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テーマ:祭り・イベント |
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神幸祭(水火天満宮)
こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは
10月7日に水火天満宮(すいかてんまんぐう)で行われた
神幸祭(しんこうさい)です
※毎年10月の第1日曜日に行われます。
水火天満宮は京都市の北に位置し
近くには千利休(せんのりきゅう)の茶室として有名な
今日庵(こんにちあん)と不審庵(ふしんあん)や
玄武(げんぶ・四方の方角を守護する獣)を祀る
玄武神社などがあるんですよ
ちなみに水火天満宮について
簡単にご説明しますと
天満宮と言えば皆さんご存知
祭神に菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社です
道真と言えば学問の神様なんですけれど
京都の水害や火災を鎮める為に建てられた由縁から
水難・火難と言ったご利益もあるんですよ
※詳しくは、水火天満宮の記事をご覧ください。
そんな水火天満宮の神幸祭では
稚児や子供神輿
そして道真の御霊を乗せた神輿が
氏子区域を練り歩く祭です
では早速レポートしていきましょう。
13時半頃
水火天満宮に到着した京子
拝殿に設置された神輿の前で
神事が行われる所でしたよ
修祓(しゅばつ・お祓い)や献饌(けんせん)、祝詞(のりと)奏上の後
神輿が拝殿から降ろされ組み立てられました。
14時になるといよいよ境内から神輿が出発し
氏子区域を練り歩きます。
神輿の巡行ルートには
水火天満宮から南東に約200mの所にある
不審庵や
今日庵
もあるんですよ
※ちなみに不審庵は表千家(おもてせんけ)で、今日庵は裏千家(うらせんけ)です。
15時頃になると
通常、信者さん以外の立ち入りは禁止である
興聖寺(こうしょうじ)に入り、法要が行われました
ご本尊の十一面観音像は神幸祭の日にしか公開されていないそうですよ
その後、行列は再び氏子区域を練り歩き
17時頃、神輿が水火天満宮へと帰ってきました
境内では何度も神輿を揺らし
差し上げを行った後
御霊はご本殿へ帰され
神幸祭は無事終了しました
そんな神幸祭が行われた水火天満宮の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
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関連:粟田神社 / 粟田大燈呂 2012(粟田神社) / 粟田祭 神幸祭・還幸祭(粟田神社) / 出世えびす祭(粟田神社) / |
粟田祭 夜渡り神事(粟田神社)
こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは
10月7日に粟田神社で行われた・・・
1000年の歴史を持つ祭で
室町時代、祇園祭が中断されていた頃は
京の人々にとって
粟田祭が、その代わりの存在となる程だったそうです
そんな粟田祭は
数日間かけて行われる祭で
10月6日『出御祭(おいでまつり)』に始まり
10月7日『夜渡り神事』
10月8日『神幸祭・還幸祭』
そして最後に
10月15日の例大祭を含めて粟田祭なんですね
初日の出御祭では
境内にて『石見神楽』が披露され
その後、神輿に御霊が移されます
という事で今回は
10月7日に行われた『夜渡り神事』について詳しくレポートしたいと思います!
夜渡り神事では、阿古陀鉾、地蔵鉾と呼ばれる2本の剣鉾を中心に
ねぶた祭の起源・源流とも言われている
粟田大燈呂(あわただいとうろ)や神輿が
氏子町を練り歩きます。
巡行の途中には
『れいけん』と呼ばれる神仏習合の祭事も行われるんですよ
17時半頃、粟田神社からお迎え行列が出発し
剣鉾が境内に迎えられます。
その後、神事が行われ、18時半より
先祓い(巡行の道を祓い清める役目)の松明(たいまつ)を先頭に
高張提灯(たかばりちょうちん)が続き
『阿古陀鉾(瓜鉾)』や『地蔵鉾』などの剣鉾が続きます
こうして一行は、知恩院前まで移動します。
そして境内には入らず、知恩院の向かいにある
瓜生石前の祭壇に集合します。
こちらが『瓜生石』です。写真は以前に撮影したものですよ
ちなみに、瓜生石で行われる祭事は
ある故事が起源となっています
今から約400年前
この石に御金札(みかねふだ・金に輝くお札)が
貼り付けられていたそうです。
その札には『感神院新宮(かんじんいんしんぐう・粟田神社の旧社名)』と
書かれていた事から
粟田神社の神様(牛頭天王・ごずてんのう)が
ご降臨されたと、この地で伝えられたそうです。
この事から
神輿に乗った神様を
一度、この瓜生石に移し
神仏習合の祭事が行われます。
粟田神社の神職さんが呼び込む形で
知恩院の黒門が開き、お坊さんが出て来ます。
祭壇前に着席するお坊さんと神職さんです。
2本の剣鉾は祭壇の左右に置かれます。
祭壇の後ろにある瓜生石です。ちょうど木に隠れています。ちなみに、瓜生石には様々な伝承があるので、詳しくは知恩院 その1の記事をご覧下さい。
まずは、お祓いや宮司一拝などがあり
次に、瓜生石に神輿の御霊を移します
そして、お坊さんによる法要が行われ
お経が読まれます。
その後、宮司による
祝詞奏上が行われます
粟田大燈呂はこの時、3基が神事が行われている後ろに、残りは知恩院の階段の前に鎮座しています。
一通りの神事や法要が済むと
神職の方々を先頭に
お坊さん、剣鉾保存会・子供神輿の各代表者や
神輿の担ぎ手による鳴閂(なりかん)も加わり
皆さんで瓜生石の回りを3周(三匝の儀・さんそうのぎ)します
手に持っているのが鳴閂です。鳴閂は神輿を担ぐ木(轅・ながえ)の前後先端に取り付けられる装飾品で、担ぐとカシャンカシャンと鳴るんですよ。
こうして『れいけん』が終了すると
知恩院のお坊さんは黒門に戻られます。
※れいけんとは、『霊験』の事を指していると言われています。牛頭天皇が降臨した事を意味するんですね。
そして、隊列を整え松明を先頭に
神輿や粟田大燈呂、剣鉾は
この後、氏子町を巡行し、22時過ぎに粟田神社へと帰っていくそうですよ
そんな粟田神社と『れいけん』が行われた瓜生石の場所はコチラ↓
『粟田祭』の関連イベント
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粟田大燈呂 2012(粟田神社)
こんにちは京子です。
こちらのページでは、粟田神社で巡行に使われた
粟田大燈呂(あわただいとうろう)をご紹介します。
青森『ねぶた祭』の起源・源流と言われているもので
古くは戦国時代の文献にも登場するんですよ
3~5メートルもの巨大な燈呂は
当時、町衆や公家までも
驚かせたものであった事は確かなようです
江戸時代後期には一度途絶えたようですが
2008年に、約180年ぶりに粟田大燈呂が
京都造形芸術大学の学生の協力の元、復刻され
見事に復活したんですね。
では、そんな迫力ある粟田大燈呂をご紹介します
クシナダヒメ
粟田祭で行われた石見神楽にも登場した神様です。
彼女はヤマタノオロチに食べられそうなところを
スサノオノミコトに助けられるんですよね
※2人のお話に関しては貴船祭 2010(貴船神社)の記事をご覧下さい。
スサノヲノミコト
クシナダヒメを助けたヒーローであり
粟田神社の祭神です。牛頭天王とも同一視されている
神様なんですよ
ヤマタノオロチ
先ほどのクシナダヒメを食べようとした大蛇です。
日本神話ではスサノヲノミコトが退治しちゃいます
観音様と歓喜天
抱き合っているのは
観音様と歓喜天(かんきてん・像の姿をした神様)です。
女性に化けた観音様が歓喜天を
説き伏せている様子を表現しているそうです。
稲荷狐
お稲荷さんといえば狐です。
制作されたそうです。
※神社に関して詳しくは合槌稲荷神社の記事をご覧下さい。
阿弥陀如来
こちらは知恩院の本尊である阿弥陀如来像に由来し
制作されました
法然上人
知恩院を開基した法然上人に由来し
制作されたそうです
※知恩院に関しては、知恩院 その1や知恩院 その2をご覧下さい。
恵比寿さん
七福神の1人として知られる恵比寿さんです。
鯛に抱きついている姿がとても愛らしかったです
粟田大燈呂は巨大な為、こうして上にも気をつけないといけません。こちらは棒を使って、枝が大燈呂に当らないようにしているんですね。
という事で
2012年に登場した8基の粟田大燈呂を紹介させていただきました
『粟田大燈呂』の関連イベント
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