2011-09-26 | |
テーマ:お寺 |
欣浄寺
こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介するお寺は・・・
欣浄寺(ごんじょうじ)です。
一見すると・・ここお寺!?と、思ってしまうような
近代的な建物ですけれど、間違いなくお寺ですよ。
場所は、京都の伏見と呼ばれるエリアにあります。
※伏見と言えば、伏見稲荷大社や寺田屋などがある場所です。
では早速、こま札を見てみましょう♪
こちらのお寺は1230年
道元(どうげん)というお坊さんが
この地で布教に努め、欣浄寺が創建されました。
そして、この地は
深草少将(ふかくさのしょうしょう)の屋敷があった場所と言われています!
境内には彼にまつわるものが多く残されています。
こちらは堂内にある『深草少将』立像です。
ちなみに
・・・深草少将って誰??
と言いますと、
補陀洛寺を紹介させていただいた時にも
取り上げましたけれど
あの、絶世の美女と言われている
平安時代の歌人『小野小町』に恋をした人物なんですね
彼の愛情は凄かったらしく
小町から
「百夜、通い続けてくれたら一緒になってあげてもいいわよ、オホホホ♪」
と言われ・・・
少将は毎晩、片道5キロの道のりを歩いて通った人であります!
※このエピソードは後の室町時代に、世阿弥(ぜあみ)が能楽として披露した『百夜通い』がベースになっています。
さて、今日は『深草少将』というのが
一体どういう人物であったのか少しご説明してみたいと思います。
深草少将が使っていたといわれる『姿見の池』です。
まず、深草少将(ふかくさのしょうしょう)というのは
名前ではないそうです。
と、言いますと・・・
『深草』というのは伏見の地名のひとつであり
『少将』は官位だったんですね。
つまり、深草に住んでいる少将の人を指す言葉なのです。
そして一説では、深草少将は誰かと言うと・・・
桓武天皇の子供である良峰宗貞(よしみねのむねさだ) という
人物だと言われています。
向かって左手には『小野小町塚』。右手は『深草少将塚』が仲良く並んでいます。
小野小町も謎多き女性ですけれど
宮廷に仕える女官であったと言われていますし
深草少将も宮廷に仕える身分であった事から
職場で一目ぼれでもしたのかもしれませんね~。
さて、ちなみに小町の課した『百日通い』についてですけれど
小町は当時、山科にある『随心院』に住んでいたとされ
この深草少将のいた『欣浄寺』とは直線距離で約5キロです。
しかしながら、山をひとつ越えないと会いに行けなかったんですね。
毎日、山を越えてでも、会いに来てくれる
そんなアツい男性を小町は求めていたのでしょう。
深草少将は言葉通り、山を越え、毎夜会いに行きます。
※随心院には深草少将が書いた手紙を埋めたとされる『文塚』もあるそうですよ。
こちらが堂内です。奥に巨大な大仏があるのがわかりますでしょうか。
高さは4.85メートルもの巨大な大仏様なのです。通称『伏見大仏』と言われています。
さて、そんな百夜通いの最終日。
100日目は、大変な雪の日だったそうです。
それでも
「今夜、通えば小町は自分に振り向いてくれる!」
そう思い、少将は伏見を出発し、山科へ向かいます。
現在でも、この山科へ行くには
高い山々を越えなければいけません。
今であれば山を簡単に越える為に、トンネル、車を使いますよね。
・・・しかし、山越えを徒歩で!?
・・・しかも雪の中を!?
・・・考えられないですよ、ホント( ´Д`)
という事で、
その大雪により、100日目にして
深草少将は山中にて凍死してしまったという悲しいお話です。
最後にご紹介するのは『墨染の井戸』です。
別名、『涙の水』とも呼ばれ
少将の涙のごとく、枯れる事がない事から
この名前が付けられたと言われているんですね。
そんな欣浄寺の場所はコチラ↓
最寄の交通案内
1 ■ほー
確かにお寺とは思えない様な感じですね。
100日目に凍死とは…あと一歩…
悲しみの涙が枯れない水となってるのでしょうかね…
ほたてこはくさん 2011-09-26 20:29:16
2 ■Re:ほー
>ほたてこはくさん
胸が切なくなるような少し塩味の水なのかも知れませんね(w_-;
京子 2011-09-27 14:20:57
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