皆さん明けましておめでとうございます!
しばらく更新が出来ずにいました事を
この場をお借りしてお詫び申し上げます
言い訳をすると
本業のシゴトが忙しくなりすぎてしまって・・・
といったカンジです。。。
けれど、2016年度からは
今まで以上に頑張って更新していくつもりですので
どうかよろしくお願いします!
さて禊も終わったという事で
さっそく2016年の最初の京都をご紹介していきましょう♪
今回ご紹介するのは
猿にちなんだ神社仏閣巡りです!
2016年の初詣、まだどこにも
お参りに行ってない方が
いるんじゃないでしょうか?
そこで今回は2016年今年が申年という事で
猿にちなんだ神社巡りをご紹介したいと思います!
それでは早速、ご紹介していきましょう!
※50音順です。
■新日吉神宮(いまひえじんぐう)
場所:京都市 東山区妙法院前側町451-1
新日吉神宮は平安時代に
後白河上皇(ごしらかわじょうこう:第77代天皇)が
比叡山(ひえいざん)の日吉大社
(ひよしたいしゃ)を勧請(かんじょう)し
法住寺殿(ほうじゅうじでん)の鎮守社として
創建したのが始まりです。
※勧請とは、神様の分霊をお迎えしてお祀りする事です。
そんな新日吉神宮の神使(しんと)は
なんとお猿さんなんですね~♪
新日吉神宮の神使
幣帛(へいはく)を持っています。
これは、日吉大社の神様の使いが
猿だった事にちなんでいるんです!
猿は「去る」に置き換えられ
「魔が去る」という事から
魔除けの象徴とされる上に
「勝る」「優る」といった
縁起の良い部分もあるからなんですね!
■大豊神社(おおとよじんじゃ)
場所:京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町1
大豊神社は、椿ケ峰(つばきがみね)にあった事から
かつて椿ケ峰天神と呼ばれていた神社で
887年(仁和3年)に宇多天皇
(うだてんのう:第59代天皇)の
病気平癒の為に建てられた勅願社です。
そんな大豊神社の境内には
日吉社がお祀りされているんですね~。
大豊神社の狛猿
日吉社の前には狛犬ならぬ
狛猿(こまさる)がある事で
知られています!
■幸神社(さいのかみのやしろ)
場所:京都市上京区今出川通室町西入堀出シ町285
幸神社は、平安京遷都を行った
桓武天皇(かんむてんのう:第50代天皇)が
その平安京の鬼門除けの為に
道祖神(どうそしん)をお祀りしたのが
始まりなんだそうです。
ちなみに以前の場所は
平安京の北東の鬼門にあたる方角に
あったとされ、現在も
京都御所の北東の鬼門にあたる方角に
あるんですね♪
幸神社の鬼門除けの猿
そんな幸神社の本殿北東角には
左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝わる
鬼門除けの木像の猿が安置されています!
※鬼門除けの猿について詳しくは、京都の鬼門除けの猿めぐりの記事をご覧下さい。
■猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
場所:京都市右京区山ノ内荒木町3
猿田彦神社は平安時代
伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)が
猿田彦大神をお祀りした事が始まりで
後に嵯峨天皇(さがてんのう・第52代天皇)が
社殿を整えたといわれているんですね。
そんな猿田彦神社は通称
山之内庚申(やまのうちこうしん)とも呼ばれ
京都三庚申(きょうとさんこうしん)の1つに
数えられています!
※京都三庚申について詳しくは、京都三庚申の記事をご覧下さい。
猿の彫刻
庚申の使いが猿とされている事からか
拝殿には猿の彫刻がされているんですよ。
■猿丸神社(さるまるじんじゃ)
場所:京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字粽谷44
猿丸神社は、京都府の
宇治田原町(うじたわらちょう)にある神社で
祭神に猿丸大夫(さるまるだゆう)を祀っています。
猿丸大夫は『三十六歌仙
(さんじゅうろっかせん)』の
1人に数えられている事以外は
全てが謎に包まれた人物なんですね。
そんな猿丸大夫をお祀りしている
猿丸神社には狛犬ならぬ
狛猿が安置されています♪
狛猿・右側
狛猿・左側
こちらの狛猿を擦った手で自分の体をさすると
病気にかかりにくいという事で
遠方からも沢山の人が参拝に来られるんですよ♪
ちなみに猿丸神社は
こぶ取りの神様とも呼ばれ
ガン封じのご利益があるといわれています。
■正行院(しょうぎょういん)
場所:京都市下京区東洞院通塩小路町744
正行院は、若山正行が1538年(天文7年)に
開山に円誉道阿(えんよどうあ)を迎え
創建したと伝わる浄土宗のお寺です。
そんな正行院は通称
猿寺(さるでら)と呼ばれているんですね~♪
その昔、又十郎という猟師が
北山(京都市北部)で一匹の猿を見つけ
弓矢で射止めようとした際
猿がなんと、自分の首輪を
引っ張りならが命乞いをしたそうです!
それに驚いた又十郎は
「命は取らないから代わりに首輪を置いていけ!」
と言うと、猿は言われた通りに
首輪を置いて逃げていきました。
その後、又十郎が首輪を調べてみると
そこには『南無阿弥陀仏』と書かれた
お守りがついていたそうです。
又十郎はそのお守りが
円誉が与えたものだという事を後に知り
それまでの殺生を繰り返してきた
自分自身を悔いると改心して
円誉の弟子になったと伝わっています。
正行院は、そんなエピソードから
猿寺と呼ばれているというわけなんですね~♪
※詳しくは、正行院の記事をご覧下さい。
猿の置物
境内にはいろいろな場所に
猿の置物などが置かれているんですよ~♪
■赤山禅院(せきざんぜんいん)
場所:京都市左京区修学院開根坊町18
赤山禅院は888年(仁和4年)に
安慧(あんね)というお坊さんによって
延暦寺の別院として創建されました。
御所から見て北東の方角
北東表鬼門(おもてきもん)に
当たる事から、方除けの神としても
崇敬を集めているんですね。
そんな赤山禅院の拝殿の屋根の上には
なんと!金網の中に入った
鬼門を守っている猿が安置されています!
赤山禅院の鬼門除けの猿
金網に入っている理由は
夜な夜な猿がお寺を抜け出しては
イタズラをするから!という事なんですよ♪
■八坂庚申堂(金剛寺)(やさかこうしんどう(こんごうじ))
場所:京都市東山区下河原町八坂鳥居前下4丁金園390-1
八坂庚申堂は、正式名称を金剛寺という
日本で最初の庚申信仰の霊場といわれています。
つまり!
庚申信仰発祥の地というワケなんですね~♪
そんな八坂庚申堂は
平安時代、比叡山の山伏・呪術僧として知られている
浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が
庶民の人でも気軽にお参りできるようにと
庚申堂を建てたのが始まりといわれています。
ちなみに浄蔵貴所は、祇園祭(ぎおんまつり)の
山伏山(やまぶしやま)の御神体でもあります。
見ざる・言わざる・聞かざる
そんな八坂庚申堂の表門の屋根には
庚申の使いが猿と言われている事からか
『見ざる・言わざる・聞かざる』の
お猿さんがいるんですね♪
■番外編 猿ヶ辻(京都御所)(さるがつじ(きょうとごしょ))
場所:京都市上京区京都御苑3
京都御所の鬼門にあたる
北東の角を猿ヶ辻(さるがつじ)と言うんですけれど
こちらには屋根の軒下のひさしの部分に
金網が張られ、その中に猿の像が安置されています。
この猿の像は、もともと
滋賀県の日吉大社にあったものだそうで
それを御所の鬼門の位置に安置したんですね♪
つまり鬼門除けの為に安置されている
お猿さんだという事なんですね。
金網が張られている理由は
この猿が夜な夜な屋根から飛び出して
辺りで悪戯をしたからなんですよ!
という事で今回は
干支にちなんだ神社をご紹介しました。
詳しい場所はコチラ↓