2014-06-22 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その307
本日も京都検定過去問の中から
4問出題してみたいと思います。
写真と解説を載せているので
チャレンジしてみて下さい
では早速1問目です。
【問題】
どっしりとした大きな( )は、千枚漬の材料としてよく知られている。
ア.鹿ヶ谷かぼちゃ
イ.えびいも
ウ.青味だいこん
エ.聖護院かぶ
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
エ.聖護院かぶ(しょうごいんかぶ)
聖護院かぶは
聖護院(京都市左京区)にいた
研究熱心な農業家
伊勢屋利八が近江かぶの種子を聖護院に移植し
改良を重ね生まれたかぶなんですよ
聖護院の地にある聖護院門跡
聖護院かぶという名称は、この土地の名前から
名付けられたと言われています。
千枚漬は皮を向いた聖護院かぶを
3ミリほどの薄さにスライスし
漬け込んだものなんです。
※千枚漬について詳しくは、京の習わし その6の記事をご覧ください。
続いては2問目です。
【問題】
千家十職(せんけじっしょく)は三千家が指定した十家十人の茶道具の職方である。駒沢利斎家(こまざわりさいけ)の職方はどれか。
ア.陶工
イ.釜師
ウ.指物師
エ.塗師
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.指物師(さしものし)
指物師とは
釘や接着剤などを使わず
板材をさし合わせて組み立てる職人の事です。
4代目駒沢家当主が
表千家6代『覚々斎(かくかくさい)』から
『利斎』という名を与えられて
代々その名を襲名するようになったそうですよ
三千家や千利休ゆかりの大徳寺
三千家とは
表千家・裏千家・武者小路千家の事ですよね。
続きましては3問目です。
【問題】
歌の家として栄えた御子左家の藤原定家が記した日記はどれか。
ア.小右記(おうき・しょうゆうき)
イ.明月記(めいげつき)
ウ.玉葉(ぎょくよう)
エ.民経記(みんけいき)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.明月記
明月記は、別名
照光記(しょうこうき)とも言われています。
小倉百人一首を選定した場所『時雨亭跡』がある二尊院
百人一首を編纂した藤原定家から
息子、為家(ためいえ)
孫であり冷泉家(れいぜいけ)の祖である為相(ためすけ)
そして冷泉家の当主へと代々、伝えられたそうですよ
現在、冷泉家時雨亭文庫(しぐれていぶんこ)には
定家直筆の全54巻が保管されているそうです。
※冷泉家時雨亭文庫とは、冷泉家に伝わる文化財などを保存・管理・継承する目的で設立された財団の事です。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません。
ズバリでお答え下さい!
【問題】
平安京の内裏(だいり)は、安貞元年(1227)の焼失以後再建されず、その跡地は荒廃して( )と呼ばれるようになった。その地が再び脚光を浴びるのは天正15年(1587)の豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)の造営である。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
内野(うちの)
内野は現在の
京都市上京区にあった場所なんですよ。
ちなみに大内裏とは
皇居や官庁のあった場所の事です。
※詳しくは、大極殿跡の記事をご覧ください。
その後、天下人である豊臣秀吉が
政庁兼邸宅である
聚楽第を建てたんですね
※聚楽第については、聚楽第の史跡巡りの記事をご覧ください。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?
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