メモ2012-01-26
テーマ:神社
関連:御香宮神社 / 七種神事(御香宮神社) / 神幸祭 花傘総参宮(御香宮神社) / 御香水 / 例祭(御香宮神社) / 

御香宮神社 その2

こんにちは、京子です。

さて、本日ご紹介する神社は・・・

御香宮神社

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)です

※地元の方は『ごこうぐうじんじゃ』とも呼ばれていますよ。


創建された当時は

御諸神社(みもろじんじゃ)の名がついていたそうですけれど

平安時代(862年)、境内から

香りが良く、万病に効く水が沸いて出たことを理由に

清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと言われています。

※他の説としては鎌倉初期に筑紫の香椎宮(かしいぐう)をこの地に勧請した事が始まりとも言われています。


御香宮神社の表門

表門の屋根にはこのような彫刻がいくつも並べられています。中国の二十四孝(にじゅうしこう)という親孝行に優れた人物24人の物語を表現した彫り物です。祇園祭の郭巨山(祇園祭 郭巨山八坂神社))もこのお話をベースにしたものですよね。


御香水の石碑

こうして沸いた伏流水(地下水)が

伏水⇒伏見(ふしみ)という地名の由来になったんですね

御香宮神社の御香水

現在も「伏見の御香水」は名水百選のひとつに認定されているんですよ


ちなみに、

徳川義直(家康の九男で尾張徳川家の祖)や

徳川頼宣(家康の十男で紀州徳川家の祖)は

御香水を産湯として使ったと言われます。

2人とも伏見城で生まれていますからね~


すぐ近くですからその可能性は確かに高いです。

神功皇后(じんぐうこうごう)が主祭神という事から

安産や子育てのご利益があります。

彼女はお腹に子供を宿しながらも三韓征伐を行った事から

武神としても知られています。

※三韓征伐については藤森神社の記事をご覧下さい。


この事から、豊臣秀吉は朝鮮出兵の際に

成功祈願の為に参詣したとも伝えられています。


御香宮神社の『伏見の戦跡』

明治維新 伏見の戦跡』鳥羽伏見の戦いでは官軍(薩摩藩)の屯所となりました。南、約200メートル先には伏見奉行所(会津藩や新選組などが集結していた)があり、このあたりは激戦区になったそうです。


これに加え、秀吉は伏見城を建てる際に

御香宮神社を鬼門の方角へと移動させたのです。

つまり、御香宮神社を伏見城の守護神にしたんですね。

※しかし関ヶ原の合戦後、家康によって現在地に戻されれました。


御香水の拝殿

こちらは拝殿になります。

1625年に徳川頼宣より寄進されたものです。


御香宮神社の拝殿

絢爛豪華な桃山文化にはこういった極彩色豊かな

彫刻が多いようですね~


御香宮神社の絵馬堂

次に絵馬堂です。

白い馬の絵が描かれているのがおわかりでしょうか?

絵馬とは元来、神様に捧げる「献馬」の習わしが変化したものなんですね。

中にも沢山の絵が飾られていますよ


御香宮神社の本殿

そして、この奥に

徳川家康の命により建てられた本殿があります。

御香宮神社の本殿西妻

本殿西妻です。見事な流造(ながれづくり)ですね

御香宮神社の本殿

こちらも拝殿と同様、極彩色豊かな彫刻が目立ちます。

御香宮神社の本殿

修復などの費用は主に

紀伊・尾張・水戸の徳川三家によって賄われたそうですよ。


この他に、素敵なお庭もあります。

小堀遠州ゆかりの石庭

小堀遠州ゆかりの石庭です。


彼は江戸時代初期の大名であり、作庭家です。

伏見奉行(江戸幕府の職のひとつで、今でいう警察のようなもの)に

任命され着任した際に

奉行所の庁舎を新築し、そして見事な庭を作りました。

※こちらのお庭はその時の遺構です。


上洛した徳川家光を、伏見奉行所へ迎え入れた際に

遠州の作庭した立派な庭に感動し

褒美として五千石加増されたというエピソードも残っています


その後、作庭家の中根金作の手により

御香宮神社に再現されたという事です。

そして、最後にご紹介するのが

御香宮神社の『天明伏見義民顕彰碑』

天明伏見義民顕彰碑


伏見奉行の悪政に立ち向かった町民の誇りを

後世に語り継ぐ為にたてられた石碑です。


1779年、伏見奉行である小堀政方(まさみち・遠州の子孫)の悪政に

耐えかね、伏見の町名7人が幕府に直訴するという事件が起こりました


小堀政方は、幕府の老中も田沼意次(たぬまおきつぐ)の権威を借り

莫大な御用金(ごようきん)を数年に渡り町民に課していました。


その金額、7年間で10万両とも言われています!

今の価値で数十億円ってトコですね。


この不条理な御用金に耐えかね、ついに

文殊九助(もんじゅくすけ)を中心とする3人は

伏見奉行を無断で飛び越え

江戸に上り幕府に直接直訴したのです。


藩を飛び越えての直訴は、町人からすると

まさに命がけの訴えでした。


その思いは通じ、小堀政方は罷免され領地没収となり

伏見の町民は文殊九助たちによって守られたんですね♪

そんな伏見にあります御香宮神社の場所はコチラ↓


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