2012-03-09 | |
テーマ:お寺 |
関連:妙心寺 / 退蔵院 / 桂春院 / 大心院 / 麟祥院 / 海福院 / 小豆粥で初春を祝う会(東林院) / 隣華院 / 妙心寺 その2 / 霊雲院 / 東林院 / 龍泉庵 / 大法院 / 天球院 / 寿聖院 / |
玉鳳院
こんにちは京子です!
さて、本日ご紹介するお寺は
妙心寺の境内塔頭の1つである・・・
玉鳳院(ぎょくほういん)です。
現在、京都では『京の冬の旅』と題された非公開文化財特別公開中で
今回ご紹する玉鳳院も、その中の1つになります
妙心寺は広大な境内に46の境内寺院があり
全国には3500もの末寺を持つ
臨済宗妙心寺派大本山です
この玉鳳院はもともと花園法皇の離宮だった場所に
建てたられた寺院で、数々の塔頭の中で最古の寺院です。
花園法皇は
妙心寺を建てた事で知られる
関山慧玄(かんざんえげん)という高層を師と仰いでいました。
※関山慧玄は妙心寺の初代住職でもあります。
こうした理由から花園法皇は離宮を禅寺に改め
関山慧玄とここで問答を行い、禅の教えを深めたのですね。
ちなみに関山慧玄というお坊さんは
妙心寺で一番の高僧だと言われています
妙心寺派のお坊さんも彼をとても崇拝しているそうです。
こちらは『牛石』です。関山慧玄が伊深(いぶか・岐阜)にいた頃は牛を追い田畑を耕す生活をしていたそうです。京に上洛する事となり、慣れ親しんだ牛が涙を流し追いかけたと言われています。開山の600年遠忌に奉納されたものです。
表門を通り、こちらの庫裏から方丈などのお堂へと続いて行きます。
ちなみに、玉鳳院の内部は全て撮影禁止との事でした。是非、直接ご参拝下さい。
さて、方丈に入りますと見事な襖絵があります。
写真の撮影は出来なかったので、立て看板の写真をご覧下さい。
方丈の「室中の間」を飾るのは
狩野安信(かのうやすのぶ)の筆と伝わる『竜図』です。
※狩野派は室町から江戸時代まで画壇の中心的存在の一派です。
この他にも『麒麟図』『山水図』『牡丹図』『花鳥図』の襖絵が並んでいます。
それらに加え、狩野益信の『秋草図(あきくさず)』や
奥の部屋には花園法皇の木造が安置されているようでした
この他に、撮影出来たものをご紹介しますと・・・
『四脚門(開山堂唐門)』
1409年に後小松天皇御所の南門を寄進されたものだそうです。
応仁の乱での焼失から逃れた門だと言われていて
今でも
当時の矢の跡が残っているんですね~。
現存する日本最古の唐門だという事です
そして
こちらが
方丈前にありました『向唐門(むかいからもん)』です。
こちらは、1656年に建てられたものだそうですよ。
さて、お話を『関山慧玄』に戻しまして
彼は高僧でありながら
教えの言葉や、肖像画などは一切残そうとしなかったそうです。
少し変わり者の性格なんですかね~
それに妙心寺が雨漏りしていても修繕もしなかったり
常に粗末な衣を着ていたとも言われています。
唯一残された遺筆は
弟子に描き与えた印可状(師匠の法を受けたという証明書)ぐらいみたいです
仏教に対して、かなりストイックな方だと想像出来ますね~。
そんな関山慧玄は
死ぬ時さえも、高僧らしい死に方をしたと言われています。
どんな姿なのかと言うと・・・
なんと・・・
立ったまま死んだそうです
お坊さんのお話によりますと
これは格式の高い死に方だそうですよ。
※ちなみにこの次に格式が高い死に方というのが『禅を組みながら死ぬ』らしいです。さすが禅宗のお寺ですね。
現在、その亡くなった場所には
『風水泉(ふうすいせん)』と呼ばれる井戸があります。
ちなみに、関山慧玄の亡骸は
(・∀・)ノ開山堂(かいざんどう)に葬られました。
※開山堂(別名:微笑庵)も玉鳳院の境内にあります。撮影禁止だったので写真はありません。ご了承下さい。
埋められた場所には微笑塔が建てられ
後に、そこに開山堂(微笑庵)が出来ました。
妙心寺の塔頭の中でも
この開山堂は聖地と呼ばれていています
その証拠に
開山堂だけは毎日24時間、線香の火が耐えないそうです。
ちなみに、『微笑庵』や『微笑塔』という名前がつけられた理由は
『拈華微笑(ねんげみしょう)』という故事から取られています。
禅宗において
禅の法脈をお釈迦様から受け継いだとされるお話です。
ある時、お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)という山に
お弟子さんたちを集めました。
そして金波羅華(こんぱらげ・金色の蓮の花)を手に取り
高くかざしたのです
皆は何の事かわからない様子でしたけれど
その中で摩訶迦葉(まかかしょう)という弟子だけが
顔をほころばせ微笑んだのです。
それを見たお釈迦様は、彼に
悟りのすべてを伝授したと言われています。
これを拈華微笑と言います。
ちなみに、摩訶迦葉が亡くなった鶏足嶺(けいそくれい)に
見立てられたお庭も開山堂(微笑庵)の隣にあります。
まだまだ見所がある玉鳳院
秀吉の長男であり3歳で急死した鶴松(棄丸)の霊屋(たまや)である
『祥雲院殿(しょううんいんでん)』には
棄丸(鶴松)の像が安置されています。
他にも戦国時代にまつわるもので言えば
武田信玄・勝頼親子の石塔や、織田信長・信忠親子の石塔などもありますよ
という事で見所満載の玉鳳院。
一般公開は3月18日までですのでお急ぎください~!!
そんな玉鳳院の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
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1 ■死に方!
死ぬ姿まで考えるとは宗教に熱心ですね。
ただ、そのような姿で死ぬには、自害しかないと思います。
それだと宗教に反している考え方ですね。(^_^;)
因みに、非公開文化財特別公開中も、非公開なのに公開しているので矛盾していますね。(笑)
ではでは!
追伸:地図が表示されなくなりました。(ToT)
和平 明憲さん 2012-03-10 09:39:07
2 ■修行
死に方まで格があるなんて…信じられない(>_<)
修行の厳しさは想像を絶する…
ほたてこはくさん 2012-03-10 16:58:50
3 ■Re:死に方!
>和平 明憲さん
難しい死に方ですよね(;^_^A
言われてみると矛盾していますね(笑)
地図の報告ありがとうございます(><;)
京子 2012-03-10 17:59:38
4 ■Re:修行
>ほたてこはくさん
驚きですよね!
禅を組みながらの方が、まだ何とかなりそうな気がします(´Д`;)
京子 2012-03-10 18:08:35
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