2012-02-17 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その37
こんにちは京子です!
さて、本日は京都検定過去問をお届けしたいと思います
回答に加え、解説も行っていますので
是非、京都検定の勉強にお役立てくださいませ♪
では早速1問目っ
【問題】
高台寺の霊屋には、豊臣秀吉と( )の木像が安置されている。
ア.淀殿
イ.鶴松
ウ.北政所
エ.秀頼
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.北政所(きたのまんどころ)
北政所は豊臣秀吉の正室(奥様)だった方です。
そんな北政所が秀吉の没後
菩提を弔うために建てたのが高台寺でした。
ちなみに北政所というのは名前ではなく
役職のようなもので摂政・関白の正室の称号です
北政所は「ねね(おね)」という名前でしたが
秀吉没後は尼さんになり「高台院」と名乗っていたんですね~
では、次の問題です~。
【問題】
慶応3年(1867)、材木商の酢屋に海援隊の屯所を設けるとともに自らの宿舎にしたのは誰か。
ア.桂小五郎
イ.坂本龍馬
ウ.西郷隆盛
エ.大隈重信
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.坂本龍馬
酢屋は京都土佐藩邸からも程近い場所にあります。
立地条件もばっちりの隠れ家と言えます
当時、龍馬は『酢屋』の2階の部屋に住んでいたそうで
お店人からは「才谷さん」と変名で呼ばれていたみたいですよ。
龍馬の命日である11月15日には
彼を偲んで、店先にはこのように祭壇が組まれています。
では、3問目にいってみましょう!!
【問題】
慶応4年(1868)正月の鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所に陣取った新撰組など幕府軍に対して薩摩軍が本陣とし、現在「明治維新 伏見の戦跡」の石標が建つのはどこか。
ア.城南宮
イ.御香宮神社
ウ.藤森神社
エ.安楽寿院
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
薩摩軍の本陣である御香宮神社から
南に約200メートル先には幕府軍である
『伏見奉行所(会津藩や新選組などが集結していた)』があったようで
当時、この辺りは
かなりの激戦区になったと言われているんですよ~
※御香宮神社に関しては御香宮神社 その2の記事をご覧下さい。
では、最後の問題です。
最後は1級になりますので選択問題ではありませんよ~。
ズバリお答え下さいね♪
では、いってみましょう!!
【問題】
千本閻魔堂とも呼ばれる寺院( )には、紫式部の墓と伝えられる石塔があり、重要文化財に指定されている。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
引接寺(いんじょうじ)
その名前の通り、堂内には
高さ2.4メートル、幅2.4メートルという
超ビッグサイズの閻魔大王様がいらっしゃいます
そして、こちらが紫式部の石塔(供養塔)です。
高さ6メートルと超ビッグなんですよ~。
※詳しくは千本ゑんま堂(引接寺)の記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました★
みなさんは何問正解されましたか?
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