今回ご紹介するのは
京都市の下京区にある
新善光寺(しんぜんこうじ)です!
平安時代初期、この辺りは
源融(みなもとのとおる)が
隠棲地として営んだ
六条河原院があったとされる場所なんですよ
源融と言えば
源氏物語の主人公『光源氏』の
モデルの1人と言われている人物ですよね~
※源氏物語について詳しくは、源氏物語ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。
その跡地に新善光寺は
建っているというわけなんです
ちなみに現在、河原院の跡には民家の他
・極楽寺(ごくらくじ)
・金光寺(こんこうじ)
・西念寺(さいねんじ)
・荘厳寺(しょうごんじ)
・新善光寺(しんぜんこうじ)
・浄運院(じょううんいん)
・上徳寺(じょうとくじ)
・千喜万悦天満宮(せんきまんえつてんまんぐう)
・宗仙寺(そうせんじ)
・高市稲荷神社(たけちいなりじんじゃ)
・竹林寺(ちくりんじ)
・等善寺(とうぜんじ)
・徳林院(とくりんいん)
・白毫寺(びゃくごうじ)
・福田寺(ふくでんじ)
・本覚寺(ほんかくじ)
・萬年寺(まんねんじ)
・蓮光寺(れんこうじ)
といった寺院がいくつも建てられています。
実は、京都には
新善光寺という名前のお寺が
東山区にもあり
そちらは泉涌寺(せんにゅうじ)の
塔頭寺院になります
今回ご紹介している新善光寺は
来迎堂(らいごうどう)と号する
浄土宗のお寺なんですよ。
ではさっそくレポートしていきましょう
まずこちら山門前の通りに
石碑が建てられていました。
石碑には
信濃善光寺分身如来(しなのぜんこうじぶんしんにょらい)と書かれていますね。
これはどういう事なのかと言いますと・・・
新善光寺に安置されている
ご本尊の阿弥陀如来像は
長野県(信濃)にある善光寺を創建した
本田善光(ほんだぜんこう)の子・義助が
善光寺の阿弥陀如来像の分身像として
造ったものと伝わっているからなんです
ですから信濃善光寺分身如来というわけなんですね。
※善光寺の本尊は三国渡来の絶対秘仏と言われ、その姿は住職でも見ることが出来ないとされています。
ちなみにこの阿弥陀如来像は
もともとは奈良県にあったようですよ。
どういういきさつかはわかりませんけれど
1109年(天仁2年)に堀川松原に
伽藍が建てられ安置されたと言われています
そしてその時以降
来迎堂新善光寺と呼ばれて
信仰されるようになったそうなんです。
けれど来迎堂新善光寺は
1467年から始まる応仁の乱(おうにんのらん)などの
戦火によって場所を転々とする事になるんですね
※応仁の乱について詳しくは、銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧ください。
その後、1591年(天正19年)
天下人である豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって
現在の地に移されたようです
こちらは本堂です。
本堂は山門の目の前にありました。
そして本堂手前の右手には地蔵堂があり
こちらは、江戸時代中頃
洛陽48願所地蔵尊の第47番目に
数えられていたそうですよ
※洛陽48願所地蔵巡りとは、六地蔵以外で48ヶ寺の地蔵を順番に回って拝むというものです。ちなみに第18番札所は、以前ご紹介した歯形地蔵です♪
そんな新善光寺の場所はコチラ↓
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