2010-06-28 | |
テーマ:お寺 |
関連:神護寺の紅葉 / |
神護寺
こんにちは、京子です
さて、本日はみなさん一度は本などで見た事がある
源頼朝の肖像画「源頼朝像」を所有するお寺
神護寺(じんごじ)を紹介したいと思います~
まず!先に言っておきますが・・・
この写真から見て分かるとおり
・・・斜面がすごいんです
京子のブログで取り上げた神社や、お寺の中で
一番の難路である事、間違いなし
今後、行かれる方がいらっしゃいましたら
( ´Д`)覚悟して見て回られる事を声を大にして言いたいです。
京都市北西にあります高雄山(たかおさん)の
中腹に位置する山岳寺院なので参道、境内含め
もう、ほぼ山登り!
ハイキングと言っていいと思います。
だけど、その分
景色はサイコーですのでここはぐっと堪えましょう
とにかく、最寄のバス停から
神護寺に向かうには石段につぐ石段を
登ったり・・・
降りたり・・・
そして、また登ったり・・・(笑)
神護寺、手前には高雄橋。下を流れるのは清滝川です。う~ん、のどかデス
そんな参道の道中で発見したのは硯石(すずりいし)
空海が墨を擦ったといわれています。
荒れる息を整えながら、
そこに見えてきたのは・・・
(もうここまでですでに歩き続けて20分ほど経過してます、汗)
伝説の大陸・・・
いえ、幻の大地・・
あ、それはドラクエ6・・
じゃないです!
そうです、神護寺が見えてきました~!
※ここで、もう一つみなさんに大事なお知らせ。「絶対に神護寺内を全部見て回って見てやるんだー!」と思ってらっしゃる方がいましたら(夏場は)お茶などの飲み物は必需品!!京子、さっそくここで失敗し、ほぼ手ぶら(カメラのみ)で神護寺に入って後悔しましたので飲み物確保は絶対に忘れずに~っ。
では、さっそく神護寺の楼門をくぐって
中に入ってみたいと思います。
こま札チェック
こちらの神護寺は
824年に和気清麻呂(わけのきよまろ)が創建。
その後、空海もここで仏教を教えたりしました。
一時、お寺は荒れ果てましたが
その後、源頼朝らの援助を受けて、寺の再興は進んだそうです。
そんなわけで、神護寺に入って見えて来たのは
和気清麻呂(わけのきよまろ)公霊廟
創建者、和気清麻呂の霊廟(れいびょう)です。
ちなみに、霊廟というのは霊を祀ってある建物の事なんですね~
ところで、この和気清麻呂って人はどんな人なのかと申しますと!
一言でいうと天皇家を守った英雄っ
彼にまつわる有名な事件というのがありまして時は称徳天皇(しょうとくてんのう)という女帝時代。彼女はお気に入りだった弓削道鏡(ゆげのどうきょう)というお坊さんをなんと、次の天皇にしようとして
「弓削道鏡を天皇にしろとお告げがあったのじゃ~!」と言いました。
もちろんそんなお告げがあったのなら大騒ぎですよねっ。この弓削道鏡はお坊さんでありながら太政大臣にまで大出世しちゃった人で、前代未聞っ。
その大出世の要因は称徳天皇にあるのです。
彼女は天皇に2回なっていて、元は孝謙天皇(こうけんてんのう)という名前でした。
孝謙天皇の時に彼女は病に倒れます。。。
そして、その病気から救ったのが、弓削道鏡だったのです!
その後、重祚(ちょうそ、再び天皇になる事)しました。
つまり彼女にとって、弓削道鏡は命の恩人だったんですね。
そんな事があったもんだから彼女は、次の天皇を弓削道鏡にしろと
言い出したのでしょう♪
それを
宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)
と言います。
宇佐八幡宮で神様のお告げがあったので宇佐八幡宮神託事件と言われています。
弓削道鏡を次の天皇にしたい称徳天皇は
和気広虫(わけのひろむし)に
「そのお告げは宇佐八幡宮からやってきたようじゃ。確認してまいれっ!」
と言います。
しかし、和気広虫は女性だった事もあり、弟の和気清麻呂に確認しに行かせるんです!
さて・・・どうなることやら。
続きは後半で!
神護寺を歩くと、むむむ!!
すごい上り坂だ・・・
またしても、石段が・・
京子、もうすでにここまで歩き続けているので
かなり膝が笑ってる状態・・・
しかーし!
そこに建物がある限り!突き進むべし
気合を入れて
急斜面の石段を登ると見えてきたのが
鐘楼(しょうろう)です。
国宝である、梵鐘(ぼんしょう)は残念ながら・・・非公開(泣)
ちなみに、平等院の梵鐘とこの神護寺の梵鐘。そして、三井寺(滋賀県大津市)の梵鐘の3つで、日本三名鐘と言われています
そして再び歩き続け、いよいよ見えて来たのが
金堂(こんどう)です
最初にお話しした、本日のお目当てでもある「源頼朝像」は
本来、神護寺の書院にて毎年5/1~5/5に行われる「虫払の行事」にだけ本物が公開されてるんです★
そして、期間外は「源頼朝像」の模写がこの金堂にて公開されてるのです~
とにかく、私、テンション上がってきました。
もう膝はガクガクですけど(笑)
近頃では、源頼朝像は本人じゃなくって足利直義(あしかがただよし)像であるー!なんていう新説まで登場しているみたいなんだけど京子は学校で、この人こそが源頼朝だと教わって来たのでイマイチ、そういう論争にはピンとこないんですよね~。
みなさんはどうですか
ま、とにかーく!!私の中の源頼朝が見れるならいいじゃないかという事で
拝見させて頂きまーす!
金堂の中にお邪魔しましたが、
この「源頼朝像」の他に、本尊である、薬師如来立像などもありましたが
案の定・・・撮影禁止!
残念です~。
京子が見た「源頼朝像」最初の感想は・・・・
ズバリ、おっきぃ!!!!!(汗)
なんとなく、絵だし小さいものなのかなって
思っていたのですが、
なんとサイズは縦1.4メートル、横1.1メートル
うーんかなりの迫力がありました。
頼朝の髭の1本1本まで・・・見事に確認する事ができました
源頼朝のほかに、平重盛(たいらのしげもり)像、藤原光能(ふじわらのみつよし)像も
神護寺は所有しており、どれも国宝!
神護寺三像と呼ばれています。
紅葉のシーズンもお奨めだそうなので、秋には再びチェックですね
そして、金堂のすぐ裏手には
多宝塔(たほうとう)
五大虚空菩薩坐像が安置されています。
そして、金堂を挟んで向こう側には
大師堂(たいしどう)
重要文化財であり、空海の住房です。
そのすぐお隣には
毘沙門堂(びしゃもんどう)
重要文化財である木造毘沙門天立像があります
さて先ほどの宇佐八幡宮神託事件ですが、和気清麻呂は、はるばる大分県まで行き宇佐八幡宮での神のお告げが本当かどうかを確認し称徳天皇に報告します。
ズバリ!和気清麻呂は彼女に言います。
「古来より、天皇というのは天皇家からしか出ていません。それは今後もそうです。」
その報告を受けた弓削道鏡、称徳天皇は激怒!!
和気清麻呂は流されてしまいます。
その流され方も尋常じゃありません。
なんと、和気清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)という名前に変えられて
流されています。(汗)
( ´Д`)かなりの怒り様デス!
さらに、お姉さんの和気広虫は狭虫(せまむし)と改名させられて流されます。。。
しかーーーし
その後、称徳天皇が崩御した事によって弓削道教は失脚し、
見事、和気清麻呂は政界に復帰し
天皇家を救った英雄として返り咲くんです!
カッコイイ、和気清麻呂!
京子だったら、ビビって、上司にペコペコしちゃって
なかなか「間違ってますよ!」っていえない。。
ノーと言えない日本人が私なら
和気清麻呂は
ノーと言える日本人のお手本のような人だったんですね
さて、ここ神護寺では
かわらけ投げもする事が出来ます♪
え??かわらけ投げ??
何それ??
っという方に!ご説明~
厄除けのひとつでもあり、高い場所から、酒杯や皿を投げ祈願します♪という事で、入り口でも「かわらけ投げ」用のお皿が売っていて、いつでもする事が出来るんです~。
そして、神護寺内に設けられた、かわらけ投げ会場へ京子も足を運びます
と、・・・文章では簡単に書きましたが
散々、先ほども出てきました石段につぐ石段でしたが
このかわらけ投げ会場へも過酷な傾斜が待っています
( ´Д`)しかも、お茶持ってきてない!
喉もカラカラですが、行くしかない~っ
という事で、またまた山の参道を歩く事10分!
見えてきました!
どーですか、この絶景!
高所恐怖症の私は足をすくませながらも・・・写真撮影にチャレンジしました!
ここから、「かわらけ投げ」用のお皿を投げて厄除け!
みなさん、是非体験してみてくださ~い。
さて、最後に
ノーと言える日本人、和気清麻呂のお墓に行くべく、またしても山道をすすむ、トレジャーハンティング京子。
もう汗で全身びっしょりです(笑)
ここまでで、すでに一時間をゆうに経過。
傾斜の多い道を歩き回り続けてますが
その勇敢な彼のお墓を一度拝んでおきたいと思い
けもの道をすすんでいきます。
ズシっ
ズシっ
滑落しそうな細い道や
水溜りで足の踏み場も無いような道
そして
今回はスズメバチは出ませんでしたが
なんと蛇が出てきたり!
雪山に住む怪物「ビッグフット」といつ出くわしてもおかしくない状況の中、歩く事15分。。
完全に息を切らして辿りついたその先に・・・・!
ありました(泣)
「和気清麻呂公墓所」
やったーーーーーーーーーー!
これを見つけた時の感動はハンパなかったですよ(泣)
今日から私は生まれ変わります!
( ´Д`)「ノーと言える日本人、京子誕生です」
これからもよろしくお願いします。
そんな神護寺の場所はコチラ↓
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