2014-06-07 | |
テーマ:神社 |
千喜万悦天満宮
今回ご紹介するのは
千喜万悦天満宮(せんきまんえつてんまんぐう)です!!
この千喜万悦天満宮は
西念寺(さいねんじ)というお寺の境内にあるんですね~
場所はと言いますと・・・
下京区の五条通の通り沿い
高倉通との交差点辺りにあります。
ちなみにこの西念寺は
もともと六条河原院跡に
創建されたと言われています
その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代に
現在地に移され、さらに戦時中
五条通りの拡張で境内の多くを失ったそうですよ。
※六条河原院跡は、源氏物語の主人公『光源氏』のモデルの1人とされる源融(みなもとのとおる)の邸宅跡の事です。
さて、この千喜万悦天満宮の
千喜万悦という字を見てみると
千の喜びと万の悦びと書かれているので
なんだかおめでたい感じがしますよね!?
実はこの名前には
ある話が伝わっていまして
その話の主人公は菅原道真(すがわらのみちざね)なんです!
菅原道真と言えば
学問に秀でた人として
知られていますよね
試験の前に近くの天満宮に
参拝しに出かけた人も多いと思います♪
彼は平安時代に活躍した人物で
学者の最高位である
文章博士(もんじょうはかせ)という
中国の歴史や漢文を教える先生も努めていた人なんですよ!
そんな彼が899年(昌泰2年)の2月14日
右大臣に任命されます!
これは菅家(かんけ)では初の事でした
その後、道真は公達(きんだち)らとともに
列座(れつざ・並んで座る事)することも許されたと伝わっているそうです。
※公達とは、公卿になる上流貴族の家系出身者らの事です。
その際に菅原道真は喜びのあまり
「何か形として残そう!!こんな嬉しいことは無い!!」
との事で、この神社と列座の様子を絵に描かせたと言われているんですね。
つまり千喜万悦という言葉は
道真のこの上無い喜びを表したものだったというわけなんですよ~♪
絵にしちゃうなんて
よっぽど嬉しかったんでしょうね
※菅原道真について詳しくは菅大臣神社 その1をご覧下さい。
今の時代だと
ツイッター等で
つぶやいたり写真を載せたりする
感覚に近いかも知れませんね
そんな事から千喜万悦天満宮では
本殿
天神像の御神体とともに
道真が描かせた『菅家繁盛の図』が祀られているそうです。
ちなみに千喜万悦天満宮は
江戸時代の洛陽天神二十五社の1つ
西念寺天神(さいねんじてんじん)として
数えられているんですよ
※洛陽天神二十五社とは、京都市内で道真にゆかりのある25社を順番に参拝する風習の事。時代によって順番や場所が違ったりします。詳しくは匂天神社の記事をご覧下さい。
こちらは臥牛(がぎゅう)です!
天満宮では牛は神様のお使い(神使)とされていて
それは道真の干支が丑年だった為や
牛が刺客から道真を守った
道真のお墓の場所を太宰府天満宮と決めたのが牛だった
など数々の諸説があるようです
こちらは歌碑です。
「来迎や どこともなしに 梅かおる」
と書かれてしました。
ちなみに道真は生前
梅を愛した人物としても知られていて
大宰府に左遷された時は邸宅に咲いていた梅が
彼を追いかけて一夜で飛んでいったと言われているんですよ
※この『飛梅(とびうめ)』のエピソードについて詳しくは、菅大臣神社 その2の記事をご覧下さい。
そんな千喜万悦天満宮の場所はコチラ↓
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