2010-09-08 | |
テーマ:お寺 |
地蔵院(竹の寺)
こんにちは、京子です。
さて本日は
あの!
ポク
ポク
ポク
(・∀・)ノチーン!
で、おなじみの
一休さんが
幼少の頃を過ごしたと言われるお寺・・
地蔵院(じぞういん)通称「竹の寺」です。
あれ?地蔵院って前も紹介しなかった??と
思われている方~っ。
そうなんです。
前回は通称「椿寺」で知られる地蔵院で
今回は、通称「竹の寺」で知られる地蔵院なのです
こちらの地蔵院がある場所は、京都洛西ですぐ側には鈴虫寺もあり他には松尾大社なども近くなので合わせて行かれてもいいかなと思います~
では、いざ中へレッツゴーっ。
それにしても、通称竹の寺と、言われるだけあって・・・
( ´Д`)すさまじい程の竹林が地蔵院、全体を包んでおります!!
どーでしょう、この見事なまでの
竹!
竹!
竹!
これだけ見ると
すごく山の中にあるのと想像されがちですが
歩道からはすぐなのでご安心を
こちらの地蔵院は
室町幕府の管領でもあった細川頼之(ほそかわよりゆき)によって
作られました。
この人は南北朝時代から室町時代にかけての武将、政治家で
足利氏の一門である細川氏であり、南朝方と戦った人であります。
官僚になってからは室町幕府3代将軍、足利義満の幼少期を補佐していたり南朝との和睦も行っていた人なんですね
そんな細川頼之のお墓もばっちり境内にはありました~
今でも絶えず、素敵なお花が添えられていて
大事にされているんだなぁと思いました
さて文頭でもお伝えした通り、このお寺は
一休さんこと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が幼少の頃を過ごした
お寺として有名なんですね。
ところで、
あのテレビの影響が強すぎる一休さん。
じつはお父さんが後小松天皇と言われていて
つまり、天皇の血を引く超エリートだったんですね
そして普通のお坊さんとはかけ離れた
独自の価値観の持ち主だったようでもあります。
一休宗純は室町時代の僧侶であり
大徳寺が輩出した名僧です
この、大徳寺という名前は京都に住んでらっしゃる人でなくとも少しは耳にした事があるのではないでしょうか?
この大徳寺は臨済宗のお寺で
臨済宗といえば・・・
日本では、栄西によって鎌倉時代に伝えられた仏教の宗派のひとつであり
武家政権の中で
どんどん大きく広がっていた宗派だったんですね
こちらは明治になり作られた・・・
細川頼之公碑です。
さて、どんどん広がっていくと、つまり・・・
臨済宗のお寺が乱立していきます。
で、やっぱりこの時代も現代と同じく
類似したものが多くなると、基準や、順位をつけちゃうんですよね。
臨済宗の主な5つの寺院を選んだ「五山」の寺格を制定。
(五山制度といいます)
ちなみに京都五山といわれるものがコチラ↓
別格:南禅寺
1位:天龍寺
2位:相国寺
3位:建仁寺
4位:東福寺
5位:万寿寺
※京都にある「臨済宗のお寺」の寺格なのです
以後、室町時代には、その寺格も4つに大きくわかれ
五山・十刹(じっせつ)・諸山(しょざん)・林下(りんか)とクラスが与えられました。
じゃぁ、一休宗純の大徳寺はどこにあたるの?といわれると
なななーんと、
( ´Д`)林下クラス(泣)
そうなんです。この京都五山を中心とした寺格は
室町幕府においては
あくまで足利氏の政治、政略的な格付けだったんですね。
後醍醐天皇と関係の深い大徳寺は
足利氏からちょっぴりイジワルを受けちゃってたんですね。
その時すでに、京都十刹の中でも下の方だったそうで
大徳寺としては
「もういいやーーーー!そんな寺格なんていらないやい!」
という事で、独自の宗教活動を展開した結果・・・
一番下のランクである林下に
位置付けられてしまいました
こちらは地蔵院の本堂になります。
本堂の中には本尊の延命・安産の地蔵菩薩が安置されています。
その大徳寺の僧侶であった一休宗純。
アニメでは一休さんはとんちの利いた人っていう印象ですよね。
ちなみに、【とんち】とは?
漢字で書くと頓智または頓知
その場に応じて即座に出てくる知恵などを指す。
そうなんです、つまり
無茶なフリ方をされて!!!!!!
それを即座に見事に答える!!!!!!
・・・これが「とんち」だといえますよね
それなのに、一休宗純は僧として奇行とも言える事を
自ら行っています
(・∀・)ノお正月、墓場に行って髑髏(ドクロ)を持って京都の町を、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。
※一休に言わせると、目が出てしまって穴だけ残っているのを「目出たい」と言うそうで、元旦が来る度に死が近づき寿命が短くなっているのを忘れぬようにという意味だそうです。
(・∀・)ノ男色家であり、その他にも女犯をし、挙句「飲酒」に「肉食」家であった。
※徳を積む事なんて、一休さん、には絶対無理だよ・・・(汗)
うーむ、ぜんぜんとんちとかじゃない(汗)
逆に・・・・
( ´Д`)「あー、こんな一休さんみたいな、むちゃくちゃな人でも極楽浄土に行けるのかぁ。」
と、周りの人たちは思ったのかもしれませんね。(笑)
こちらは、開福稲荷大明神です。
他にも、
一休宗純が大阪の堺の町に行った時
粗末な服に刀を差して歩いてたんです。
・・・それだけで、もうすでに破天荒なお坊さんですけど(汗)
町の人「なんや、その刀は?坊さんやろあんた?」
と言われると
一休「この刀は私と同じだ」
と言って
その刀を抜き取ると
なんと、真剣ではなく、木刀だったんです。
一休「中身はホレこの通り、何の役にもたたぬ木刀よ。
飾っておくしか使い道はござらん
寺に入っていれば偉い坊さんでも
その正体はこの木刀と同じである。
人をも殺せぬ木刀よ。」
と、言い放ったそうです
これらを聞くと
むしろ無茶なフリ方をしてるのは・・・
( ´Д`)一休さんの方じゃないですか!?
とても空気が綺麗で、境内は涼しく過ごしやすかったですよ。
ちなみに、一休という名前は
「人生は(煩悩溢れる)この世から、来世までのほんの一休みの出来事。雨が降ろうが風が吹こうが大したことない。」という意味で
「一休」とはやはり文字通り
「ひと休み」「ひと休み」のことだったんですね~。
そんな天皇の実子である
一休宗純が幼少を過ごした地蔵院の場所はコチラ↓
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