メモ2012-01-19
テーマ:神社

火除天満宮

こんにちは京子です

さて、本日ご紹介する神社は・・・

火除天満宮

火除天満宮(ひよけてんまんぐう)です。


天満宮と言えば

学問の神様で有名な『菅原道真(すがわらのみちざね)』が

祀られている神社であり

学問成就のご利益があると言われていますよね

※菅原道真に関して、詳しくは北野天満宮 その2の記事をご覧下さい。

火除天満宮の石碑その1

それに加えて

火除天満宮はその名の通り・・・


(・∀・)ノ火除のご利益がある事でも知られている神社なのです


こま札

火除天満宮の始まりは1579年。

道真の終焉の地である九州の大宰府(だざいふ)から

1人の神官が菅原道真の像を背負い入洛し

祀ったのが始まりだそうです

※九州にも数多くの天満宮がありますから、そこからやって来たのでしょう。


こま札には

「九州での兵乱を避ける為に神官が京へとやって来た」と

いう風に書かれています。


当時(戦国時代)、九州統一をかけて

龍造寺隆信・大友宗麟・島津義久の

三つ巴の争いが行われていたんですね


火除天満宮の石碑その2

火除天満宮は洛陽天満宮二十五社の第九番に指定されています。

現在も沸き続けている御神水

御神水は現在も沸き続けているそうですよ。


さて、戦火を逃れ無事に入洛した神官は

六条通周辺に像を祀ったと言われています。

その8年後・・

1587年に『大雲院(だいうんいん)』の鎮守社として

火除天満宮は烏丸二条(御所の少し南側)に移築される事となります

大雲院とは本能寺の変で亡くなった織田信長・信忠父子の菩提を弔うため建てられたお寺です。『大雲院』とは信忠の戒名でもあります。


それから10年後・・・

1597年に、今度は豊臣秀吉の区画整理により

現在の四条寺町へ移動する事となりました。

※秀吉の区画整理に関して、詳しくは五條天神宮の記事をご覧下さいね。


絵馬

絵馬です。道真を祀っている天満宮ですから『牛』と『梅』は外せませんよね♪理由については北野天満宮 その2の記事をご覧下さい。

撫で牛

撫で牛もありましたっ。撫でてご利益を頂きましょう~。

拝殿

拝殿です。奥には本殿が見えます。四条寺町は繁華街の中心地であり、高島屋・藤井大丸などの百貨店も並びます。


ちなみに、火除のご利益は一体ドコから来たのと言いますと

時は幕末、京の市中を焼き尽くしたと言われる

禁門の変(蛤御門の変)において

この一帯だけが焼失を免れた事に由来しています


長州藩 VS 幕府(主に薩摩・会津・桑名)による戦いにより

決着自体は1日でついたものの

戦火による火災が原因で三日間に渡り、京の町は

『どんどん焼け』と呼ばれる大火に見舞われます。

結果的に、市中を焼き尽くし27000世帯以上が灰になったと言われています。

もちろん、多くの神社やお寺も焼失したそうです


しかし

ちょうど渦中のど真ん中にあった火除天満宮でしたけれど

奇跡的に、この一帯だけが火災を免れたんですね。


風向きによる影響なのか、人の力によるものなのかは

定かではありませんが

とにかく火除天満宮は焼けずに残ったのです


社務所

拝殿や本殿のすぐ隣にはビルが立ち並びます。1973年には大雲院と分離され、現在は火除天満宮だけがこの地に残ります。

梅の家紋

天満宮の神紋である梅の家紋です。


明治以降も

このあたりは三度の火災に見舞われたそうですけれど

不思議と、この神社周辺だけは燃えずに済んだそうなんですね。

この事から

学問成就に加え

火除のご利益があるといわれるようになったというワケです


そんな火除天満宮の場所はコチラ↓


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