2014-06-26 | |
テーマ:史跡 |
関連:八木邸 / 池田屋騒動之址 / 近藤勇遭難の地 / 勧進橋 / |
此付近 新選組最期の洛中屋敷跡
今回ご紹介するのは
此付近 新選組最期の洛中屋敷跡(このふきんしんせんぐみさいごのらくちゅうやしきあと)です。
その前に新選組について簡単にご説明しますと
新選組は幕末に現れた
日本の歴史上最大で最強の剣客集団
の事で京都の治安維持を目的に組織された集団なんですね♪
※新選組がもっとも大きくなったときは200人超す集団となっていたそうですよ。
ちなみに新選組って
隊を抜ける=切腹という
鬼のルールが有名だったり
御用改め(強制捜査)でござるとして
人を殺しているイメージが強いかも知れませんけれど
今でいう警察みたいなものなんですよ~
※新選組について詳しくは、新選組ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。また、隊を抜ける事に成功した伊東甲子太郎(いとうかしたろう)らについて詳しくは、月真院の記事をご覧ください。
新選組で最も有名な事と言えば
1864年(元治元年)6月5日
祇園祭の宵々山(よいよいやま)の日に起こった
池田屋事件(いけだやじけん)ではないでしょうか。
『池田屋事件(または池田屋騒動)』は
旅籠屋(はたごや・旅館)である『池田屋』に
集まっていた長州藩士らを襲撃し
彼らの計画していた犯罪を未然に防いだというものなんですね
※計画とは・・・長州藩を中心とする尊王派が、風の強い日を選んで御所に火を放ち、佐幕派大名らを殺害して、天皇を拉致し、長州に連れて行くといった一大クーデターでした。池田屋事件について詳しくは、木屋町界隈の史跡 その2の記事をご覧ください。
そんな新選組は、いくつもの屯所を転々としていました。
1番はじめに屯所としたのが
こちらは八木邸です。
前川邸と八木邸で
続いて屯所にしたのが
世界遺産のお寺として有名な
こちらが実際に新選組が屯所にしていた西本願寺内にある太鼓楼(たいころう)
西本願寺なんです。
そして京都で最期の屯所となった場所が今回ご紹介する
新選組最期の洛中屋敷跡なんですね
ちなみにこの最期の洛中屋敷跡を
不動堂屯所(ふどうどうとんしょ)といって
新選組の屯所の中でも
『まぼろしの屯所』と言われているんですよ~!!
※屯所とは、巡査や兵隊の駐在所の事を指します。
なぜまぼろしの屯所と呼ばれているのかと言いますと
半年しか使われなかった事と
実際にどこにあったのか詳しい場所がわかっていない
という事からなんですね。
ですから、今回ご紹介している
此付近 新選組最期の洛中屋敷跡の石碑の近くには
不動堂跡と書かれた石碑がいくつかあります
※詳しくは、不動堂屯所跡の記事をご覧ください。
しかし、そのいずれも確証が無く
予想の範ちゅうを超えていないんです。
最近の研究では
おそらく今回ご紹介している
此付近 新選組最期の洛中屋敷跡付近だろうと
いうのが有力なようですよ
ちなみに以前にもこちらに来たんですけれど
その時は新選組最期の洛中屋敷跡の石碑のある
ハトヤ瑞鳳閣がリニューアルオープンで
工事中だったので、写真が撮れなかったんです
そういうことで今回、再度行ってみたら
見事リニューアルされていて
石碑も再び建てられていたので
お約束通りバッチリと撮影してきたというわけなんです
そんなわけで、今回は此付近 新選組最期の洛中屋敷跡を
ご紹介しました
詳しい此付近 新選組最期の洛中屋敷跡の場所はコチラ↓
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