メモ2010-05-25
テーマ:お寺
関連:高台寺の紅葉 / 高台寺七夕会(高台寺) / 

高台寺

今日はとっても暑い京都ですが

そろそろ

今年のそうめん開きはいつにしようかな?

そんな事を考え中の京子です


さて、本日は豊臣秀吉の正室(奥様)、北政所(きたのまんどころ)であったねねが秀吉の没後、その菩提を弔うために建てたお寺


高台寺のお庭

高台寺(こうだいじ)です

とにかく高台寺は広いんです

京子も全て回り終わった頃には喉がカラカラ(汗)

では、しばしお付き合いくださいませーっ


高台寺の正門

まずは高台寺、正門です。


よーし張り切ってくぐるぞー

と、思ったのですが・・・


あれ・・・

柵??


( ´Д`)そうです、立ち入り禁止(汗)

いえ、立ち入り禁止というより

潜り抜け禁止ですね。


劣化が激しい為でしょうか、うーん残念

高台寺の石碑

正門側に立てられている石碑。高臺寺と、こちらは旧漢字で書かれています。


さぁ、気を取り直して中へ入っていきます


この豊臣秀吉の正室、北政所であったねねですが

北政所というのは名前ではなく、役職のようなもので

摂政・関白の正室の称号です。


つまり、旦那さんが摂政や関白であれば

奥さんは北政所(きたまんどころ)

関白の母親は大政所(おおまんどころ)

という風に呼ばれていました


ねねは秀吉没後、尼さんになり「高台院」と名乗っていました。


高台寺のこま札

こま札チェック!ねねは秀吉没後、ここを建て1605年~1624年、没するまで住んでいました。


高台寺の方丈

まずは高台寺メインホールである、方丈へ

中から素晴らしい庭園を見る事が出来ます。この独創的な庭園ですがデザインは年に2回ほど変わるそうですので来る度、楽しみになりそうです


高台寺の庫裏(くり)

そして、方丈の隣にはお寺ではよく見かける庫裏(くり)があります。

庫裏とは僧侶の居住であり、食事を用意したりする為の場所だそうです


高台寺の遺芳庵(いほうあん)

そのまま奥に進むと、次に見えてくるのが遺芳庵(いほうあん)

茶席ですね。織田信長、豊臣秀吉といえば千利休。茶室、お茶会のイメージがありますが、ここにも茶室があるとは


さて、お話は少し変わって

秀吉とねねは恋愛結婚だったそうです

つまりラブラブ


いえ、LOVE×2!!!

だったかどうかは分かりませんが

当時、秀吉は身分も低く、ねねの両親も秀吉との結婚に反対だったようですが強く結ばれた2人その意思は固かったようです。

ですが

そんなラブラブの2人でしたが

子供には恵まれなかったようで


一時は秀吉にも責められ、結果的に秀吉の側室の淀殿(よどどの)が、息子の秀頼(ひでより)を産み一時期、ねねはかなり肩身の狭い思いをしていたのだと想像されます・・・(泣)


さて茶席を後に見えてくるのはいよいよ

そうです!


高台寺の臥龍廊(がりょうろう)

臥龍廊(がりょうろう)

龍の背中に似ている事からこの名前がつけられたそうですが

ここを渡って霊屋(おたまや)に行く事が出来ます。


高台寺の臥龍廊の中はこんな感じ

中はこんな感じになっています。


ですが、この臥龍廊、正門と同じく


( ´Д`)立ち入り禁止(泣)


うん・・・だってもう底が抜けそうだもん・・・(汗)

という事で迂回して霊屋に向かいました。


※臥龍廊の目の前には臥龍池があり紅葉ライトアップの期間に行くと、池にうつる紅葉がとっても素晴らしいそうです


そして、いよいよ

ドキドキ・・・


高台寺の豊臣秀吉と、ねねが眠る霊屋

こちらが豊臣秀吉と、ねねが眠る霊屋!


ですが


残念ながら


( ´Д`)今度は…撮影禁止(泣)

だったので、皆様にはお見せできませんが


中に入ると、薄暗い光の中、10メートル程先に、右手に豊臣秀吉像、左手にねね像が静かに祀られており、須弥壇や厨子には華麗な高台時蒔絵が施されていました。


そして、その先には


利休の意匠による茶席であり伏見城から移建した2つの建物。


高台寺の傘亭(かさてい)

傘亭(かさてい)

中の写真がありませんが、室内から天井を見ると屋根が放射線状に組まれ傘を広げたように見えるところからこの名前が付いたそうです。


そして、奥に見えるのが

高台寺の時雨亭(しぐれてい)

時雨亭(しぐれてい)

階段を登ったちょうど2階部分が茶室になっており

視界の高さが特徴的な建物です。


ここからねねが眺めたとされるのが

大阪城の炎上

といわれています。

豊国神社の時にちょうどその大阪冬の陣のきっかけになった

出来事を取り上げましたが(方広寺の鐘銘)


豊臣家が滅亡した、大阪夏の陣。

江戸幕府が滅ぼしたことにより、同年7月に元号を元和と改め世の中は平和になった事を指し元和偃武(げんなえんぶ)といいます。偃武とは武器を偃(ふ)せるという事です。


徳川軍によって火が放たれ燃え盛る大阪城に残された秀吉の息子である秀頼と、それを産んだ、淀殿。

秀吉の奥様であるねねは

いったいどんな気持ちで眺めていたのでしょうか・・・


そんな高台寺の場所はコチラ↓

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 市バス 202・206・207系統 東山安井(ひがしやまやすい)


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