2015-08-11 | |
テーマ:お寺 |
関連:はねず踊り 2012(隨心院) / はねず踊り奉納法会(隨心院) / はねず踊り(隨心院) / |
隨心院
今回ご紹介するのは
京都市山科区の小野(おの)にある
隨心院(ずいしんいん)です!
隨心院は真言宗善通寺派のお寺で
絶世の美女といわれた平安時代の歌人
小野小町(おののこまち)ゆかりのお寺として
知られています
古くからこの辺りは
小野氏の一族の勢力地であった所で
隨心院のある場所も
小町の邸宅跡といわれているんですね♪
こま札
そんな隨心院は
平安時代の初め頃の991年(正暦2年)に
仁海(にんがい)というお坊さんが創建した
牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)の
塔頭寺院として鎌倉時代に建てられたんだそうです
仁海(にんがい)
仁海はある時、夢の中で
亡くなったお母さんが
牛に生まれ変わっているのを知り
その牛を探し求めて飼育したそうですけれど
程なくして、その牛が
死んでしまったそうなんですね
その事を大変悲しんだ仁海は
その牛の皮に両界曼荼羅(りょうかいまんだら)を
描いて、本尊としたそうです
この事から牛皮山曼荼羅寺と
称したという事なんですね!
さて、その牛皮山曼荼羅寺の
第5世住職であった増俊(ぞうしゅん)が
塔頭として隨心院を建てたんですよ
お堂は次第に整えられていったそうですけれど
1221年(承久3年)の承久の乱や
1467年(応仁元年)の応仁の乱によって
それらは荒廃してしまったそうです
その後、1599年(慶長4年)に
牛皮山曼荼羅寺のあった場所に
本堂が再建されたんだそうです
明治に入り一時期
隨心院小野派本山として独立をしましたけれど
1931年(昭和6年)に善通寺(ぜんつうじ)を本山として
善通寺派に所属し、現在に至るという事です。
それでは早速、中に入っていきましょう
山門
こちらの山門をくぐって
長い参道を歩いていくと
長屋門が見えてきます
その長屋門のくぐった先に
庫裏(くり)があるんですね
庫裏(くり)
ちなみに庫裏というのは、お坊さん達が
食事の支度等をするのに用いられる場所の事です
その庫裏から中に入っていきますよ♪
庫裏の前には
『花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に』
と書かれた小野小町の歌碑や
蓮弁祈願が出来る水瓶がありました!
小野小町の歌碑と蓮弁祈願の水瓶
庫裏の中を進んで行くと
書院、能の間と続きます。
本堂前から見た能の間(写真右)
能の間では
『はねず踊り奉納法会』の際
『はねず踊り』が奉納されるんですよ♪
はねず踊り奉納法会
はねず踊りとは、小町と
深草少将(ふかくさしょうしょう)に
まつわるエピソード『百夜通い』を
ベースにした童歌の事です
※はねず踊りの『はねず』とは、薄紅色の古い呼び名です。
少将が100日もの間、毎晩
山を越えて小町の元へと会いに行ったといわれる
『百夜通い(ももやがよい)』のエピソードは
能などでも演じられる程、有名なお話なんですね
※百夜通いについて詳しくは欣浄寺の記事をご覧下さい。
そしてこちらが本堂になります!
本堂
本堂には、ご本尊の
如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)や
重要文化財に指定されている
木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいぞう)
木造金剛薩埵坐像(もくぞうこんごうさったざぞう)等が
安置されています
そして本堂から奥書院へと進み
再び庫裏へと戻ってきます。
庫裏には、小町が
深草少将百夜通いの際
糸に通して日数を数えたと伝わる
榧(かや)の実がありました!
小野小町ゆかりの榧の実
榧の実には実際に
糸を通した跡があるそうですよ
また、請雨本尊石という
一身が境内にある小野小町化粧井戸で
雨を祈願した際に使われたとされる
本尊石というものもありました
請雨本尊石
こちらは境内にある
小野小町化粧井戸
(おののこまちけしょういど)です。
小野小町化粧井戸(おののこまちけしょういど)
小町が朝晩、化粧をする為に
使っていたとされる姿見の井戸という事で
この井戸水を化粧水と名付けたそうです♪
そしてこちらは本堂裏にある
小町文塚です。
小町文塚
小町がもらったとされる
数々のラブレターが
埋められているといわれています
その他、境内には小町塚や小町の侍女の塚や
清滝権現等がありました!
清滝権現
という事で今回は
小野小町ゆかりの隨心院をご紹介しました!
隨心院は梅の季節になると
本堂前の梅園が一般開放されたり
秋には紅葉が大変綺麗な場所でもありますので
小町ファン以外の方も是非とも訪れてみて下さいね
紅葉
隨心院の場所はコチラ↓
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