2010-08-25 | |
テーマ:お寺 |
関連:総見院 / 大徳寺 / 瑞峯院 / 龍源院 / 興臨院 / 聚光院 / |
高桐院
さて本日の京子ブログ!!
数十もの寺院が並ぶ、大徳寺境内にあり
千利休の邸宅を移築した、気品溢れるお寺・・・
そして
キリスト教信者である一人の女性が眠る場所
高桐院(こうとういん)をご紹介したいと思います
JR東海のCM「そうだ京都、行こう」でも
見事な紅葉がクローズアップされた高桐院。
秋に合わせて、京都に来られる方がいらっしゃいましたら、観光コースの候補にいかがでしょうか
大徳寺の中にあります、この高桐院。
1601年に武将である
細川忠興(ほそかわただおき)によって建てられます♪
冒頭でもお伝えしましたが、
千利休の邸宅を移築?
つまり・・・何か利休と細川忠興は関係があるのかな?
と、思われた方っ~。
そうなのです!!
この細川忠興は優れた教養人、茶人の顔も持ち合わせていて
利休の弟子の中でも特に優れていた人でもあったんですね。
そしてそして
もう一人ここで重要な登場人物をご紹介します
それが・・・
細川忠興の正室(奥さん)であり
あの明智光秀の娘である
細川ガラシャという女性です。
ん??
ガラシャ??
ハーフの奥さんなの??
と、思われる方もいらっしゃいますが、
違いますよ!!
彼女については後ほど、ご説明させていただきますね~
では、行ってみましょう
一歩、高桐院に足を踏み入れると
そこは見事な参道が伸びています
綺麗に整備された竹林は
街の中のまさにオアシスですね
この日も京都は35℃の猛暑日・・
しかーし、この高桐院には涼しいそよ風が笹の葉を揺らし
夏の暑さを忘れさせてくれます~っ。
さてさて、中に入りますと・・・
千利休の書院である「意北軒(いほくけん)」があります。
この壁にはイカ墨を練りこんでいて、雨漏りの滲みも表現。汚れて汚くなっているワケではないのですよ(汗)
これも利休による、
侘び寂びの世界に通じているのでしょうか~
そして、
利休に続き、弟子である細川忠興が作った
茶室である・・・
松向軒(しょうこうけん)です。
豊臣秀吉が催したお茶のフェスティバル「北野大茶会」で披露した茶室をこの高桐院に移築したそうです。中は立ち入り禁止でしたけど、目の前まで近づく事は可能ですよっ。
さて、お庭に足を運びますと~っ。
袈裟型おり蹲踞(けさがたおりつくばい)
秀吉の朝鮮出兵の際
家臣の加藤清正が、朝鮮王城の羅生門礎石を持ち帰り
細川忠興に贈ったものだそうです~。
お庭には他にも・・・
ありましたありました
細川忠興とガラシャ夫人のお墓。
他にも細川忠興のお父さんである幽斎を始め、細川家歴代の墓が並んでいました。ちなみに子孫には、総理大臣でもあった細川護熙(ほそかわもりひろ)さんがいらっしゃいます。
細川ガラシャという人物。
この名前はドコから来たの??と言いますと、キリスト教からなのです。
戦国時代の大事件「本能寺の変」
を起こした明智光秀の娘として生まれ
激動の幼少期を過ごします。
そして・・細川忠興の正室になりますが
この忠興はどうもすごくヤキモチ焼きのようで彼女を家の中に閉じ込めてしまいます。
お庭も部屋の中も充分な手入れが行き届いていました。
忠興は庭師と挨拶を交わす彼女を見ただけで・・・
「男と喋っているなんてけしからーーーん!!」
と、その庭師を切り捨てたとか(汗)
恐ろしい・・・。
しかし、この頃から彼女は、キリスト教の洗礼を受け、のめり込むのです。
忠興の留守を見計らっては教会に通います。
この時に神父から、ラテン語で「恩寵・神の恵み」の意味を持つ「ガラシャ」という洗礼名を受けます。
この白い壁を見るだけで大切に手入れされているのが分かりますね。
この頃、起こったのが秀吉によるバテレン追放令です。
九州の役の際に、長崎に降り立った秀吉は、キリシタン大名が
オランダとの貿易に重要な領土を、イエズス会に寄進していた事に激怒。
キリスト教の宣教師=バテレンを追放してしまいます。
そして秀吉に仕える細川家でもキリスト教に対して
厳しくあたります
その証拠にキリスト教の教えを受けていた細川家の侍女(じじょ・身の回りの世話をする女性)の鼻を刀で削ぎ追い出したと言います(汗)
この事にショックを受けたガラシャは「夫と別れたい」と思っていたという話があるそうです・・・相当夫婦関係はギクシャクしていたんでしょうか。。真実はどうなんでしょうか??
三斎(細川忠興)の墓碑に捧げるための水を汲み上げていた三斎井戸
少し模様と色使いの変わったお部屋もありました。
時は流れ、秀吉の死後、徳川家康と石田三成の対立が激化。
彼女もそれに巻き込まれます。
徳川軍の命令により細川忠興は上杉討伐に兵を起こします。
これに呼応するように三成は
関西にいる諸大名の正室を人質に取るんです。
これは後に行われる戦「関ヶ原の戦い」に備える為でした。
その中で、細川家屋敷に軍勢を差し向けガラシャ夫人に人質になるよう強要しました。
この時、彼女はこの世の終わりを悟ったのでしょう。
三成の人質になる事を拒否したガラシャ。
※夫からも敵の人質になるくらいなら死を選ぶよう言われていました。
しかし・・・
自ら死を選ぼうにも
そうなんです。
ガラシャの信仰しているキリスト教の教えでは「自殺は大罪」なのです。
恐らく、こうなった時の為の覚悟は出来ていたのでしょう。。
彼女は隣の間に控えていた家老に命じて
襖越しに槍で自分の体を突かせ
その人生に幕を下ろしました。享年38歳。
客殿から望む景色は絶品。紅葉の季節もとても美しいそうです。
彼女の時世の句である
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
花も人も散るべき時に散るからこそ美しいのです。
生に執着する事なく、
潔く花のように散るんだという美学にも似た
彼女の思想が感じられますね。
そんな彼女は海外でも大変有名で、ガラシャの生涯を描いた「気丈な貴婦人」は1698年7月31日にイエズス会の劇場でオペラとして発表されその中でガラシャは、野蛮な君主である夫の非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させるという人物として描かれているそうです。
フランス王妃、マリー・アントワネットも感銘を受け、その生き方に深く影響を受けたと言われています
そんなガラシャのお墓もあります、高桐院の場所はコチラ↓
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