京都検定過去問の中から
4つ出題したいと思います
では早速いってみましょう。
では1問目です。
【問題】
大徳寺の塔頭( )には、細川三斎(ほそかわさんさい)好みと伝える二畳台目の茶室「松向軒(しょうこうけん)」がある。
ア.両足院(りょうそくいん)
イ.芬陀院(ふんだいん)
ウ.東林院(とうりんいん)
エ.高桐院(こうとういん)
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では、答えですっ。
【答え】
エ.高桐院
高桐院は
千利休の邸宅を移築したもので
細川三斎が父の菩提所として建てたお寺なんですよ。
細川三斎は、細川忠興(ほそかわただおき)としても知られ
武将であり優れた茶人でもあった人です。
利休の弟子の中でも特に優れていたと言われています
二畳台目の松向軒は秀吉が行った
北野大茶会で披露した茶室を移築したものと
伝えられているんですね。
※台目とは、茶道具などを置く目的のスペースの事を指します。
続いて2問目です。
【問題】
泉涌寺(せんにゅうじ)は、皇室の香華院(こうげいん・菩提所)として知られるが、最初に御陵が造られた天皇は誰か。
ア.二条天皇(にじょうてんのう)
イ.四条天皇(しじょうてんのう)
ウ.後光厳天皇(ごこうごんてんのう)
エ.後小松天皇(ごこまつてんのう)
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では、答えですっ。
【答え】
イ.四条天皇
泉涌寺は皇室とゆかりが深く
御寺(みてら)と呼ばれるお寺なんですよ。
※詳しくは、泉涌寺 その1、泉涌寺 その2の記事をご覧下さい。
四条天皇(第87代天皇)は
2歳にして天皇に即位し
わずか12歳で亡くなられたと言われています
そんな四条天皇に
前世ではどんな人だったのか?という事を尋ねた所
泉涌寺の開山の名を口にした事から
泉涌寺に葬られたと
増鏡(ますかがみ・南北朝時代に作成された歴史物語)に記されているそうですよ。
3問目にいってみましょう。
【問題】
現存する最古の木造建造物として、国宝に指定されているのはどれか。
ア.法界寺阿弥陀堂(ほうかいじあみだどう)
イ.平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
ウ.大報恩寺本堂(だいほうおんじほんどう)
エ.醍醐寺五重塔(だいごじごじゅうのとう)
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では、答えですっ。
【答え】
エ.醍醐寺五重塔
五重塔だけでなく
金堂、薬師堂、清滝宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)
三宝院表書院(さんぼういんおもてしょいん)、唐門の6つが
国宝に指定されています
五重塔は高さが約38メートルあり
創建当時の面影を唯一残す建物と言われているんですね。
日本3名塔の1つに数えられているそうですよ。
※醍醐寺や五重塔について詳しくは、醍醐寺 その2、京の五重塔巡りの記事をご覧下さい。
【問題】
日蓮(にちれん)の孫弟子日像(にちぞう)を開祖とする寺院( )は、洛中における法華宗寺院の草分け的存在で、尾形光琳(おがたこうりん)筆の「松竹梅図」が所蔵されている。
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では、答えですっ。
【答え】
妙顕寺(みょうけんじ)
妙顕寺は1321年
後醍醐天皇(ごだいごてんのう・第96代天皇)から寺領を与えられて
創建したと言われています。
※創建当初は妙顕城寺とも呼ばれていたそうです。
江戸時代中期を代表する画家
尾形光琳が檀信徒(檀家+信徒)であった事から
松竹梅図が所蔵されているそうですよ
ちなみに日像が開山したお寺
妙顕寺と妙覚寺(みょうかくじ)
立本寺(りゅうほんじ)で
『龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)』と呼ばれています。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?