こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは
4月29日に熊野神社で行われた・・・
神幸祭(しんこうさい)です
氏子地区の繁栄を願い行われるお祭りです。
神幸祭と言えば
神輿が主役ですけれど
熊野神社では
『熊野少年勤皇隊』と呼ばれる鼓笛隊が主役のお祭りです
鼓笛隊のメンバーは
小学生高学年10人ほどで構成されています。
では早速レポートしたいと思います。
まずは、熊野神社の本殿前にて
12時より神事が行われます。
神輿を前に、神職によりお祓いや祝詞の奏上が行われ
最後に鼓笛隊の演奏が奉納されます
5分程演奏をした後、神輿と一緒に境内を出発します。
熊野神社を出る際も鼓笛隊は演奏~。終始吹き続けていましたよ。
もちろん神輿も一緒に出発しますっ。
ちなみに、行列に参加している人たちは
みなさん梛(なぎ)の葉をつけていらっしゃいます
熊野神社では神木とされている木です。
そもそも熊野神社は
平安時代に天皇家で流行った『熊野詣(くまのもうで)』が元で
作られた神社です。
熊野詣では
紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある
『熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社』という
熊野三山を参拝した後
梛の葉をいただいて身につけ持ち帰ったそうです
※この他にも供物は梛の葉に乗せたり、玉串に梛を使ったりもするそうです。
しかし、距離が遠い事もあり
莫大な時間と費用がかかる為
京都に熊野の神を勧請し作られたのが
熊野神社の拝殿奥にあった神輿です。昔はこちらの神輿を使っていたそうです。現在は一回り小さい神輿を使われています。
こちらは『剣鉾』です。これもかつて使われていたようで、神輿の渡御では先導役として、この剣鉾を持って歩いたそうです。
さて、熊野神社での神事が終わり
行列はドコへ向かうのかといいますと・・・
聖護院(しょうごいん)です
※熊野神社から歩いて10分弱の距離にあります。
ではここで、聖護院に関しても簡単にご説明しますと
平安時代、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)も努めていた
増誉(ぞうよ)というお坊さんが、その功績を認められ寺を下賜されます。
そこで増誉は
聖体護持(せいたいごじ・天皇をお守りする)と言う言葉から
2字を取り『聖護院』と名付け開基したのが、聖護院の始まりです
※その後、三大熊野神社は聖護院の鎮守社という位置付けになりました。
以後、皇族や摂家から入寺があったり
江戸時代には光格天皇や孝明天皇が一時期仮宮として使用してた事もあり
非常に皇室との関係が深い寺院のひとつです。
門跡寺院としても知られています。
聖護院に無事に到着です
明治までは、うっそうと生い茂った森があった事から
聖護院は『森御殿』とも呼ばれていました。
この他にも、森の紅葉が錦の織物のように美しい事から
『錦林(きんりん)』と呼ばれ、現在も地名として残っています。
ちなみに京都で有名な
『聖護院八つ橋』や、『聖護院大根』はこの地(聖護院村)で
作られていた事からその名がついたんですね
さて、無事に到着し庭に整列した後
法要が行われます。
熊野神社から一緒に参列されていた神職の方も
法要の場に参加されています。
なんだかお寺の中に神社の方がいるのも新鮮ですね~。
最後は鼓笛隊が演奏をして終了です。
この後、行列は聖護院を出発し
氏子町を練り歩きます。
ご近所の方も笛と太鼓の音色が聞こえると
玄関の前に出て、子供達の演奏に耳を傾けていらっしゃいましたよ
こうして16時頃まで氏子町を練り歩き、熊野神社へ戻っていくそうです。
そんな熊野神社の場所はコチラ↓
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