2014-11-13 | |
テーマ:お寺 |
正行院
今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
正行院(しょうぎょういん)です!
正行院は若山正行が
1538年(天文7年)に
開山として円誉道阿(えんよどうあ)を迎え
創建したと伝わる浄土宗のお寺なんですよ。
そんな正行院は
通称、猿寺(さるでら)と呼ばれる
お寺なんです
でもどうして猿寺なんて
呼ばれているのか気になりますよね
そちらはまた後でご紹介するとして
まずはお寺について簡単にご紹介します♪
山門をくぐると
目の前に本堂があります。
本堂の中には
ご本尊である阿弥陀如来が安置されています。
また、猿を膝に乗せた円誉座像も
安置されているんですよ。
ちなみに本堂は
徳川家康(とくがわいえやす)から与えられた
伏見城の遺構で建てられたといわれています
こちらは仏足石です。
お釈迦さまの足跡なんですよ~
そしてこちらは地蔵堂です。
地蔵堂の中には
輪形地蔵(わがたじぞう)と呼ばれる
とても変わったネーミングの
お地蔵さんが安置されています。
輪形地蔵の名前の由来は
昔この辺りにあった
輪形石(わがたいし・または車石(くるまいし))で
造られているからなんですね
お地蔵さんの事をご紹介する前に
輪形石についてご説明しますと・・・
その昔、竹田街道(京都市内中心部と伏見をつなぐ幹線道路)や
鳥羽街道(羅城門跡から淀へとつなぐ街道)は
道が随分と悪かったみたいで
牛馬車で荷物を運ぶのに大変苦労したんだそうです。
そこで、牛馬車の車輪が入るくらいの
溝を作った石を道に敷き並べて
その上を荷台に走らせるというものが考えられたんですね~
その石を輪形の石とか
輪形石などと呼んだんだそうですよ
そんな輪形石には
ある不思議なエピソードが伝わっています。
そのエピソードとは・・・
1600年(慶長5年)の3月
ある村人が夢の中で
年老いたお坊さんからお告げを聞くんですね。
お坊さんは
「私は牛馬を苦労から救うために泥の中にいましたが
今後は人々も救っていきたいと思っていますので
掘り起こして下さい。」
と言ったそうです。
その後、夢から覚めた村人は
家の前に出てみると
なんと!
道に敷かれている輪形石の間が光っていたそうです
不思議に思ってその場所を
掘ってみると立派なお地蔵さんが
出てきたんですね~。
そして村人はそのお地蔵さんを
お堂を建ててお祀りする事にしました。
それが輪形地蔵であり
こういった経緯から
その名で呼ばれるようになったんですね
ちなみに輪形地蔵は
交通安全のご利益があると信じられ
信仰されているんだそうですよ。
さて、冒頭でもお話しました
猿寺の由来をご紹介したいと思います
猿寺と呼ばれるようになったのは
ある一匹の猿が関係しているんですよ。
その昔、又十郎という猟師が
北山(京都市北部)で一匹の猿を見つけ
弓矢で射止めようとした際
その猿がなんと、自分の首輪を
引っ張りならが命乞いをしたんだそうです
それに驚いた又十郎は
「命は取らないから
その代わりに首輪を置いていけ!」
と言いました。
すると猿は言われた通りに
首輪を置いて逃げていったと言われています
その後、又十郎が首輪を調べてみると
そこには『南無阿弥陀仏』と書かれた
お守りがついていたそうです。
又十郎はそのお守りが
円誉が与えたものだという事を
後に知る事になります。
円誉は、北山に庵を結んで暮らしていて
普段から動物をとても
可愛がっていたみたいです。
そんなある日、一匹の猿が
円誉のために自然薯(じねんじょ)を
採ろうとしたそうですけれど
うっかり崖から落ちてしまい
そのせいで命を失ってしまうんですね
この事を悲しんだ円誉は
猿を丁寧に葬り
弔ってやりました。
そして、他の猿が
崖から落ちないようにと
猿の首に首輪をつけ
お守りを与えたというわけなんです♪
又十郎は
円誉のこの話を聞き
それまでの殺生を繰り返してきた
自分自身を悔いると改心して
円誉の弟子になったと伝わっています。
正行院は、そんなエピソードから
猿寺と呼ばれているというわけなんですね~
猿寺と言われるだけあって
境内にはいろいろな場所に
猿の置物などが置かれているんですよ~♪
ちなみに最初の東海道線は
正行院の境内を通って
七条ステーション(現在の京都駅)に至ったんだそうです。
日本最初のチンチン電車も
この場所から発車したんですけれど
境内を電車が走るって
驚きですよね~
そんな猿寺と呼ばれる
正行院の場所はコチラ↓
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