2013-05-28 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その179
本日は写真と解説付きで
京都検定の過去問をお届けしたいと思います。
実力試しにチャレンジしてみて下さいね
それでは早速1問目にチャレンジしてみましょう。
【問題】
六角堂頂法寺(ろっかくどうちょうほうじ)の住職は、代々何の家元を務めているか。
ア.香道(こうどう)
イ.茶道(さどう)
ウ.煎茶道(せんちゃどう)
エ.華道(かどう)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
エ.華道
第12代目住職である専慶(せんけい・室町時代)の時に
華道の流派として『池坊(いけのぼう)』が生まれ
それ以後、六角堂の住職が池坊家元を務めています。
池坊という名前は境内にある池のほとりに
住坊(じゅうぼう・生活の場)があった事から名付けられたそうですよ
ちなみに六角堂(頂法寺)は
聖徳太子が沐浴(もくよく・体を清める事)をする為
自分の守り本尊としていた
如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう・高さ5センチ程)を置いたところ
動かなくなったので、そこにお堂を建てたのが始まりと言われています。
※六角堂について詳しくは、六角堂(頂法寺) その2の記事をご覧ください。聖徳太子について詳しくは、聖徳太子ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。
続きまして2問目です。
【問題】
江戸初期、幕府の許可を得て、四条河原東側に櫓(やぐら)をあげた芝居小屋はいくつあったか。
ア.3
イ.5
ウ.7
エ.10
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.7
江戸初期には幕府公認の芝居小屋が
四条河原に7つあったと言われています。
※四条河原とは、四条通(京都を代表する道路)と鴨川(京都を代表する川)が交差する四条大橋付近の河原です。
しかし度重なる火災などの被害に遭い
明治まで残ったのは
『北座』と
『南座』になったそうです。
現在では
1893年、四条通が拡張される事になり
北座は閉鎖になりましたけれど
南座では歌舞伎などの公演が、今も行われているんですよ
※詳しくは、南座、まねき上げ 2012(南座)の記事をご覧ください。
では3問目です!
【問題】
神護寺(じんごじ)に伝わる( )(国宝)は、空海が密教の秘法を授けた人々の名前を記したもので、その中には最澄の名もある。
ア.久隔帖(きゅうかくじょう)
イ.白氏詩巻(はくししかん)
ウ.離洛帖(りらくじょう)
エ.灌頂暦名(かんじょうれきめい)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
エ.灌頂暦名
平安時代初期の僧である空海は
真言宗の祖と言われ
書道にも優れていたと言われています。
当時、嵯峨天皇や橘逸勢(たちばなのはやなり)と並び
三筆の1人として数えられています。
最澄は天台宗の祖として知られ
比叡山延暦寺を建てた事でも有名ですよね
※延暦寺について詳しくは、延暦寺(東塔)、延暦寺(西塔)、延暦寺(横川)の記事をご覧ください。
灌頂暦名は
812年11月、12月と
813年3月の3回に分けて記録された書です。
伝授した約190人の高僧たちの名前が書かれている書で
最澄の名は書き出しの1番最初に綴られているそうですよ。
覚え書きとして人目を意識せず書かれたので
空海の普段の字が見られる
とても貴重なものだと言われています
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません!
ズバリでお答え下さい。
【問題】
会津藩主( )は、文久2年(1862)に京都守護職に任命され、配下の新撰組とともに尊王攘夷運動を弾圧した。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
松平容保(まつだいらかたもり)
松平容保は幕末の大名で
第9代会津藩、藩主です。
※彼は、2013年の大河ドラマ『八重の桜』でも登場していますよね。
第14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)から
1862年、京都守護職に任命されると
家臣1000人を引き連れて
金戒光明寺に入ったと言われています
※金戒光明寺について詳しくは、金戒光明寺の記事をご覧ください。
京都守護職とは
京都の警備や治安を維持する為に組織され
幕末には維新志士と戦ったんですよ。
という事で本日も4問出題させていただきました!
みなさんは何問正解されましたか?
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