今回ご紹介するのは
京都市の下京区にある
![新善光寺](2014/08/18/01/2014-08-18-1.jpg)
新善光寺(しんぜんこうじ)です!
平安時代初期、この辺りは
源融(みなもとのとおる)が
隠棲地として営んだ
六条河原院があったとされる場所なんですよ
源融と言えば
源氏物語の主人公『光源氏』の
モデルの1人と言われている人物ですよね~
※源氏物語について詳しくは、源氏物語ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。
その跡地に新善光寺は
建っているというわけなんです
ちなみに現在、河原院の跡には民家の他
・極楽寺(ごくらくじ)
・金光寺(こんこうじ)
・西念寺(さいねんじ)
・荘厳寺(しょうごんじ)
・新善光寺(しんぜんこうじ)
・浄運院(じょううんいん)
・上徳寺(じょうとくじ)
・千喜万悦天満宮(せんきまんえつてんまんぐう)
・宗仙寺(そうせんじ)
・高市稲荷神社(たけちいなりじんじゃ)
・竹林寺(ちくりんじ)
・等善寺(とうぜんじ)
・徳林院(とくりんいん)
・白毫寺(びゃくごうじ)
・福田寺(ふくでんじ)
・本覚寺(ほんかくじ)
・萬年寺(まんねんじ)
・蓮光寺(れんこうじ)
といった寺院がいくつも建てられています。
実は、京都には
新善光寺という名前のお寺が
東山区にもあり
そちらは泉涌寺(せんにゅうじ)の
塔頭寺院になります
![こま札](2014/08/18/01/2014-08-18-2.jpg)
今回ご紹介している新善光寺は
来迎堂(らいごうどう)と号する
浄土宗のお寺なんですよ。
ではさっそくレポートしていきましょう
まずこちら山門前の通りに
石碑が建てられていました。
![信濃善光寺分身如来と書かれた石碑](2014/08/18/01/2014-08-18-3.jpg)
石碑には
信濃善光寺分身如来(しなのぜんこうじぶんしんにょらい)と書かれていますね。
これはどういう事なのかと言いますと・・・
新善光寺に安置されている
ご本尊の阿弥陀如来像は
長野県(信濃)にある善光寺を創建した
本田善光(ほんだぜんこう)の子・義助が
善光寺の阿弥陀如来像の分身像として
造ったものと伝わっているからなんです
ですから信濃善光寺分身如来というわけなんですね。
※善光寺の本尊は三国渡来の絶対秘仏と言われ、その姿は住職でも見ることが出来ないとされています。
ちなみにこの阿弥陀如来像は
もともとは奈良県にあったようですよ。
どういういきさつかはわかりませんけれど
1109年(天仁2年)に堀川松原に
伽藍が建てられ安置されたと言われています
そしてその時以降
来迎堂新善光寺と呼ばれて
信仰されるようになったそうなんです。
けれど来迎堂新善光寺は
1467年から始まる応仁の乱(おうにんのらん)などの
戦火によって場所を転々とする事になるんですね
※応仁の乱について詳しくは、銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧ください。
その後、1591年(天正19年)
天下人である豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって
現在の地に移されたようです
こちらは本堂です。
![山門](2014/08/18/01/2014-08-18-4.jpg)
本堂は山門の目の前にありました。
そして本堂手前の右手には地蔵堂があり
![地蔵堂](2014/08/18/01/2014-08-18-5.jpg)
こちらは、江戸時代中頃
洛陽48願所地蔵尊の第47番目に
数えられていたそうですよ
※洛陽48願所地蔵巡りとは、六地蔵以外で48ヶ寺の地蔵を順番に回って拝むというものです。ちなみに第18番札所は、以前ご紹介した歯形地蔵です♪
そんな新善光寺の場所はコチラ↓
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