2011-03-22 | |
テーマ:神社 |
関連:やすらい祭(玄武神社) / |
玄武神社
こんにちは京子です。
この度の震災で、東北は地震、津波によって大変な状態になりました。
一日も早い復興を心より願っております。
東北のみなさま!
日本中、そして世界が応援しています。必ず復興すると信じましょう♪
そして、京子もブログの更新を、いつ再開させていくのか悩みましたが
本日より再開させようと思いました。
今後ともよろしくお願いします!!
頑張ろう東北、頑張ろう日本。
さて、本日は
玄武神社(げんぶじんじゃ)をご紹介させて頂きます。
神社の名前にもなった「玄武」というのは
四神のひとつなんです。
時の天皇である桓武天皇は寺院の力をそぐ為に
奈良から都を移す事を考えます。
そこで、784年に長岡京遷都が行われました。
この長岡京造営の際に、ある事件が起きます。
それが「藤原種継暗殺事件」なんですね
桓武天皇の側近である、藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が
暗殺されたのです。
そして、この暗殺に関わったとされる
早良親王(さわらしんのう)を流罪にした事が原因で
桓武天皇の側近達が次々に死んでいったそうです
もちろん今では、現実的に考えて
早良親王の祟りだなんて考えませんが
・・・当時は、そうはいきません。
長岡京がパニックになり
再び都が移動される事となりました
そこで、候補に上がったのが四神相応の地なんです。
四神相応の地とは
北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎と呼ばれる
四方を司る神様のいる場所で
中国の風水がもとになっている考え方なんです。
※玄武神社の名前となった「玄武」とはこの四神のうちのひとつです。
その、四神相応の地であったのが
平安京なんですね
御所を中心として
北に玄武(船岡山)
東に青竜(鴨川)
南に朱雀(現在はありませんが巨椋池)
西に白虎(山陰道)
これらの条件から
四神相応の地である平安京に都が遷都される事となりました
※もちろん、玄武神社は御所を中心として北側に位置します。
それ以後1200年もの間
平安京は都として栄える事となったワケです。
拝殿です、この中に「玄武」がいるんです。
玄武(げんぶ)
奈良県、飛鳥村にある高松塚古墳にも描かれている玄武は
足の長い亀に蛇が巻きついている姿をしています
絵馬にも少しデフォルメされた姿で玄武は描かれています。
境内にある2つの末社。左手は、玄武稲荷大神。そして右手は三輪明神です
そんな玄武神社では
4月の第2日曜日に、京の三大奇祭のひとつと言われる「やすらい祭」が行われている事でも有名です。
※京の三大奇祭とは、鞍馬の火祭、太秦の牛祭、やすらい祭です。
春の代表的な祭りである、やすらい祭は
京都の3つの神社で同時に行われるお祭りです。
玄武やすらい祭(玄武神社)
川上やすらい祭(川上大神宮社)
昔は「やすらい花」と呼ばれた、このお祭りは
疫病を退散させる事を目的とし、平安時代に天皇の勅使で始まりました。
やすらい祭の主役は
花で彩られた傘(風流傘と言います)
なんですね
こちらは、今宮やすらい祭りの風流傘です。
その傘をくぐれば一年、病気にかからないと伝えられています。
やすらい祭の様子を表した絵馬もありました。
笛の音や掛け声に合わせて
小学生から高校生までの子供が疫病神に扮し
荒れ狂いながら練り歩くお祭りです。
そんな、春を告げる祭りとも言われている
やすらい祭りに是非、行かれてみてはいかがでしょうか
玄武神社の場所はコチラ↓
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