2011-01-20 | |
テーマ:神社 |
下鴨神社 その2
こんにちは京子です
さて、本日は
上賀茂神社と共に、賀茂氏の氏神を祀る神社として君臨し
世界遺産としても大変有名な・・・
下鴨神社(しもがもじんじゃ)です
ちなみに
賀茂神社は京都三大祭で有名な「葵祭」を行っている神社としても有名ですよね♪
京子ブログでも以前、下鴨神社に関してご紹介させて頂きましたけれど今回はより深く!よりじっくり!レポートさせて頂きたいと思います。
まず、はじめに。
こちら下鴨神社というのは通称でして
正式名称を・・・
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と言います
そして、祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)
そのお父さんである、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)になります。
ちなみに玉依姫命の子供には日本の初代天皇の「神武天皇(じんむてんのう)」と上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)がいます!
さて、この下鴨神社と切っても切り離せない関係なのが
糺の森(ただすのもり)ですよね~
国の史跡にも指定されています糺の森は
ちょうど、賀茂川と高野川が合流する三角州部分にあります♪
ちなみに、この2本が合流し
鴨川へとなりますよ~っ。
こちらの下鴨神社のこま札にも「糺の森」に関しての説明が
ありますけれど
この森の広さは
な、な、なーんと
(・∀・)ノ東京ドームの約3倍っ!!!
※12万4千平方メートルになります。
・・・むちゃくちゃ広いワケなんです(汗)
その中に、下鴨神社はもちろん、先日ご紹介しました相生社(あいおいのやしろ)や、河合神社(かわいじんじゃ)があるんですね~っ。
しかし、以前は(平安京がおかれた時代には)
現在の40倍以上もの広さがあったようなんですけど
応仁の乱などで、焼失したりと
・・・どんどん小さくなってしまったという事です。
糺の森は、太陽の光が多く差し込み
森と言っても、うっそうと木が多い茂っているだけでなく
道も綺麗に整備されていて、森の中を流れる小川もあり
明るさと、開放感を兼ね備えているので
人通りも大変多く、地元の皆さんのお散歩コースや、憩いの場になったりしているんですよね~。
では、下鴨神社をご紹介する前に
糺の森の見所を幾つかチェックしてみたいと思います
「烏の縄手(からすのなわて)」と呼ばれる小道。
「烏」とは、日本神話に出てくる三本足の八咫烏(やたがらす)の事で神武天皇を助け勝利に導くシンボルとして描かれている生き物の事で「縄手」というのは細くて長い道の事をそう呼びます。
かつて、この森の中には
このように細く曲がりくねった道が何本もあり
そのような道を「烏の縄手」と呼んでいたんですね~
ちなみに、この横を流れる「泉川(いずみがわ)」には秘密があるんですね
それが
下鴨神社の「京の七不思議」のひとつとされている
「泉川の浮き石」です。
昔、糺の森にあった「こがらし社」で雨乞祈願が叶うと
泉川の小石が飛び跳ねるという不思議な事があったそうで
七不思議のひとつとして今も受け継がれています
そして、参道を挟んで西に同じく流れる川が
「瀬見の小川(せみのおがわ)」です!
下鴨神社の祭神である賀茂建角身命が名付けた小川と伝えられ
あの、三大随筆の一つである「方丈記」を書いた
鴨長明(かものちょうめい)が
「石川やせみのを川の清ければ月も流れを尋ねて澄む」
と詠んだ小川。これは新古今和歌集に収められていますよ~。
他にも、見所は糺の森には沢山ありまして
次はこちらっ
「第一蹴の地」と書かれた石碑です
一蹴
さて、何を蹴ったのかと言いますと・・・
(・∀・)ノラグビーボールなんですね
この石碑の裏には
「明治43年9月、三高生徒が、この地ではじめてラグビー球を蹴る。
こうして三高蹴球部が生まれ、日本ラグビー界の輝かしい歴史がはじまった。」
という内容が刻まれているのです~っ
※ちなみに、この翌年、三高と慶応による、日本人同士の最初のラグビー試合が行われました。
さてさて
そんな、糺の森(ただすのもり)の名前の由来なんですけど
「偽りを糺す」という事を指すという説や
2本の川が交わる三角洲を「只洲(ただす)」と呼ぶという説
室町時代の書物に「浮島の里、直澄(ただす)」と記され、それが変化したという説など
諸説が沢山あるとの事です。
本当はどれなんでしょうかね~??
その糺の森の長い参道を歩くと
やっと見えてきました~
本日、ご紹介する神社・・・
下鴨神社の「大鳥居」です
その大鳥居の手前には
国歌である「君が代」の中にも出てくる
「さざれ石」がありました。
さざれ石とは、小さな石という意味なんですけど
細かい石が固まり出来た石の事で
「君が代」の中で
「君が代は 千代に八千代に
さざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで~」
細かい石が集まり大きな岩となって苔も生えるまで・・・
という内容で歌われていて
こういった形になるまでに何万年とかかるそうですよ
そして、大鳥居をくぐり先へ歩くと
冒頭にアップしました
朱塗りがとっても鮮やかな楼門へたどり着くんですね~
ふぅやっとここまで来ましたけれど
まだ、下鴨神社の中はまだ何もご紹介できていません(汗)
では、気合を入れて引き続きいってみましょう~
楼門のすぐそばにまず置いてあったのが
「叉蔵の桔木(あぜくらのはねぎ)の墨書」
1991年に発見されたという墨書です。
桔木とは屋根裏に取り付ける木材のようで
その材料に墨書が書かれていたんですね。
なんて書いてあったと言いますと・・・
五年四月二十八日
神与兵衛
神とは神工(宮大工のようなものですね)
与兵衛は名前という事です
楼門を中心に左右にこのように塀が伸びています。
ちなみに、この楼門をくぐらずに
ぐるっと左手に周ると駐車場があるんですけど
そこに、どどんと見えるのが
下鴨神社の末社である
「祓社(はらいしゃ)」です
この祓社は、一味変わっているんですけど
何がどう変わってるのかと言うと・・・
ヒントは下鴨神社の駐車場がすぐ隣にあるっていう事です
そうなんです。
(・∀・)ノ車のお祓いが出来る!
祓社の前には広めのスペースがとってあるの分かりますか
社のまん前まで車を移動させて
お祓いしてもらう事が出来るんです、ちょっと変わってますね~
っと、どんどん紹介していっていますが
なんだか、膨大な量になりそうなので本日はここまでっ
続きはまた明日、ご紹介したいと思います!!!
そんな下鴨神社の場所はコチラ↓
大きな地図で見る最寄の交通案内
市バス 1・4・205系統 下鴨神社前(しもがもじんじゃまえ)
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