2015-04-21 | |
テーマ:お寺 |
大光寺
今回ご紹介するのは
京都市伏見区の伯耆町(ほうきちょう)にある
大光寺(だいこうじ)です!
大光寺は
山号を藤澤山(ふじさわざん)と言って
1260年(文応元年)に寛海が
浄土宗のお寺として
堀内村江戸町に建てたと伝わっています
※堀内村江戸町は現在の伏見区桃山町本多上野にあたります。現在の場所から東へ1kmほどいったエリアです。
その後、1624年(寛永元年)に
江戸幕府3代将軍である
徳川家光(とくがわいえみつ)の
傳役(もりやく:養育係)であった
青山伯耆守忠俊
(あおやまほうきのかみただとし)の
屋敷跡に移ってきたといわれています
この地を伯耆町というのも
青山忠俊の屋敷があったからですよね~
そんな大光寺は
伏見で最も有名な商店街である
大手筋商店街(おおてすじしょうてんがい)の
中にあるんですよ
ちなみに大手筋商店街のある大手筋通は
天下人・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が
築城した伏見城大手門に通じる事から
大手筋通というそうです
大手筋通に面している御香宮神社の表門は
伏見城大手門を移築したものと伝わっています。
それでは早速、中に入っていきましょう
大光寺の山門をくぐると
目の前には大きな本堂が見えます。
本堂にはご本尊である
阿弥陀如来像が安置されているそうです
そして山門をくぐって
すぐ右手にあるのが薬師堂です。
薬師堂は
明治時代初頭に再建されたもので
華頂宮(かちょうのみや・宮家の1つ)の
旧御殿の遺構といわれています♪
中には奈良県の三笠山にある薬師寺から移された
薬師如来像が安置されているそうですよ
そんな薬師如来像は通称
『手接の薬師(てつぎのやくし)』と呼ばれ
耳の病気にご利益があると
いわれているんですね
こちらは日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)を
安置する地蔵堂です。
少し変わった名前のお地蔵さんだと思うんですけれど
日限地蔵尊は日を限って(参拝者が自分で定めた日数で)祈願し
参拝する事の出来るお地蔵さんなんですよ
※通称『日限さん』と呼ばれる安祥院(あんしょういん)の日限地蔵は有名ですよね♪
そんな日限地蔵尊の隣には
庚申堂がありました。
※庚申堂とは庚申信仰と深い関わりのあるお堂の事です。詳しくは、京都三庚申の記事をご覧ください。
また、お寺の墓地には
伏見奉行所与力(よりき)だった
横田蔵之充(よこたくらのすけ)の
お墓があるそうです。
※与力とは江戸幕府にあった役職の事です。
ある日、横田蔵之充は
禁猟区の巨椋池(おぐらいけ)で
猟を行っている者がいるとの通報を受けるんですね。
※巨椋池は京都府南部に昭和前期まで存在していた湖の様な巨大な池です。
現地へ赴いてみると・・・
猟を行っていたのはナント!新選組(しんせんぐみ)の平隊士
後藤大介(ごとうだいすけ)じゃないですか
横田蔵之充はその事を
厳しく注意したそうです
けれどその後
逆恨みした後藤大介と
数名の新選組隊士によって
横田蔵之充は殺害され
竹田街道沿いの橋に
首を晒されたそうです
その後、息子がその首を持ち出し
埋葬した先が大光寺だったというワケなんですね。
ちなみに新選組は
京都の治安を守る役職で
今でいう警察みたいなものです。
どんな組織にでも変な人はいるものですね
※新選組について詳しく知りたい人は、新選組ゆかりの地巡り、此付近 新選組最期の洛中屋敷跡、近藤勇遭難の地の記事をご覧ください。
そんな大光寺の場所はコチラ↓
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