メモ2014-10-03
テーマ:お寺

大雲院

今回ご紹介するのは

京都市東山区の祗園にある

大雲院

大雲院(だいうんいん)です!


こちらの大雲院は

通常非公開のお寺なんですけれど

なんと!第39回京の夏の旅で

特別公開されていたんですよ

※ちなみに第39回京の夏の旅は2014年9月30日で終了しています。


龍池山 大雲院

大雲院には

織田信長(おだのぶなが)とその嫡男である

織田信忠(おだのぶただ)のお墓があります。


そして何といっても

銅閣(どうかく)とも言われる

祇園閣(ぎおんかく)がある事で有名なんですね~♪


そのあたりはまた後ほど

詳しくご紹介するとしまして

まずは大雲院について

簡単にご紹介したいと思います


こま札

大雲院は、1587年(天正15年)に

正親町天皇(おおぎまちてんのう・第106代天皇)の勅命によって

本能寺の変(ほんのうじのへん)で討たれた

信長と信忠の菩提を弔うため

貞安上人(ていあんしょうにん)が御池御所(現在の烏丸二条南)に

創建したことに始まります。


大雲院というお寺の名前も

信忠の法名である

『大雲院三品羽林仙巖大禅定門景徳院』から

取られているんですよ!

※この戒名は阿弥陀寺の清玉上人(せいぎょくしょうにん)が命名したものです。清玉上人と織田家の関係について詳しくは、信長忌 2012(阿弥陀寺)の記事をご覧ください。


その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が

寺域が手狭だということで

1590年(天正18年)に

御池御所から約1km程、南東へ行った場所である

寺町四条の方に移したんだそうです


それから時が流れ、時代が昭和に入ると

お寺のある四条界隈が

次第に開発されていくんですね。

※ちなみに寺町四条から東へ200mほど行った場所が現在の京都市内中心部です。


そんな中1973年(昭和48年)になると

喧騒を逃れるように

現在地(さらに東へ約1km)である

祇園・東山に移ったんだそうです。

※すぐ近所に高台寺八坂神社があるんですよ♪


これには理由がありまして

当時、現在の祗園閣がある土地を保有していた高島屋と かつて大雲院があった四条の土地を

交換出来る事になったからみたいなんです。


高島屋は増築したかったそうで

両者の利害が一致したんですね~

※もともとの場所には大雲院の鎮守社であった火除天満宮(ひよけてんまんぐう)が今も残っています。


ご朱印

こちらはご朱印です。


ちなみに大雲院は

創建当初、浄土宗の

知恩院派に属していたようですけれど

現在は、浄土教系の単立寺院なんだそうです。

山号は、龍池山と言います。


では早速中に入っていきましょう


中に入る際は

大雲院の東の総門からではなく

こちらの南門から入りました。


かつて四条寺町にあった頃の南門

この南門は四条寺町にあった頃のものを

移築したんだそうですよ


長い参道を抜けて行くと

長い参道


その先には鐘楼がありました!

鐘楼

こちらはもともと

北野天満宮にあったもののようで

豊臣秀頼(とよとみひでより)が

1607年(慶長12年)に寄進したものと言われています。


また中にある梵鐘も


豊臣秀頼寄進と言われる鐘楼

もともとは祗園感神院(ぎおんかんじんいん・現在の八坂神社)に

あったもののようです。


これらがどうして大雲院にあるのかといいますと

明治初めの神仏分離令(しんぶつぶんりれい)の後

無用とされていたものを

島津家が佐土原(さどわら・現在の宮崎県)藩士の菩提を弔うために

こちらに寄進したんだそうです

※神仏分離令について詳しくは、お別れ地蔵の記事をご覧ください。


こちらが本堂になります。


本堂

本堂の中には

ご本尊である阿弥陀如来坐像が安置されていました。


阿弥陀如来坐像の中には

創建当時のご本尊であったとされる

阿弥陀如来立像が収められているみたいですよ!!


ちなみに本堂の中は写真撮影が禁止されていましたので

残念ながら写真はありませんけれど

ご本尊の左側に織田信忠像が安置されていました


そしてこちらが境内にある

信長と信忠のお墓です!


信長と信忠のお墓

これは余談なんですけれど

正親町天皇と信長は

不仲だったという説があります。


けれどもし不仲であったとするなら

正親町天皇が信長と信忠の

菩提を弔う為の大雲院を建てるよう

勅命を出さないのではないのかな

なんて思ったりします♪


墓地には他にも

天下の大泥棒として名高い


石川五右衛門のお墓

石川五右衛門(いしかわごえもん)の

お墓もありました


石川五右衛門が捕まり

市中引き回しにされた時の事

五右衛門が大雲院の前を通った際に

貞安上人が引導を渡したんだそうです。


その縁で大雲院に

五右衛門のお墓があるんですね。

※石川五右衛門について詳しくは、南禅寺 その1の記事をご覧ください。


さて、冒頭でも少し触れました

祗園閣なんですけれど

それがこちらなんですね~


祗園閣

祗園閣は本堂の裏にありまして

祗園に訪れた事のある方は

ねねの道から歩いてくる時に

祗園閣を見たことがあるのではないでしょうか


写真ではわかりにくいかもしれませんけれど

祗園閣の上には鶴が乗ってるんですよ!


えっ?

なぜ鶴が乗っているのかって


それは祗園閣を建てた

大倉喜八郎(おおくらきはちろう)という方の

幼名が『鶴吉』という事だからなんだそうです!


大倉喜八郎と言えば大蔵財閥の設立者で

鹿鳴館(ろくめいかん)や

帝国ホテルを作った人として有名なんですよ。

※鹿鳴館については、妙法院の記事をご覧ください。


自分の名前についていた鶴を

祗園閣の上に乗せたというわけなんですけれど

意外?とおちゃめな人なのかも知れません

※祗園閣は大倉喜八郎の別邸の一部で、大雲院境内には書院である『真葛荘(まくずそう)」もあります。


そしてこの祗園閣は銅閣とも言われています!


その理由は・・・


大倉喜八郎が


「京都には、金閣と銀閣がある。

だったら銅閣もあっていいんじゃないの?」


というわけでこの祗園閣を造ったんです


ちなみに屋根は銅板葺きとなっているので

銅閣と呼ばれるのにふさわしいと思います!


そんな祗園閣の設計は

昭和の建築家・伊藤忠太(いとうちゅうた)によるもので

祗園祭の山鉾を模したものとなっています。

その事から『祗園閣』と名付けられたんですね。


祗園閣の中には

世界遺産でもある中国の莫高窟(ばっこうくつ)の

壁画が模写されています。


壁一面に釈迦説法図や千手観音図などが

描かれていました


こちらは写真撮影は禁止だったため

お見せ出来ないのですけれど

とても素晴らしいものでしたよ~


祗園閣はたびたび公開される事がありますので

ご興味のある方は是非

直接見ることをおすすめします


そんな祗園閣のある大雲院の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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