![]() | 2012-04-29 |
テーマ:祭り・イベント |
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神幸祭(熊野神社)
こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは
4月29日に熊野神社で行われた・・・
神幸祭(しんこうさい)です
氏子地区の繁栄を願い行われるお祭りです。
神幸祭と言えば
神輿が主役ですけれど
熊野神社では
『熊野少年勤皇隊』と呼ばれる鼓笛隊が主役のお祭りです
鼓笛隊のメンバーは
小学生高学年10人ほどで構成されています。
では早速レポートしたいと思います。
まずは、熊野神社の本殿前にて
12時より神事が行われます。
神輿を前に、神職によりお祓いや祝詞の奏上が行われ
最後に鼓笛隊の演奏が奉納されます
5分程演奏をした後、神輿と一緒に境内を出発します。
熊野神社を出る際も鼓笛隊は演奏~。終始吹き続けていましたよ。
もちろん神輿も一緒に出発しますっ。
ちなみに、行列に参加している人たちは
みなさん梛(なぎ)の葉をつけていらっしゃいます
熊野神社では神木とされている木です。
そもそも熊野神社は
平安時代に天皇家で流行った『熊野詣(くまのもうで)』が元で
作られた神社です。
熊野詣では
紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある
『熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社』という
熊野三山を参拝した後
梛の葉をいただいて身につけ持ち帰ったそうです
※この他にも供物は梛の葉に乗せたり、玉串に梛を使ったりもするそうです。
しかし、距離が遠い事もあり
莫大な時間と費用がかかる為
京都に熊野の神を勧請し作られたのが
熊野神社の拝殿奥にあった神輿です。昔はこちらの神輿を使っていたそうです。現在は一回り小さい神輿を使われています。
こちらは『剣鉾』です。これもかつて使われていたようで、神輿の渡御では先導役として、この剣鉾を持って歩いたそうです。
さて、熊野神社での神事が終わり
行列はドコへ向かうのかといいますと・・・
聖護院(しょうごいん)です
※熊野神社から歩いて10分弱の距離にあります。
ではここで、聖護院に関しても簡単にご説明しますと
平安時代、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)も努めていた
増誉(ぞうよ)というお坊さんが、その功績を認められ寺を下賜されます。
そこで増誉は
聖体護持(せいたいごじ・天皇をお守りする)と言う言葉から
2字を取り『聖護院』と名付け開基したのが、聖護院の始まりです
※その後、三大熊野神社は聖護院の鎮守社という位置付けになりました。
以後、皇族や摂家から入寺があったり
江戸時代には光格天皇や孝明天皇が一時期仮宮として使用してた事もあり
非常に皇室との関係が深い寺院のひとつです。
門跡寺院としても知られています。
聖護院に無事に到着です
明治までは、うっそうと生い茂った森があった事から
聖護院は『森御殿』とも呼ばれていました。
この他にも、森の紅葉が錦の織物のように美しい事から
『錦林(きんりん)』と呼ばれ、現在も地名として残っています。
ちなみに京都で有名な
『聖護院八つ橋』や、『聖護院大根』はこの地(聖護院村)で
作られていた事からその名がついたんですね
さて、無事に到着し庭に整列した後
法要が行われます。
熊野神社から一緒に参列されていた神職の方も
法要の場に参加されています。
なんだかお寺の中に神社の方がいるのも新鮮ですね~。
最後は鼓笛隊が演奏をして終了です。
この後、行列は聖護院を出発し
氏子町を練り歩きます。
ご近所の方も笛と太鼓の音色が聞こえると
玄関の前に出て、子供達の演奏に耳を傾けていらっしゃいましたよ
こうして16時頃まで氏子町を練り歩き、熊野神社へ戻っていくそうです。
そんな熊野神社の場所はコチラ↓
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藤花祭(西院春日神社)
こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
4月29日に西院春日神社で行われた
藤花祭(とうかさい)です。
西院春日神社は、平安時代に
淳和天皇が建てた淳和院(じゅんないん)と呼ばれる離宮に
春日大社を勧請した事が始まりとされています
淳和天皇が宮中で始めたのが『藤花の宴』です。
西院春日神社では
その宮中行事に因み、藤花祭を行っています。
社務所前に咲く藤です。藤棚の藤はまだ満開ではなかったです。現在、3分くらいです。
ちなみに、紫式部の『源氏物語』においても
藤の宴がお話の中で出てくる事から
当時、宮中ではポピュラーなイベントの1つであったみたいですね~
さて、18時より神事が始まります。
鳥居から本殿に向かって御一行が入場します。
宮司の方や神職の方に続き
小袿(こうちき)姿の女性(斎女)を先頭に、巫女の姿をした童女が入場します。
童女の女の子がとてもカワイイ
ちなみに、彼女たちの頭には
綺麗な藤の花があしらわれています。
神職の方の中には
白い藤の花を頭に飾り付けていらっしゃる方もいました。
入場した後は藤棚のある社務所の前で一旦整列し
お祓いなどを受けます。
そして本殿へ移動されます。
※拝殿前には、御所から賜った藤や、『冷泉家』『近衛家』などの藤原氏を祖とする名家から奉納された藤も飾られています。ちなみに春日大社は藤原氏の氏社でもあります。
さて、ここで注目していただきたいのが
本殿前に唐櫃(からびつ)を持っているのがお分かりですよね
中にはお供え物が入っています。
変わったものでは、竹の子を煮た物や苺などが入っているそうです。
淳和天皇が始めた宮中行事『藤花の宴』では
花が咲き誇る事で『国家繁栄』を願い
つるが長く延びる事で『延命長寿』を願い、絹の巻物を献上したそうです。
そして本殿で神事が行われる中
神職と斎女、そして童女の巫女が一旦出てこられ
境内にある還来(もどろき)神社へとお供え物を献上します。
ここには淳和天皇の奥さんである正子内親王や
母親である藤原旅子、正子内親王の母親である橘嘉智子を
祭神として祀っています。
淳和天皇が行ったように絹の巻物が奉納されます。
こちらが奉納された五色の絹です
この後、再び本殿前へと戻られ
最後に童女による神楽が奉納されます。
『瑞垣前御前神楽(みずかきまえごぜんかぐら)』が奉納されました
この神楽は神様にご神徳を授けてもらう為の
神楽だそうですよ~。
※瑞垣とは神社などの周囲に設けた垣根の事です。
こうして約1時間半におよぶ神事も終了です。
当日のみ授与される
『藤かずら守り』も無事にゲット出来ました
『かずら』とは邪気を払い清める為に
冠や神に飾った草花の事で、奈良時代から伝わる習慣だそうです。
藤かずら守りは『災難除け』や『延命長寿』のご利益があり
境内で植栽されている藤の若葉が入っているんですよ
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