こんにちは京子です!

今回ご紹介するのは・・・

京の天満宮巡りです

天満宮とは

学問の神様で知られる

菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りを鎮める為に

彼を神格化し祀った神社です

※天満宮は全国に1万2000社も創建されました。


道真は、時の左大臣だった

藤原時平(ふじわらのときひら)と対立し

デマを流された挙句、大宰府(九州)へと左遷され

都へ帰れないまま不遇の死を遂げました。

※一連の出来事を『昌泰の変(しょうたいのへん)』と言います。詳しくは菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。


その後、都を襲った落雷や異変が

「不遇の死を遂げた道真の祟りである!」と考えられた事から

彼の怒りを鎮める為に全国に天満宮が建てられました。


では早速、京都の天満宮を紹介したいと思います


文子天満宮(あやこてんまんぐう)

文子天満宮

京都府京都市下京区間之町通花屋町下ル天神町400


道真の乳母であった

多治比文子(たじひのあやこ)が建てた祠を起源とする天満宮です。

彼女が道真のお告げを聞いた事がきっかけの1つとなり

947年に北野天満宮が創建され

全国的に天満宮が建てられる事となったんですね。


生身天満宮(いきみてんまんぐう)

生身天満宮

京都府南丹市園部町美園町1-67


園部と呼ばれる地は、代々菅原氏の領地でした。

この地で道真に仕えていた武部源蔵(たけべげんぞう)が

大宰府に左遷された道真との別れを惜しみ

生祠(いきほこら)として道真の木像を祀った事が

生身天満宮の起源となっています


北野天満宮(きたのてんまんぐう)

北野天満宮

京都府京都市上京区御前通今小路上ル馬喰町


全国に広がる天満宮の総本社です。

梅の名所としても有名で

季節になると約2万坪を有する梅苑が公開となります。

※道真は生前、梅を愛していたと言われています。


道真の命日が2月25日である事から

毎月25日は縁日とされ

境内にはお店が並び、多数の参拝者が訪れます。

北野天満宮について詳しくは北野天満宮 その1、北野天満宮 その2、北野天満宮 その3、北野天満宮 その4、北野天満宮 その5の記事をご覧下さい。


吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)

吉祥院天満宮

京都府京都市南区吉祥院政所町7


道真の生誕の地と言われている吉祥院にある天満宮です。

この事から境内には

道真のへその緒が埋められている『胞衣塚(えなづか)』があります。

※道真出生の地に関しては諸説様々です。


・桜山天満宮(さくらやまてんまんぐう)

京都府宮津市万町


もともとは社殿の裏にそびえる桜山に創建された天満宮で

江戸時代になってから、現在の桜山の麓に再建されました。

ちなみに、ここに祀られている菅公神像(かんこうしんぞう)は

かつて秀吉が所持していたものだと言われています


水火天満宮(すいかてんまんぐう)

水火天満宮

京都府京都市上京区堀川通寺ノ内上ル2丁目扇町722-10


923年に醍醐天皇の勅願によって創建された天満宮です

境内にある登天石(とうてんせき)は

道真の霊が立っていたとされる石です。


賀茂川が氾濫した際、水の下から出現した石に

道真の霊が立っていたそうで

やがて道真の霊だけが

雲の中へと消えていったと言われています。

その後、石を供養し登天石と名付け祀っているそうです。


菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)

菅原院天満宮神社

京都市上京区烏丸通下立売下ル堀松町406


京都御所の西側に建つ天満宮です

かつてこの場所は、菅原家が住んでいた邸宅『菅原院』が

あった場所とされ

祭神には道真に加え

是善(これよし・父親)や清公(きみきよ・祖父)も一緒に祀られています。


千喜万悦天満宮(せんきまんえつてんまんぐう)

千喜万悦天満宮

京都府京都市下京区五条通高倉東入南側堺町


道真が指示して描かせた『絵』をご神体とする天満宮です

この絵は、道真が右大臣に命じられ

公家達と供に列座した際

彼が喜びのあまり、絵師に描かせたと言われる絵です。

この事から千喜万悦(大変喜ばしい事)という名が付けらました。


長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)

長岡天満宮

京都府長岡京市天神2丁目15-13


長岡という地は、道真の所領だった場所で

ここで在原業平(ありわらのなりひら)らと和歌を詠み

楽しんだそうです。


大宰府に左遷される際に、彼はこの地を離れる事を名残惜しみ

「我が魂、長くこの地にとどまるべし」と伝えたと言われています。

こうして死後、長岡にも天満宮が建つ事となりました

長岡天満宮について詳しくは、長岡天満宮 その1、長岡天満宮 その2、長岡天満宮 その3の記事をご覧下さい。


・長尾天満宮(ながおてんまんぐう)

京都府京都市伏見区醍醐赤間南裏町21


醍醐寺の近くに鎮座する長尾天満宮は

道真の祟りを恐れた秀吉が創建したと伝わります。


当時、秀吉は醍醐天皇の遺徳を讃える為に

醍醐寺にお堂を移築していましたが

工事中に事故が続いた事から『道真の祟りである』と考えたそうです。

※『昌泰の変』は藤原時平の陰謀により、醍醐天皇が道真を左遷した事件です。


この他にも

境内には道真の衣服と遺物が埋められているとされる

菅公衣装塚(かんこういしょうづか)があります


錦天満宮(にしきてんまんぐう)

錦天満宮

京都府京都市中京区新京極通四条上中之町537


1003年に創建された歓喜寺(かんきじ)の鎮守社を

起源とする天満宮です。

※歓喜寺は菅原院を移築し建てられた寺院です。


その後、秀吉によって鎮守社が

現在地(錦小路の東詰)に移築された事から

錦天満宮と名付けられました。


・土師天満宮(はぜてんまんぐう)

京都府福知山市土師宮町


京都市の更に北部に位置する福知山市にある天満宮です。

創建の年代は不明ですが、地元の氏神として

道真を祀ったと言われています


火除天満宮(ひよけてんまんぐう)

火除天満宮

京都府京都市下京区貞安前之町613


1579年、大宰府より神職が持ち込んだ

『菅原道真の像』を祀った事を起源とする天満宮です。

幕末、京都の市中を焼き尽くしたと言われる

禁門の変(蛤御門の変)の際に

この天満宮を中心とする一帯だけが焼失を免れた事から

火除天満宮と名付けられました


・八瀬天満宮(やせてんまんぐう)

八瀬天満宮

京都府京都市左京区八瀬秋元町639


比叡山の僧・法性坊(ほうしょうぼう)によって創建された天満宮で

道真が比叡山へと登る途中に、この場所で休憩していた事から

彼の没後、社殿が創建されました。


2人の話は能などでも舞台化されており

法性坊と、今から都に復讐に行こうとする道真の霊による

問答などが創作されているんですよ。


霊光殿天満宮(れいこうでんてんまんぐう)

霊光殿天満宮

京都府京都市上京区新町通今出川下ル徳大寺殿町365


1018年、道真の子孫によって創建された天満宮です。

当時は河内国(東大阪市)にあったそうで

後に京都に移築されました。


霊光殿という名は

左遷され、大宰府に向かう道真が

河内国で起こった出来事に由来するものです。


道中、道真の前に一筋の光と供に神様が舞い降り

「道真、お前は悪くない。そんな落ち込む事はないぞ。お前をおとしめたヤツらを滅ぼしてやろう。」

と、いうお告げがあったそうで

この事から『霊光殿』と名付けられました。


という事で、京都の天満宮をご紹介させていただきました。

場所はコチラ↓


より大きな地図で 京の天満宮巡り を表示

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