今回ご紹介するのは
小野小町(おののこまち)ゆかりの地巡りです!
小野小町は
平安時代の天才歌人であり
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の1人という
凄い肩書きの持ち主です
容姿端麗で宮中一とも言われていたそうで
今でも美人の代名詞といっても
過言ではありませんよね
人受けの良い美人や
気立ての良い女性の事を『小町娘』や
『○○小町』と言いますけれど
この小町という言葉は
彼女にちなんだものですよね。
恋多き女性だった事もあってか
情熱的な恋愛の歌が得意なんですよ
彼女の有名な和歌に
『花の色は 移りにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせし間に』
というのがあります
現代風に訳しますと
『長雨によって桜の色は移ろい
色褪せてしまったようね。
私自身も物思いにふけっている間に
美しかった頃を過ぎてしまったわ・・・。』
と、女性の心情をつづったものです
この和歌が作られたのは平安時代ですから
1000年も前に作られた和歌が
現代の人の心を打つというんですから
大変に優れた和歌である事がわかります
さて、そんな小町なんですけれど
小町と言えば深草少将
(ふかくさのしょうしょう)の
『百夜通い(ももやがよい)』の
恋のお話を思い出す方も
いるのではないでしょうか
小町に求愛した少将は、小町から
『百夜、通い続けたら
一緒になってあげますわよ!』
と言われ、毎晩、山を越えて小町の元へ
片道5キロの道程を歩いたといわれています
ちなみに『深草少将』という名前は
伏見の地名である『深草』と
彼の官位であった『少将』を
組み合わせたもので
『深草に住んでいる少将の人』
という意味です
一説では、少将は
桓武天皇(かんむてんのう:第50代天皇)の子供である
良峰宗貞(よしみねのむねさだ) だと言われているんですね。
さて、小町と約束した少将だったんですけれど
最後の100日目の夜は
大変な雪の日だったようで山越えをしている間に
なんと!凍死しちゃうんですね・・・
結局、小町とは結ばれることなく
物語は終わってしまいます
※深草少将については欣浄寺の記事をご覧下さい。
隨心院・はねず踊り
また、もう1つストーリーがあって
それは隨心院(ずいしんいん)に伝わるものなんですけれど
隨心院で毎年行われる『はねず踊り』では
大雪を理由に代役を立てた事がバレてしまい
フラれてしまうというエピソードとなっています。
※はねず踊りについて詳しくは、はねず踊り 2013(隨心院)をご覧下さい。
いずれにしても少将の恋は成就しないという
悲しい結末になっているのが特徴ですね
今回は、その小町ゆかりの地と
彼女の伝承が残る京都の場所を
一挙ご紹介したいと思います
ではさっそくご紹介していきましょう
場所:京都市下京区西洞院通四条南東
小野小町の化粧水の石碑のある場所は
かつて小町が使っていたとされる別荘があった所で
その別荘にある井戸の水を小町が利用したことにより
化粧水という名前が付けられたそうなんですよ
■欣浄寺(ごんじょうじ)
場所:京都市伏見区西桝屋町1038
欣浄寺は1230年(寛喜2年)
道元(どうげん)というお坊さんが
この地で布教に努め、創建されました
そんな欣浄寺のある場所は
少将の屋敷があった場所といわれているんですね♪
境内には『深草少将立像』がある他
小野小町塚や深草少将塚
また、少将が使っていたといわれる
『姿見の池』があったりします
■隨心院(ずいしんいん)
場所:京都市山科区小野御霊町35
隨心院は、真言宗善通寺派のお寺で
古くからこの辺りは小野氏の一族の勢力地で
隨心院のある場所も
小町の邸宅跡といわれているんですね
小町が深草少将百夜通いの際
糸に通して日数を数えたと伝わる
榧(かや)の実が庫裏(くり)にあります
また、境内には小野小町化粧井戸
(おののこまちけしょういど)や
小町がもらったとされる数々のラブレターが
埋められたと伝わる小町文塚があるんですね
■退耕庵(たいこうあん)
場所:京都市東山区本町15丁目793
退耕庵は1346年(貞和2年)に
東福寺(とうふくじ)の43世である
性海霊見(せいかいれいけん)によって
創建されたと伝わっています
そんな退耕庵にある地蔵堂には
小町ゆかりの玉章地蔵
(たまづさじぞう:または、ふみはり地蔵)が
安置されているんですね
小町の作と伝わるこの地蔵尊は
高さが2メートル以上もある大きなもので
小町が愛執(あいしゅう)の罪を減らす為
地蔵尊のお腹の中に
それまで小町がもらった数々のラブレターが
納められているといわれています
ちなみにお地蔵さんの名前である
玉章とは『手紙』という意味なんだそうですよ♪
■補陀洛寺(ふだらくじ)
場所:京都市左京区静市市原町1140
補陀洛寺は、小町寺とも呼ばれ
この辺りはかつて小野氏の領地で
市原野と呼ばれていたそうです
小町は晩年、父親が住んでいた
この市原野に移住した事から
小町の終焉の地として知られているんですよ
小町はここで
『吾死なば 焼くな埋むな野に晒せ
痩せたる犬の腹肥やせ』
という和歌を残しています。
これは
『私が死んだら、焼かずに
亡骸は野に晒しなさい。
痩せこけた犬の
腹の足しにでもしましょう。』
という意味なんだそうですよ
境内には小町老衰像や小野小町の供養塔
また、小町が自分の老いた姿を水面に写したとされる
姿見の井戸等も残されています
■法雲寺(ほううんじ)
場所:京都市中京区清水町30
法雲寺は、平安時代に関白・摂政であった
藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の
邸宅があった場所といわれ
1615年、ここに清久(せいきゅう)が
お堂を建てた事に始まるそうです
境内にある菊野大明神(きくのだいみょうじん)の
ご神体(神様が宿る場所)は、少将が腰掛けた石といわれ
『縁切り石』として知られているんですね
これは、残り一夜という所で
思いを果たせなかった少将の無念や怨念が
石に宿っているとされる事から
男女の縁切りのご利益があると
信仰されているんですよ
そんなわけで今回は絶世の美女といわれる
小野小町ゆかりの地巡りをご紹介しました
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