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時代祭 2010(後編)
いよいよこちらで最後となりますっ
時代祭(後編)です~。
時代は、南北朝時代へとかわっていきます
パンフレットには吉野時代と記載されていました。
さてさて
南北朝と言えばもちろんこのお方・・・
楠木正成ですよね~
楠木正成(くすのきまさしげ)
後醍醐天皇の勅使を受け、足利氏討伐に向かった楠木正成。勝てない戦でも立ち向かう「七生報国」(七度、人と生まれて逆賊を破る)という言葉は尊王派の長州藩の合言葉にもなりました。
この時代祭りでは
楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え先駆して上洛したときの様子を現したものなんだそうです
楠正成の家紋です。天皇家より授けられた菊花紋を畏れ敬って、下半分を水流で隠すという尊皇と謙虚さの表れだと言われる菊水紋。
更に大原女、桂女、そして淀君や静御前といった女性達の行列が続きます
大原女(おおはらめ)
大原女は墨や薪を売りにくる女性の行商で、大原というのは京都市北部の地名のひとつです。
桂女(かつらめ)
桂女は鮎や飴を都に売りにくる女性の行商で、桂も京都市西部の地名のひとつです。
淀君(よどぎみ)
秀吉の側室である淀君は、秀吉の息子である「秀頼」を産んだ女性。大阪夏の陣で息子、秀頼と共に自害したと言われています。
静御前(しずかごせん)
源義経の愛妾である静御前。2人の出会いは神泉苑の橋の上。義経はそこで舞い踊る静御前と出会ったそうです
そして、時代は鎌倉時代へと突入!!
鎌倉時代は、北条義時追悼の挙兵準備をした一場面を表現しているんですよ
鎌倉時代の流鏑馬「射手武士」ですね。流鏑馬は平安朝以来行われた騎射の技であり、武者の間で盛んに行われていたそうですね。
コチラも同じく、「射手武士」の方です。
つまり・・・
承久の乱に出掛けて行く様を表しているんですね
続いて時代絵巻も終盤に向かってきました。
平安時代に突入です
パンフレットによると藤原時代に分類されている行列が歩いてきます。
藤原時代に突入すると、藤原氏の最盛期の文武両様の姿を表した一団が登場。蛮絵と呼ばれる刺繍が施されています。
殿上人(てんじょうびと)は天皇の日常生活の場である清涼殿南廂へ昇ることを許された者の事です。ちなみにこの時代の武士は朝廷から見ると番犬扱いで、同じ高さにいる事はありませんでした。
続いて女性・・・
平安時代を彩った女性達が続きます
こちらは、この行列の中で「唯一」女性なのに
鎧を着ている巴御前です。
巴御前(ともえごぜん)
木曾義仲の側室であり、敵からは「こやつは女じゃない。鬼神よりも勝る!」と言わしめた、一騎当千の女武者。
こうしてみるとやはり
女性でも勇ましく思います。
ここから、
小野小町や、清少納言、紫式部といった人たちが続いていきます
小野小町(おののこまち)
女流歌人であり、三十六歌仙の一人です。人受けの良い美人や、気立ての良い女性を「小町娘」や「○○小町」と言いますけれどこの「小町」という言葉は彼女からとられました。「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」は百人一首に収められている有名な彼女の詩ですね。
こちらの清少納言はあまりにも有名な枕草子の作者。清少納言と、同時代の「源氏物語」の作者である紫式部とはライバル関係であったと言われています。この後ろにその紫式部もいましたよ♪
白川女(しらかわめ)
花を摘み京の都に売り歩く行商を行っていた白川女とは、山城国の愛宕(あたご)郡に属していた白川の地の北側に位置していた北白川という地名です。
そして、時代祭りは終盤っ
桓武天皇の時代に入っていきます!
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
蝦夷(エゾ)を征圧・征服するための役職だった征夷大将軍を授かった坂上田村麻呂。清水寺には彼が男の約束を果たせず・・阿弖流爲の命を守れなかった事を悔いて碑を建てました。
こちらの三位は全行列中最高位と位置づけられ、平安神宮に還り着いた時、全員を代表して大極殿で祭文を奏上します。
神行列の鳳輦(ほうれん)。これは2つあり、それぞれ孝明天皇、桓武天皇の神霊を乗せています。
桓武天皇の平安遷都の際に列の警護にあたった弓箭組列(きゅうせんぐみれつ)
という事で
桓武天皇の頃にまで
時代は遡った所で・・・
無事に終了~っ
この後、パレードは御苑の正門である堺町御門を出て
市内を迂回しつつ、平安神宮へと目指します
という事で、京子は御苑にて時代祭の様々な志士や、武将、そして貴族にいたるまで無事に送り出す事が出来ましたっ!!
読んで頂いた皆さんもありがとうございました
平安神宮↓
大きな地図で見る御苑↓
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時代祭 2010(中編)
さて、御苑に到着しました!
普段なら、一般人なので(涙)
2,3時間程前からスタンばってたりしている京子ちゃんですが!
この日は、秘密兵器を用意しちゃいました
「チケット!」
あぁ、眩しい(: ;
眩し過ぎます(T_T
いざ出陣
目指すは、建礼門前
では何故、建礼門前(けいれいもんまえ)からなのか
それは、以前もご紹介した通り天皇さまだけが通ることが出来る門。皇后様も天皇陛下が同伴じゃないと通れないという御所を代表する門であり、正門でもあります。
なので、そこからお祭りがスタートするのは必然ですよね☆
30分前に堺町御門方面から入っていこうとしたら、、
御門前は流石!!
というくらい人で一杯でした
椅子に座って準備をしていると、
「もう少しで時代祭りの始まりですよ~。」
「今日の京都は、最高の祭り日和の天気になりました。」
っと言うアナウンスが
о(ж>▽<)y ☆
ではではお待たせしました☆
そんな最高の祭り日和になった時代祭りを見ていきましょうね
いよいよスタートしますよ~ドキドキ。名誉奉行というのがこれから始まります♪
まずは、京都市会議長・副議長が登場っ
そしてお待たせしましたっ!いよいよ時代祭りの始まり始まり~っ。
パチパチパチ~
先頭は明治維新時代から始まるようです♪
官軍である「山国隊(やまぐにたい)」の小太鼓です。山国隊は農兵隊だったそうですよ、
坂本龍馬(さかもとりょうま)
薩長同盟の立役者で幕末一の人気者で今年の大河ドラマにもなりました。「組合せ角に桔梗」の家紋でわかりますよね♪なかなかの拘りです!
維新勤王隊列のイケメン青年集団に近くの席に座っていた女の子がキャーと黄色い声をあげています。
維新志士である桂小五郎や坂本龍馬、といった幕末を代表するモテ男たちが場を盛り上げました
続いて、江戸時代に入っていきます
江戸時代には
朝廷の儀式や将軍の名代として親藩・譜代大名を城使して上洛させていました。
この時代祭りではその、上洛を再現しているようですよ。
この江戸時代の行列が、時代祭りの中では最大の行列人数になっているんですってーっ
残念ながら、全てをここでお見せすることはできないんですけれど
少しだけお見せしちゃいますね
「挟箱」と呼ばれる箱を舞いながら進んでいます
こちらは、具足櫃(ぐそくびつ)と呼ばれる甲冑こと、鎧を納める蓋つきの箱です
他にも籠だったり、槍を持っている人が沢山いました。
また機会があればご紹介させて頂きますね
江戸時代は数々の美しい女性も活躍された時代でしたよね。
こちらは和宮さまです。
和宮(かずのみや)
皇族であり婚約者がいたにも関わらず、公武合体の政策の一環として、江戸幕府第14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)の正室へと降嫁した皇女。家茂は若くして亡くなりますが、生涯、徳川家を貫きました。
十二単姿で、孝明天皇の妹君としても大変有名ですよね。
写真はありませんが、他にも芸子として有名な吉野太夫や女歌舞伎で有名な出雲阿国も参列してました。
こうしてみると、歴史の影に女あり!!
ですよね(笑
彼女達にはそれぞれのエピソードがありこの時代絵巻にはなくてはならない存在です
続きまして、安土桃山時代に入ります。
安土桃山時代と言えばなんといっても
三人の「天下人」が思い出されます☆
この時代祭りには、
徳川家康は江戸に住んでいたので行列には含まれていませ~ん
でもでも
織田信長と羽場秀吉はこの時代祭りを彩るいわゆる人気キャラですよね
まずは「羽柴」秀吉
羽柴秀吉(はしばひでよし)
後の豊臣秀吉。本能寺の変で謀反を起こした明智光秀を討つ為に「中国大返し」によって備中から信じられない速さで舞い戻り光秀を追い詰めます。
次に牛車
オレンジ色の服の子供は牛童と言います。
この牛車は擯榔毛唐庇車(びんおるげからひさしぐるま)と呼ばれる
最高級の牛車なんですってーっ
うひょ~
続いては
秀吉の生みの親とも言える
織田信長です
織田信長
自ら第六天魔王と名乗った信長。無神論者であり「比叡山延暦寺の焼き討ち」などを行います。また当時としては画期的な楽市楽座や、関所撤廃という手法で戦国大名に不可欠な人・物・金をたったこの2つの政策だけで実現します。
織田信長の姿は戦国武将の心意気を示す派手な兜飾りや、馬印がとても印象的でした
他にも写真はないけれど、
織田軍団がいました
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀
といった四天王と言われる人たちがいましたよ
こちらは足利将軍となってます♪
足利将軍
室町幕府時代の将軍家であり、本姓は源氏。初代将軍、足利尊氏(あしかがたかうじ)から15代将軍、足利義昭(あしかがよしあき)まで続きました。
足利何代の将軍かは残念ながらわからなかったのですが
足利将軍とパンフレットには記載されていましたよん。
続いては細川氏
細川氏
足利氏一門の有力守護である細川氏は三管領(さんかんれい)の家のひとつです。管領とは分かりやすくいうと将軍補佐のポストですね。細川勝元は応仁の乱で戦った事でも有名ですよね。
という事で、パレードの途中ですけれど
続きはいよいよ
時代祭(後編)でお楽しみ下さいっ
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時代祭 2010(前編)
こんにちは京子です~っ。
さて、今日は・・・
するどい方ならココでもう
ピーンと
きちゃうかもしれませんけれど
10月22日、本日行われた祭りで
京都三大祭のひとつであるっ
時代祭(じだいまつり)に行ってきました~っ
という事で
京子がこのブログを始めてやっと、この三大祭をコンプリート出来ましたっ!
では、今日も気合を入れてレポートしたいと思います
さて、まずここで時代祭についてご説明させて頂きますと
そして、この時代祭を一言でいうと・・・
平安京へと遷都された794年から明治維新までの時代を振り返り、それぞれの時代装束に身を包んだ2000人の大パレードですっ
もちろん、パレードの中には
坂本龍馬や!織田信長や!小野小町!などがいるわけなのです♪
これを聞いただけでも好奇心が騒ぎだしませんか~っ?
では、何の目的があってパレードをしているのでしょう?
それは平安神宮の主祭神である「桓武天皇」と「孝明天皇」の御霊を
天皇の住まいである御所から街の繁栄をご覧頂きながら
行列のお供を従えて平安神宮へご案内する
というお祭りなのです。
ですのでパレードは京都御苑を出発し、4.5kmの道のりを歩き平安神宮へ到着するのです。
794年に桓武天皇が京の都に入られた10月22日に合わせて行列がパレードを毎年しています。
※ちなみに、時代祭はこの10月22日だけでは無くて祭り自体は10月15日の参役宣状祭という、行列の役柄任命に始まり、23日の後日祭までの期間行われます。
平安京に遷都した「桓武天皇」
そして平安京、最後の天皇「孝明天皇」
つまり、京都に都が遷都されてからの歴史を振り返る行列なのですね。
ですので、葵祭や祇園祭に比べて比較的新しいお祭りであり、1895年(平安遷都1100年を記念して)始まりました。
ではさっそく、そのパレードが始まる京都御苑へと!!!
っとその前にっ。
朝の8時から平安神宮にて神幸祭が行われると聞いて
まずはそちらへと行ってみました♪
行ってみると・・・・
普段は掲げられていない旗には四神獣が描かれています、「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」は京都の東西南北を守る四神なんですよね。
肝心の神幸祭が見れない
どうやら平安神宮の大極殿で行われているようです~
( ´Д`)しばらく立ち尽くす京子
そして、待つこと数分っ!
神官の方々が出てきましたっ。
そしてまず御苑から始まるパレードの前に
この平安神宮から桓武天皇・孝明天皇の神霊を乗せた
「神幸列」が御苑へと向かうんですね。
神幸列の前陣として歩く、迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。奥に見えるのは胡蝶です。
こちらも
メインパレードほどの人数ではないですが
それでも大行列っ。
京子も、桓武天皇と孝明天皇の神霊と共に御苑へ向かう事にしました~っ!
それでは引き続きっ
時代祭(中編)をご覧下さいっ
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