今回ご紹介するのは
京都で涅槃図(ねはんず)が見られるお寺巡りです!
京都ではこの時期
涅槃図を公開するお寺が多いので
主だった所をまとめてみましたよ
※涅槃図の写真は全て浄福寺のものです。
涅槃図
ちなみに涅槃図というのは
仏教の開祖である釈迦(しゃか)の
入滅の様子を描いた物なんですね!
※入滅とは、徳の高い、高僧が亡くなることです。
どの涅槃図もそうなんですけれど
釈迦は頭を北に、足を南に
顔は極楽浄土がある西を向いて
横たわった姿で描かれています
※北枕が良くないというのは、釈迦が頭を北にして入滅した事に由来しているという事ですよね。
そして釈迦の周りには
弟子や様々な動物が悲しんでいる様子が
描かれているんですよ
また、釈迦が入滅した日は
旧暦の2月15日なんですけれど
その日が満月だった事から
涅槃図には満月が描かれ
さらにその下には
沙羅双樹の木が描かれています
沙羅双樹の木は
右側は枯れた様子で描かれているんですけれど
これは釈迦が入滅した時
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花が
白い花を一瞬だけ咲かせ散らし
釈迦の体を覆ったからなんだそうです。
また、沙羅双樹が枯れた様子で描かれているのは
動物だけで無く、植物でさえも
釈迦の入滅を悲しんだ事を
表しているからともいわれています
※沙羅双樹ついて詳しくは、東林院の記事をご覧下さい。
さらに、その沙羅双樹の木には
釈迦の母である摩耶夫人(まやふじん)が
摩耶夫人
釈迦を助ける為に天から投げたといわれる
薬袋(やくたい)が木に引っかかっているんですね。
赤色の薬袋
投げた薬袋が釈迦には届かず
木に引っかかってしまったというワケなんです
病気の人に薬を与える事を
投薬(とうやく)といいますけれど
これは摩耶夫人が薬を投げた事に
由来していたんですね~
ちなみに釈迦についても簡単にご紹介しますと
今から2500年前
インドのカピラバストの王子として誕生し
産まれて間もなく7歩歩いて
右手で天を、左手で地を指して
「天上天下唯我独尊!」
と発したといわれています
※摩耶夫人の脇腹から生まれたそうです。
その後、厳しい修行をし
35歳で悟りを開いたと伝えられています。
そんな釈迦の入滅した時の様子を
描いた涅槃図なんですけれど
実は描く絵師によって様々な
特色があるんですね!
例えば
鼠が釈迦の使いと考えられている事から
普通は涅槃図に描かれない
天敵の猫が描かれている物もあったりします。
それではさっそくご紹介していきましょう!
※ちなみに場所は50音順です。
■清水寺(きよみずでら)
期間:2月15日にから約1週間
場所:京都市東山区清水1丁目294
清水寺は
北法相宗(きたほっそうしゅう)の総本山で
778年(宝亀9年)、延鎮(えんちん)というお坊さんが
草庵を結んだ事がはじまりといわれています
791年(延暦10年)
平安京遷都よりも前からこの地にあり
京都のお寺の中でも
かなり歴史の古いお寺の1つなんですね~
そんな清水寺では
毎年2月15日、経堂に
江戸時代の絵師である
山口雪渓(やまぐちせっけい)によって描かれた
縦3メートル91センチ、横3メートル3センチの
『大涅槃図』が掲げられ
法要(涅槃会(ねはんえ))が行われます。
※法要後に一般公開され、約1週間程見る事が出来ます。
■浄福寺(じょうふくじ)
期間:2月15日
場所:京都市上京区浄福寺通一条笹屋町2丁目601
浄福寺は
浄土宗のお寺で、延暦年間(782~806年)に
京都御所の東北に鬼門除けとして
賢憬(けんけい)が創建されたのが始まりで
その後、何度も焼失し
江戸時代の初め頃、現在地に移ったそうです
『日本最古の違法建築の寺』として知られ
江戸時代、幕府から出された
三間梁機制(さんげんはりきせい)という
全国の寺院に適用された建築に関する御触書に
違反しているんだそうですよ
当時はお堂の大きさが
決められていたみたいなんですけれど
どうにか大きく出来ないか?と考えた末
お堂を2つ建て、後から繋げたんですね
役人も違法とは認めつつも
黙認していたそうですから
アイデアの勝利だったのかも知れません
そんな浄福寺では
2月15日、西陣釈迦堂に涅槃図が掲げられ
釈迦涅槃会が行われます。
■真如堂(しんにょどう)
期間:3月1日~31日
住所:京都市左京区浄土寺真如町82
真如堂は
正式名称を真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という
天台宗のお寺で
戒算(かいざん)という平安時代中期のお坊さんが
延暦寺(えんりゃくじ)の常行堂にあった
阿弥陀如来像を本尊としてお祀りして
開いたのが始まりといわれています
そんな真如堂では
毎年3月1日から31日まで
三井家(財閥)の女性達の寄進により
1709年、僧・厭求(えんぐ)や
海北友賢(かいほうゆうけん)らによって
制作された縦6.2メートル、幅4.5メートルの
『大涅槃図』が公開されるんですね~
期間中は花供曽(はなくそ・和菓子)が
授与されるんですよ♪
※詳しくは、大涅槃図特別公開 2014(真如堂)の記事をご覧ください。
■清凉寺(せいりょうじ)
期間:3月15日
場所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
清凉寺は
浄土宗の知恩院派のお寺で
かつてこの地に嵯峨天皇(さがてんのう・第52代天皇)の
離宮があった事から
通称『嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)』とも
呼ばれています
そしてその嵯峨天皇の皇子である
源融(みなもとのとおる)の
山荘であった棲霞観(せいかかん)に
阿弥陀堂を建てて棲霞堂としたのが
清凉寺の始まりなんだそうですよ
そんな清涼寺では
毎年3月15日、本堂に
縦6メートル、横4メートルの
巨大な『大涅槃図』が公開され
涅槃会が行われます!
■泉涌寺(せんにゅうじ)
期間:3月11日~16日
場所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
泉涌寺は
真言宗泉涌寺派の大本山で
平安時代に弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が
草庵を結んだ事が始まりといわれています
また、皇室とのゆかりが大変深く
御寺(みてら・皇室の菩提寺)としても
知られているんですね
そんな泉涌寺では
毎年3月11日から16日の期間
江戸時代中期の僧である
明誉古礀(めいよこかん)によって描かれた
縦16メートル、横8メートルにも及ぶ
日本一大きい涅槃図が仏殿に掲げられ
一般公開されます。
ちなみに3月14日~16日の3日間は
涅槃会も行われ
堂内では『花御供(はなごく)』が
授与されています
■知恩院(ちおんいん)
期間:2月13日~15日
場所:京都市東山区林下町400
知恩院は
浄土宗の総本山で
法然(ほうねん)が建てた吉水(よしみず)の僧房に
始まったといわれ
その後、江戸時代に
現在の大伽藍が徳川家によって造営され
整えられたと伝わっているんですよ
ちなみに知恩院の三門は
『日本3大門』や『京の3大門』に数えられ
木造の門としては日本最大級の大きさで国宝です
そんな知恩院では
毎年2月13日から15日の間
法然上人御堂(集会堂)に涅槃図が掲げられ
涅槃会が行われます。
■東福寺(とうふくじ)
期間:3月14日~16日
場所:京都市東山区本町15丁目778
東福寺は
臨済宗東福寺派の大本山で
1236年(嘉禎2年)に
摂関家である九条道家(くじょうみちいえ)が
九条家の菩提寺として創建したのが
始まりといわれています
お寺の名前は
東大寺の規模の大きさ
興福寺から教えの素晴らしさを習って
東大寺と興福寺から一字ずつ取り
東福寺と名付けられたんだそうですよ
そんな東福寺では
毎年、3月14日~16日の間
室町初期の僧である
明兆(みんちょう)が描いたとされる
縦12メートル、横6メートルの
日本三大涅槃の1つに数えられる
大涅槃図が本堂に掲げられます。
ちなみに東福寺の涅槃図には
猫が描かれている事でも知られ
大変珍しいものとなっているんですね
また、境内では
『花供御(はなくそ)』も授与されています
■本法寺(ほんぽうじ)
期間:3月14日~4月15日
場所:京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617
本法寺は
日蓮宗(にちれんしゅう)の本山の1つで
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の曾祖父である
清信(きよのぶ)が日親(にっしん)を開祖に
創建したのが始まりといわれています
境内には
『三つ巴の庭(みつどもえのにわ)』と呼ばれる
枯山水庭園があり
蓮池、その奥に積まれている数々の石が
『過去・現在・未来』を象徴しているんだそうです。
そんな本法寺では
毎年3月14日から4月15日まで
長谷川等伯(はせがわとうはく)が
61歳の時に描いた
縦10メートル、横6メートルの
日本三大涅槃の1つに数えられる
『佛涅槃図』が掲げられます。
という事で今回は
京都で涅槃図の見れるお寺を
ご紹介させていただきました♪
場所はコチラ↓