2014-03-13 | |
テーマ:史跡 |
関連:知恩院 / 知恩院の紅葉 / 除夜の鐘試し撞き 2011(知恩院) / 除夜の鐘試し撞き(知恩院) / |
瓜生石
今回ご紹介するのは
瓜生石(うりゅうせき)です!
※『かしょうせき』とも呼ばれるそうです。
柵で囲われ
ただの石ではなさそうな
雰囲気を出していますよね
この不思議な石は一体
どこにあるのかと言いますと・・・
浄土宗の総本山である
知恩院の黒門前にあるんですよ。
こちらは知恩院の三門です。
知恩院は法然が開いたお寺で
ご本尊に法然上人像と阿弥陀如来が安置されています。
黒門前にあると言っても
そこは、知恩院の敷地内ではなく
実は公道の真ん中にあるんですよ
一応、写真でお見せした通り
石柵で囲まれてはいるんですけれど
三又路のど真ん中に瓜生石はあるんですね。
瓜生石が
いつ頃からここにあったのかと言いますと
なんと860年にはあったようです
知恩院が創建されたのが
1175年なので
それよりもずっと前から
あったと言うことになりますよね!!
そんな古くからある瓜生石には
いくつもの伝承があるんですよ。
ご紹介していきますね
知恩院には
七不思議なるものがありまして
その1つに瓜生石にまつわるものがあります。
その内容は・・・
誰が植えたのかは、わからないけれど
石からツルが伸びて、花が咲き、瓜がなったというお話なんです。
えっ!?
石からツルが!!
土からじゃなくて??
と思いますよね。
まさに不思議なエピソードですよね
その他にも・・・
牛頭天王(ごずてんのう)が瓜生山に降臨した後
この石に再来したそうで
そのとき一夜にして
瓜が生えた!と言われています。
※瓜生山は北白川にある山で狸谷山不動院などがある山です。牛頭天王について詳しくは、常盤神社の記事をご覧下さい。
ちなみに、その後、瓜は
粟田神社(あわたじんじゃ)へ奉納されたそうです
世渡り神事が行われるのですけれど
その神事は、ある事が由来で行われているんですよ。
由来とは・・・
約400年前、旧暦で9月14日夜
大きな石の上を瓜が覆っていて
そこに金のお札が光り輝いていたそうです
お札には『感神院新宮(かんじんいんしんぐう)』と書かれていた事から
神様が降臨されたんだと言われ
以来、その大きな石を『瓜生石』と
呼ぶようになったみたいです。
ちなみに粟田神社の旧名は
祇園感神院新宮と言いまして
明治に行われた神仏分離令で
名称を粟田神社と改めたそうです
こちらがその神事の様子なんですけれど
世渡り神事の中で
金のお札の現れた瓜生石の周りを
3回巡拝する
『けいれん祭』
というのが行われます。
知恩院のお坊さんと
粟田神社の神職の人が
合同で行う祭なんですよ~
ちょっと珍しい光景ですよね。
祝詞をあげる神職の方に
念仏を唱えるお坊さん
どちらも瓜生石の前で行う
神仏習合のお祭りですよね。
※粟田祭について詳しくは、粟田祭 2012 夜渡り神事(粟田神社)、粟田大燈呂 2012(粟田神社)、粟田祭 2012 神幸祭・還幸祭(粟田神社)の記事をご覧下さい。
少し脱線しちゃったので
お話を伝承に戻しましょう
次の伝承は瓜生石の下に
地下道が掘られていて
二条城まで繋がっているという説!です。
なんでも徳川家康が
二条城に何かあった場合に備えて
抜け穴を作っておいたと言われているんですね
目指す先は知恩院なんですけれど
実は普通のお寺とは少し違った
お城のような造りになっている!と
言われているんですよ。
二条城が使えなくなっても
要塞化した知恩院で指揮をとる事を
考えていたのかも知れませんね
そして最後にご紹介するのは
瓜生石のある所は
隕石が落ちた場所とも言われています。
昔の人にしてみれば
空から石が降ってくるなんて
考えられなかったでしょうから
神様が宿った石と思ったのかも知れませんね
という事で、今回はいろいろな伝承がある石
瓜生石についてご紹介しました♪
瓜生石のある場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
市バス 206系統 知恩院前(ちおいんまえ)
雑談掲示板 新着