メモ2014-03-12
テーマ:神社

岩上神社

今回ご紹介するのは

岩上神社

岩上神社(いわがみじんじゃ)です


場所は京都市上京区の

『西陣』と呼ばれる地域にあります。


近くには

緑色の桜『御衣黄(ぎょいこう)』が咲くことで有名な

雨宝院(うほういん)や

源義経が奥州へ向かう際に立ち寄ったと言われる神社

首途八幡宮(かどではちまんぐう)などがあるんですよ。

※源義経について詳しくは源義経ゆかりの地巡りを、寺社について詳しくは首途八幡宮雨宝院の記事をご覧下さい。


ちなみに西陣という地名の由来は

1467年から始まる応仁の乱で

山名宗全(やまなそうぜん)率いる

西軍が陣を張ったことから

そう呼ばれるようになったんですね~

※応仁の乱について詳しくは銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧下さい。


岩上神社全体

上京区浄福寺通上立売大黒町にあります。


さて、こちらの岩上神社

神様はいったい誰なのかと言いますと・・・

なんと石なんですよ!


それも小石ではなく

大きさは2メートルほどもある

立派な石なんです


つまり『岩上』というのは

岩の神様『岩神』からきているんですね


岩上様

写真を見てもらえばわかると思いますけれど

注連縄が張られているのが

岩上様です!!

立派なお姿ですよね~


この巨石には

いくつかの伝承がありまして

もともと、この場所ではなく

現在の二条城北側にあたる

二条堀川あたりにあったそうですよ。


一体なぜ?移動する事になったのかと言いますと

天下人・徳川家康(とくがわいえやす)が

二条城を築城する事になり

岩上通六角に移したそうです


その場所は現在の二条城南側

中山神社(なかやまじんじゃ)』がある場所にあたるんですね。


中山神社

こちらが中山神社です。

こちらは以前ご紹介した中山神社です。


鳥居に掲げられている額には

『岩上宮』と書かれていますよね。


ということは・・・

もう、お気付きだと思いますけれど

そうなんです!

この中山神社こそ

もともとの岩上神社だったんですね~


ちなみに中山神社の前の通りは

岩上通りと言い

町名も岩上町って言うんですよ

信仰されていた証ですね~

中山神社について詳しくは、中山神社の記事をご覧下さい。


現在の中山神社の場所に移動して

ゆっくり落ち着けるかと思いきや・・・


なんと今度は石だけが移動させられます


やっぱり立派な石ですから

欲しいという人が出てくるんでしょうね。


岩上様を横から

岩上様を横からパシャリ。


一体、何処に石が移されたのかと言いますと

後水尾天皇(ごみずのおてんのう・第108代)の母

『中和門院(ちゅうわもんいん)』の屋敷なんです


彼女の屋敷内の池に移された

岩上様なんですけれど・・・


子供に化けたり

夜な夜な「帰りたい」

すすり泣いたりしていたそうです

※子供に化けた事から『禿童石(かむろいし)』とも呼ばれていたそうです。


気味悪がった女官の人たちは

蓮乗院(れんじょういん)という

真言宗のお坊さんに相談します。


蓮乗院は石を引き受けると

きちんとお祀りして

有乳(うにゅう)山岩上寺というお寺を

現在の場所に建立するんですね。


『岩神』と書かれた額

手水鉢には『岩神』という額が掲げられていました。そこには岩上寺の山門の遺構がありましたよ。


岩上寺は、お乳の出が良くなるという

授乳神として婦人の信仰を集めたそうですよ


そんな岩上寺も

1730年の西陣焼け

1788年の天明(てんめい)の大火などで

荒廃しきってしまい

石だけが残るんですね。


最終的には明治時代に

廃寺となってしまうんですよ


その後、跡地には

岩神座という芝居小屋が出来たそうです。


ちなみに岩神座は

あの南座にも劣らない程の

大きな芝居小屋だったそうですよ

※現在、岩神座はありませんが、西陣・岩神座ホールがあります。


岩神座となっても石は移動されずに

崇められていたそうで

1917年(大正6年)に岩神座の跡地を所有した

織物業を営む千切屋(ちきりや)が敷地内に祠を構えて

岩上神社として祀り、現在に至るそうです。


地元の方たちには

「岩上さん」と呼ばれ親しまれているそうですよ。


いろいろな場所を転々とはしましたけれど

今の場所でやっと落ち着けているのかもしれませんね


そんな岩上神社の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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