2016-03-01 | |
テーマ:お寺 |
関連:東福寺 / 東福寺 その2 / 東福寺の紅葉 / 勝林寺 / 天得院 / 芬陀院 / 退耕庵 / 龍吟庵 / 善慧院・明暗寺 / 即宗院 / |
同聚院
今回ご紹介するのは
京都市東山区にある臨済宗東福寺
(とうふくじ)の塔頭寺院
同聚院(どうじゅいん)です!
同聚院は、1444年(文安元年)に
臨済宗の僧である文渓元作(ぶんけいげんさく)が
師の東福寺第129世、琴江令薫(きんこうれいこん)を
勧請開山(かんじょうかいざん)して
創建したと伝わるお寺です
※勧請開山とは、高僧などの名を借りて開山とする事。ただし、宗派によっては意味が異なるそうです。
こま札
ちなみに東福寺は、藤原忠平
(ふじわらのただひら)が
平安時代の925年(延長3年)に建てた
法性寺(ほっしょうじ)の
大伽藍(だいがらん)があった場所と
いわれているんですね~
1006年(寛弘3年)には
御堂関白(みどうかんぱく)と呼ばれた
藤原道長(ふじわらのみちなが)が
40歳になったお祝いである
『四十の賀(しじゅうのが、よそじのが)』
にあたって、丈六(じょうろく)の五大明王を
安置する五大堂(ごだいどう)を建立したそうです
その五大堂の場所が
今回ご紹介している同聚院付近であったと
いわれているんですよ
同聚院の表札
ちなみに藤原忠平は
兄、藤原時平(ふじわらのときひら)の
デマによって大宰府(だざいふ・現在の福岡県)に
左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)と
親交が深かった人物です
それでは早速、中に入っていきましょう
山門
こちらの山門を入った左手には
手水舎(ちょうずや、てみずしゃ)があり
手水舎(ちょうずや、てみずしゃ)
右手には、庫裏(くり)があります。
庫裏(くり)
ちなみに庫裏というのは
お坊さん達が食事の支度等を
するのに用いられる
場所の事なんですよ~
そして、正面、目の前には
冒頭でご紹介した法性寺五大堂の名残りである
五大堂があるんですね~
五大堂
五大堂の中には、かつて法性寺に
安置されていたとされる五大明王の
仏像5体のうち中尊(ちゅうぞん)の
不動明王坐像が五大堂本尊として
残されています
※中尊とは、一群の仏像のうち、中央に安置される仏像の事。
こちらの不動明王坐像は、平安時代中期の仏師
康尚(こうしょう)の唯一の現存作例とされ
浅い彫りや平明(へいめい・洗練)で
優雅な特徴の定朝様式(じょうちょうようしき)の
先駆けといわれているんですね
ちなみに康尚は、平等院(びょうどういん)
鳳凰堂(ほうおうどう)にある本尊
『阿弥陀如来像』を造った
定朝(じょうちょう)の師匠であり父親なんですよ
その康尚が造ったといわれる
不動明王坐像は
『十万不動明王
(じゅうまんふどうみょうおう)』
とも呼ばれているんですけれど
これは、土力、土の力、つまり
産土(うぶすな)の事で
土地を守る仏という意味なんだそうです
※十万は、正しくは「十」の字の下に「万」をつなげ、一字にしたもの。
十万不動明王と書かれた提灯
また、不動明王がいつも
10万の眷属(けんぞく:一族)を
従えていたからとも
いわれているんですね。
そして、古くから火除けのご利益があるとされ
信仰されているそうです
山門前の十万不動明王と刻まれた石碑
毎年2月2日には、紙に
『十万』と書かれた
屋守護(やさご)の符が施与(せよ)され
これを家の出入り口に貼れば
諸難厄除けして火災を除き
福徳円満にして子孫繁栄すると
伝わっています
不動明王坐像は、写真撮影が
禁止されていましたので
お見せ出来ないんですけれど
目の前で見ると、もの凄い迫力で
しばらくの間、見入ってしまいました~
また、境内にも多くのお不動さんが
安置されているんですよ
境内に安置されるお不動さん
また、境内墓地には
日本のシンデレラといわれた祇園の名妓
玉の輿の日(1月20日)が
制定されるきっかけとなった
モルガンお雪(加藤ゆき)の
お墓があるそうです
境内の鎮守社
という事で今回は、東福寺の
塔頭寺院である同聚院をご紹介しました
同聚院の場所はコチラ↓
最寄の交通案内
市バス 202・207・208系統 東福寺(とうふくじ)
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