2015-12-02 | |
テーマ:祭り・イベント |
関連:長岡天満宮 / 長岡天満宮の梅(ウメ) / 長岡天満宮のキリシマツツジ / 筆塚祭(長岡天満宮) / |
火焚祭(長岡天満宮)
今回ご紹介するのは
京都府長岡京市にある
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)の
火焚祭(ひたきさい)です!
長岡天満宮の火焚祭は
毎年11月28日に行われている火祭で
五穀豊穣(ごこくほうじょう)に
感謝すると共に
無病息災や家内安全等の
お願い事の書かれた護摩木と
古くなったお札等をお焚き上げするという
ものなんですね
そもそもお火焚とは、一体何かと言いますと・・・
旧暦の11月頃に神社やお寺、民間等で
主に関西地方を中心に行われている
火祭の事なんです
お祭では、御神酒(おみき)や
米等をお供えして火を焚いて
五穀豊穣に感謝すると共に
火の霊力で罪穢れ(つみけがれ)を祓って
願い事を祈願します
その起源は諸説あるんですけれど
神楽(かぐら)の際に焚く
篝火(かがりび)の庭燎(にわび)や
秋に取れた収穫物に感謝する収穫祭の
新嘗祭(にいなめさい)が
始まりとされているんですね
ちなみに神社で、お火焚をする際には
社殿の前に参拝者からのお願い事の書かれた
火焚串(ひたきぐし)や護摩木(ごまぎ)等を
井桁(いげた)のように組んで
お炊き上げをするのが一般的なんですよ♪
長岡天満宮の井桁のように組まれた火床
場所によっては、お神楽(かぐら)や
湯立神事(ゆたてしんじ)が
行われたりもします
ここで長岡天満宮についても
ご紹介しますと・・・
長岡天満宮は
学問の神様と崇められている
菅原道真(すがわらのみちざね)が
九州の大宰府(だざいふ)に左遷される際に
この地に立ち寄って
「わが魂長くこの地にとどまるべし」
と、都を振り返り
名残惜しんだという故事から
道真自作の木像をお祀りし
創建されたそうです
都を振り返って名残り惜しんだ
道真のエピソードから
長岡天満宮の事を通称
『見返り天神(みかえりてんじん)』
とも呼ぶそうですよ
平安時代、道真は宇多天
(うだてんのう:第59代天皇)に重用され
飛ぶ鳥を落とす勢いで
どんどん出世する事になったんですけれど
時の左大臣、藤原時平(ふじわらのときひら)
と対立し、デマを流されて
結果、九州の大宰府に左遷
失意の内に亡くなってしまうんですね
※一連の出来事を『昌泰の変(しょうたいのへん)』と言います。
その後、京の町では
天変地異が相次ぐようになり
これを『道真の祟り』と仕業と考え
その怨霊を鎮める為に
全国に天満宮が創建されていきます。
※詳しくは、雷除祭 2015(吉祥院天満宮)の記事をご覧下さい。
それでは早速、レポートしていきましょう
※写真は過去のものを使っています。
長岡天満宮の境内に着くと
拝殿と筆塚(ふでづか)の間の前には
お火焚をする為の火床と
古くなったお札等がたっぷりと置かれていました
火床とたっぷり置かれた古いお札等
しばらくすると、本殿で神事が始まります!
祝詞の奏上
本殿神事では、宮司による
祝詞奏上(のりとそうじょう)等が行われ
続いて本殿からのご神火を持って
境内に用意されている火床の前に移動し
お火焚が行われるんですね
ご神火を持って移動する様子
お火焚では、まず火床や
古くなったお札等をお祓いします
火床を祓っている様子
そして3つ用意されている火床に
順番に火を点けていくんですね
全ての火床に火が点けられると
神職の方全員で罪や穢れを祓う為に
大祓詞(おおはらえことば)が唱えられます。
大祓詞(おおはらえことば)を唱えている様子
この大祓詞は奈良時代から続く
祝詞(のりと)の1つで
『中臣の祓(なかとみのはらえ)』
と言うそうですよ
その後、用意されていた
護摩木や古くなったお札等が全て
お焚き上げされ、お祭は
無事にお納めされました
お火焚
という事で今回は
長岡京市にある長岡天満宮で行われた
火焚祭をご紹介しました
長岡天満宮の場所はコチラ↓
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