で概観の写真がないのが残念なんですけど
「細殿(ほそどの)」があります。
古くから、天皇や斎王の装束等を整える御殿として使われていました。
細殿は古くから天皇、斎王や上皇の参拝の際の著到殿(ちゃくとうでん)と呼ばれる装束等を整える為場所として使われていたんですね。
その細殿の向かって右隣にありますのが土舎(つちのや)です。
神主以下、社司の著到殿であった建物で
現在は祓所(はらえど、お祓いをする場所)として使われています。
こちらは、奈良(楢)の小川をまたぐように建っている
橋殿(はしどの)です。
そこで行われる神事が、人形流し(ひとがたながし)です
これは上賀茂神社で毎年6月30日に
一年の残り半分(半年)の無病息災を祈願する神事である
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)にて行われる神事なんです。
こちらは現在の奈良(楢)の小川です。
その様子を呼んだ歌碑も、この先へにありました。
「風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける」
百人一首にも収録されている公家で歌人の藤原家隆の詠んだ歌は
夏越の大祓に基づくものなんです。
京子も奈良(楢)の小川にかかる橋を渡ります!
境内に川が流れているなんて、ちょぴり優雅ですよね~♪
ちなみに境内を流れる小川は
・・・御物忌川(おものいがわ)と、明神川(みょうじんがわ)。
そしてその2本が合流し、奈良(楢)の小川になります
正確にいうと、明神川へと合流になるだけなんですけど
そこから境内を流れる間は奈良(楢)の小川と呼ばれるんですね
絵馬に、描かれているのは賀茂競馬でしょうか。賀茂競馬では左のコースを走る馬が先にゴールする事から「馬」の字が逆さに書かれている縁起物の「左馬」の語源にもなったそうです。
っとここで、更に
どんどんご紹介したいと思ったのですけれど
気付くと
写真と記事が膨大な事に・・・(汗)
この続きはまた明日させていただきます★
そんな上賀茂神社の場所はコチラ↓
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